見出し画像

あれから100日

大好きな祖母が他界して
100日が過ぎた
神道では100日祭という節目

あの日から100日‥
あっという間な気もするし
遠い昔のような気もする

祖母は103歳で私は53歳
いつその日がきても
おかしくないと知っていたのに
その日がくるなんて
信じられなかった
ある朝眠るように
旅立っていった
安らかな大往生だった

それでも
私はわんわん泣いた
呼びかけても返事のない
手を握っても動かない
ますます小さくなった
可愛い祖母をさすりながら
わんわん泣いた

私が生まれた頃
一緒に住んでいた時期もあり
小さい頃からおばあちゃん子だった
綺麗でおしゃれで読書や歌が好きだった
いつも姿勢が良くて凛として座っていた

上品なおばあちゃんも好きだったけど
私が冗談を言うと笑い転げたり
スポーツ観戦で応援に熱が入ったり
一緒になって遊ぶ
お茶目なおばあちゃんも大好きだった

思春期の頃は
祖母の優しさに甘えて
わがまま言ったり反抗したり
さんざんだったな

大学時代
県外で一人暮らししていた私のとこに
何度も会いにきてくれた
いつも思い出すのは
私がバイトでいない間に
祖母が夕飯を準備してくれて
それなのに
ハンバーグが焦げてたことに
文句言って機嫌が悪くなって
気まずい夜だったという日のこと
ほんと困った孫だった😓


もちろん
楽しい思い出も
数えきれないほどある
色んなところに出掛けたり
歌を歌ったりパズルしたり
私が推しに夢中だった時は
祖母まで一緒にファンになったり
幾つの時も
祖母と私の関係は
たまに友達のような感覚に
なる時があった


50代で祖父が他界してから
50年近くひとりで生きた祖母
息子や娘や孫たちに
サポートしてもらい
助け合いながら
書道やママさんコーラスや絵手紙など
好きなことを楽しんでいた


90歳過ぎて
一人暮らしが難しくなってきた祖母は
最後の10年間
ケアハウスに入居していた

1人の時間と空間が必要な祖母にとって
食事や入浴のサポートがあり
それ以外は自由なケアハウスは
とても合っていた
みんな会いたい時に会いに行き
私もドライブに連れて行ったり
美味しいものを持って行ったり
祖母に会うと私も元気をもらえた

コロナ期は辛かった
制限も多く何度も面会禁止になった
昨年までは
原則わたしが家族代表として
週に一度会うことができた
施設内で感染者が出ると
嫌いな検査も我慢して
「こわいねぇ」と不安そうだった

だから
会える時は
大好物の煎餅や和菓子
季節の果物などを持っていき
なるべく面白い話や変なことを言って
たくさん笑わせた
100歳過ぎても
一緒にナンクロで頭を悩ませ
唱歌を2人でハモる練習もした


旅立つ前日は
面会制限が解除されていたこともあり
ちょうど県外から来た姉と
近くに住む妹と
三姉妹揃って祖母に会うことができた
久しぶりに私たちに囲まれて
嬉しそうな祖母は
いつもより食欲がなく
今思えば何か言いたそうな目をしていた

昔話をしたり歌を歌ったりして
幸せな時間が流れたが
帰る前に祖母が
「顔を挟んでちょうだい」
と言った
「こう?」と両手で優しく
祖母のほっぺたを包んだら
うん、と頷いた
それから姉がおでこと顎を包んで
妹が両手をそっと握った
気持ちよさそうに目を瞑っている
祖母に私達は静かに歌を歌った


「また明日も来るね」と声をかけると
眠そうな祖母は
ゆっくり頷いた
まさかこれが最期の会話になるとは
思ってもみなかった
またここにくれば
いつものように祖母と会えると
思っていた
もしかしたら祖母は
そろそろお迎えがくると
感じていたのだろうか

翌日早朝に
ケアハウスから電話があり
それから
気持ちが追いつかないまま
お別れのセレモニーがあり
やることに追われて
日常生活にも必死で
気がつけば
季節も春から夏へ

身近な存在が
この世からいなくなったという体験は
今の歳だからこそ
たくさんのことを教えてくれた
命のつながり
歳を重ねていくということ
日常の幸せ
そして祖母がくれた大きな愛

どんな私も優しく受け入れてくれて
ありがとう
いつも私の幸せを祈ってくれて
ありがとう
母を産んでくれてありがとう

祖母のお世話をさせてもらうことが
私の心を穏やかに整えてくれた
どんな時も祖母と過ごす時間が
本当の自分を取り戻せるきっかけになった

肉体を脱いだだけ
魂は永遠だから
祖母はいつも近くにいると思いながらも
あの笑顔に
あの声に会えないのは
まだまだ寂しい

愛と感謝を込めて
祖母との楽しい思い出を
日記に残せたらと思う
そして
かけがえのない日常を
丁寧に軽やかに
生きていきたい


















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?