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健康という“普遍的価値” #4

◆どこまで健康リスクを避ければ気が済むのか?

うえむら P123「健康を損ないかねない習慣や行動に対し、不道徳な感覚さえ覚えるようになった」とありますが、こにしさんがこの週末に日光白根山を濃霧と暴風雨の中で登ろうとしたように「登山」が流行している。または各種エクストリームスポーツも徐々に人口が増えているのではないかと思います。それは死が隠匿されているが故に、却って死に惹かれていく活動であり、こういう言説とは逆の現象であるようにも感じます。

こにし 登山は宗派が分かれますね。健康増進のための登山という位置づけで、絶対に人が死なない山というのはある。高尾山のような整備された山では人は死ににくい。しかし、ある時点から人は岩を登り始めるのですよね。そこは切り離されている。最初はエンジョイ組だった人が岩壁を登り始めるケースもありますが。

うえむら 確かに高尾山勢谷川岳クライミング勢は明確に分かたれて二極化するけれど、その中間に槍・穂高勢がいますよね。槍・穂高勢は、谷川岳クライミング勢ともちょっと違うと思うのですよ。これ分かるかな、しろくまさん。

しろくま ぜんぜん分からないです。

こにし よっぽど間違わない限り死なないけれど、死ぬリスクはゼロではないのが槍・穂高かな。

うえむら そういう中間の山はあるよね。谷川岳クライミングはめっちゃ死に近いと思うけれど。

こにし ちょっと手元を滑らせたら死ぬ。

うえむら 私が飯豊山に登ったときも感じたことはありましたね。「ここ滑らせたらどうなるんだろう。ひょっとしたら死ぬかもな」という稜線はありました。

こにし 中間領域もありますね。半ガチ勢が楽しむ。その動機は非日常を感じたいということもあるでしょう。エクストリームスポーツほどではないけれども、それに類するような、困難なことを達成したときに出るアドレナリンを求める。それをやるときには死の恐怖をあまり考えていなくて、むしろ「身体を動かすから健康だね」くらいにしか思っていない。そのときに自分が怪我をしたり死んだりするリスクは頭になくて、ある意味で自信過剰になっているのかも知れないですが。

うえむら スリルを求めている、命のやりとりが社会からなくなったが故に、スリルが求められている。

こにし あくまでも管理されたスリルですよね。槍・穂高レベルはエンターテイメントとしてのエクストリームとして受容されている。

しろくま スリルやアドレナリンを求めてだと思いますね。今、槍・穂高を検索して思ったのですが、そこの許容度が人によって違うので、二極化というよりも、グラデーションになっている。女子の登山レポートを見つけましたが、男女差もあるでしょうし、槍・穂高が既にエクストリームとなっている人もいるので、人ごとの許容度や閾値によって登る山が選ばれているだけで、本質的には谷川岳でも槍・穂高でも変わらない気はしました。

うえむら 登山や各種エクストリームスポーツは、健康を損ないかねないというよりは、健康だと認識されているということか。

こにし 運動している分健康だと思われている。

うえむら だとすると、ネットゲームにハマっているのは不健康か。

こにし 健康という意味ではそうでしょうね。

うえむら ネトゲ廃人は不道徳か。しかしeスポーツやゲーム配信などを生業として経済圏を獲得している人は、資本主義上は別に不道徳というわけではない。

しろくま プロの麻雀士とかもそれで生計を立てていますからね。

うえむら ギャンブルは従来的な意味で不道徳という視点を持たれることはあるでしょうけれど。音楽はどうかな。身体を使っていないけれど、経済圏を獲得している業態に対する、なんとなく社会が蔑視している雰囲気。それは健康を必ずしも価値づけていないという推認が働くことが理由になっているということかな。

こにし 色々あるうちのひとつにはそういう理由もあるでしょうけれど、どちらかというと「趣味でカネを稼ぐのはいかがなものか」「働いてお金を貰うなら、正規の事業で貰うべきだ」「仕事と見なされていない仕事で稼ぐのは良いやり方ではないかもしれないね」と、不道徳は言い過ぎかも知れないですが、そういう仕事の中での序列が低いという理由の方が大きいのではないかという気がします。

うえむら そうですね。とすると、P123の記述に具体例も反例もあんまり思い浮かばなくなってきたな。もちろん生活習慣では色々と思い浮かぶけれど、趣味や労働に引きつけると分からなくなってきた。序列関係において健康という指標が入っている訳ではないというか。無理矢理難解な読み方をしている気もしますが。

こにし 趣味で上野の角打ちをひたすら回り続けるとかですかね。

しろくま もっと単純に、夜にカップラーメン食べるとかじゃないですか。

うえむら そういう生活習慣面の不道徳は分かりやすいよね。不道徳が逆に価値になっている。

こにし それがあるから逆に美味しいのだ、というジャンキーの発想です。背信っぷりが逆に美味しいのだという。

しろくま 背徳感がおいしさを高める。

うえむら 前々節との絡みで、P125「健康リスクが嫌われ、避けられること自体は現代社会のニーズに適っているし、個人主義や資本主義のイデオロギーにも適っている。」というのは、もちろんここで著者が念頭に置いている「生産性の高い身体をメンテナンスしておくことによって資本主義に貢献していく」という趣旨はこれまでの論述からよく分かるのだけれど、少々一面的な見方に感じます。

例えば健康を守るために大麻やドラッグは非合法とされていますが、「資本主義」の論理を突き詰めると、規制緩和によってこれらを市場化してマーケットのもとに引きずり出す考え方が、むしろそれに適いますよね。またはマフィア的視点で言えば、そうした娯楽は消し去るのではなく非合法な状態で残ることで、シノギの稼ぎどころとして温存されるというメリットもある。

つまり、「不健康」は労働する主体にとって「生産性を落とす」という意味で損失ではあるが、他者の健康を搾取する別の主体にとっては、温存することで利益となる場合がある。とすると、資本主義は、健康を標榜するという方向へ、実態としては向かっているのかもしれないけれど、必ずしも「論理的に」向かっていくわけではない。だからここの分析は少し甘いなと思いました。

しろくま 「病院は不健康が温存されることで儲かる」というさっきの話とも繋がりますね。ジムも健康的に生きられない人をサポートすることでビジネスにしている。

うえむら 以前こにしさんが「クライアントには適度に無知でいて頂かないといけない」という情報の非対称性を売り物にするコンサルの話をしていましたが、同じことですね。「クライアントには適度に不健康でいて頂かないといけない健康ビジネス」ということです。

こにし 供給側としてはそうですよね。

うえむら なので資本主義というものは主体としては「健康」を志向させるけれど、客体としては「不健康」を温存させる方向に働く可能性がある。

こにし 当人にとっての、ということでしょうね。

しろくま 資本主義は不健康なものもたくさん売りつけて、それで不健康になった人たちへのソリューションも売りつける

うえむら マッチポンプですね。

こにし それは一番儲かるヤツですよ。原因もソリューションも自分で売るという。

うえむら それやったら面白いよね。「背徳感」と言っていましたけれど、「カップ麺を夜に食おうぜキャンペーン」を推進する。日清食品とライザップがコラボレーションする余地があるよね。

しろくま 裏で組んでいる。

うえむら 実際にやると批判されそうだけど。

こにし でも牛丼屋に行ったら、普通の牛丼に加えてロカボ牛丼がメニューにある、みたいなコラボレーションは既にありますよね。そこまでして牛丼を食いたいのかと思いますが。ロカボ牛丼というのは下に入っているのがコメじゃなくて、炭水化物の量を減らしている。

しろくま 低糖質のこんにゃく麺。

こにし 供給側がもともと身体に悪い要素を提供しつつ、それに配慮した商品も同時に提供する矛盾ですよね。牛丼をどうやっても食わせたいという。

うえむら これは「比較的健康な牛丼」ってことね。

しろくま なんじゃそりゃ。

こにし 牛丼である時点でお察しなのですが。

うえむら 不健康な食事を提供する業態であっても、健康志向の人に刺さるようにマーケティングをしている。

こにし そうです。お客さんには適度に牛丼ジャンキーでいて頂く必要がある。

うえむら そうまでして牛丼というジャンルからは逃げないということね。

しかし、ある意味で純真なマーケティングではありますね。なんかてっきり、ライザップから資本注入を受けて、すごく高カロリーな牛丼を提供しているのかと思った。高カロリーな牛丼を食べさせることで不健康な人々を生み出し、ライザップによるソリューションへと誘導する

しろくま 吉野家ではライザップ牛サラダというメニューはあるみたいですね。それは高タンパク質を提供している。

うえむら そうなのか。ちゃんとマッチポンプじゃなくて、健康志向のブランディングによってコラボレーションしているのか。

こにし 一応倫理には配慮していると。

うえむら すみません。完全に資本主義脳筋になっていました。

こにし でも確かに、ライザップ的にはそういう知見提供より、本業に申し込んで貰った方がおカネにはなりますもんね。

うえむら そうそう。だから高カロリー牛丼を提供するのかなと思った。

でもそういうことか。「ライザップ牛丼!」といって低カロリーな健康牛丼を提供するけれど、牛丼屋に入った消費者は、やっぱり物足りなくなって通常牛丼を頼んじゃうのか。そうやって少しでも通常牛丼を食べてもらえれば、ライザップとしてはそこから本業へキャッチできる。

こにし 中で永久機関が回り続ける。やっぱり外に逃がさないことが大事ですからね。

◆この“普遍的価値”の内側に真の自由はあるか

しろくま 『ハーモニー』伊藤計劃はSFならわかりますが、現実のとらえ方としては少し誇張しているとは思いました。健康は指標のひとつであって、それだけが選択するときの基準ではないので。

こにし 問題が起こるとすれば、健康という価値が他の価値よりもあまりにも重視されすぎて、それ以外の軸で選択することができなくなってしまったときでしょうね。例えばエナジードリンクを飲めなくなるようなことが起きれば、こうした問題は先鋭化する気はします。

うえむら そうですね。もうちょっと規制が行き過ぎたときに、こうした価値観を振り返らないといけないよね、というのはテキストに書いてあるとおりですね。今のところはそこの構造に自覚的でいようね、というまとめですね。

【第3章終わり】

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