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感情を味わいきる

今朝のこと。
ふとしたことをきっかけに、自分の中にもやーッと嫌な感情が湧いてきた。
「妬み」というやつだ。

ぅう、またこれかーーーと思ったのだけど
ちょうどこれからチャンティング(マントラを唱える瞑想)を始めようと
していたところだったので、
そのまま静かに座り、感情を感じてみた。
感情は、胸のあたりで感じる。

くるしい、くるしいよね、と共感しながら。
ジャッジ(こんな感情を持つ自分はだめだ)はしない。
しそうになったら、「こんな自分サイテーって思ってるんだね。わかるわかる。」とまた共感する。

そうやって味わっていると、見えてくるものがある。
ひとつめ。
「私は、他者を自分より上か下か?無意識に判断している。」
だからね、自分と同じくらい、あるいは下かもって人が自分よりもてはやされているのをみて、ぐーーッと妬みの心が湧いてきた。
うぅ、すごく嫌!
そんな観念が自分のなかにあっただなんて!

それでも、「そっかぁ。そっかぁ。」と根気強く感情と一緒にいる。
すると、ふたつめ。
あるヴィジョンが浮かんだ。
中学校の頃のクラスの中。
そこで、私は「自分の立ち位置」をすごく気にしている。
いわゆる「スクールカースト」ってやつだ。
この子は自分よりイケてるグループの子、
この子は同じくらい、いや、下か。
自分が最下層にいる、ということも、自覚している。

でしゃばらないように。
目立たないように。
自分の立ち位置をよくわかっておく必要がある。
だから、目の前の人を「自分より上か、下か」
判断している、中学生の私がみえる。

このとき、「ぁあ、わたしの妬みの感情は、このことを教えたかったんだ。」とわかった。
そして、自分にすごく共感した。
「そんなデリケートな時期にさ、スクールカーストの中で毎日緊張しながら生活しててさ、よくやってたよ。」

多感な時期にしっかりと植え付けられた観念。
植え付けられた?
いや、自分が傷つきたくなくて、怖くて、
自分を守るためにその観念を「選択」した。

そのことに気付き、
自分に共感してあげたら
「妬み」の感情がすーーっと胸から溶けていなくなった。

そして、クリシュナ(すべての源であり、みんなのハートの中から私たちを導いてくださる至高の神)にお願いをした。

「クリシュナ、私が抱えていた観念を、どうか手放させてください。」

そうして、チャンティングをはじめた。

今回のことで気付いたこと。

〇感情を味わいきるのは怖くない
もやーっとした嫌な感情から、逃げたくなる。蓋をしてなかったことに。楽しいことを思い出したり。
今までそうだったけど、その感情がなくなるまで一緒にいることは、怖くない。
たしかに胸がぐっと苦しくなるけれど、味わいきると、なくなる。
そして、スッキリする!

〇感情を味わいきるには、ある程度、自分を信頼しておく必要があるかも
今まで感情と向き合えなかったのは
「自分を条件付けで認めていたから」
こんな感情がある自分は許せない、認められない…
ぎゅっと固くなっていた自分。
そのぎゅっと固くなっていた自分すらも、「いいやん」って
まずは嘘でもいい。共感するところからはじめてみる。
すると、少しずつ、ゆるみ、
自分という存在のなかにあるものをジャッジせずに
みていくということができるようになってきた。

ヨガ哲学的にみると
「感情は本当の自分ではない。」
だから、どんな感情が湧いてきてもそれは本当の自分ではないのだから
それで自分の価値を決めたりジャッジしたりする必要はないんだね

「感情は本当の自分で生きてゆくための、お知らせ装置」
モヤモヤとか、苦しいとか、そういう嫌な感情こそ、自分のもっている観念に気付けるチャンス!

自分の「心」から湧いてきたものを嫌わないで、
友達として一緒にそばにいよう。
嫌われちゃったらその感情はまた奥深くに眠ってしまい
気付いてほしいよ、とまた何かをきっかけに顔を出す。

自分の心という身近な存在を大切にする。
ジャッジをしないで、安心させてあげる。
そうして、深く眠っている観念に気付いてゆく。

自力で手放せないから、すべてを知っている神にゆだねる。

そうして、かるく、本当の自分として。
この世界を喜びで生きてゆく。

そのための道のり。

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