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Intergenerational Mobility(世代間モビリティ)~機会の平等を考える 新たな視点~ #後編

<#前編の続きから>

5.機会の平等を図る政策とは

一花 最後に、モビリティを高めて機会の平等を実現するためにどういう政策が必要であるかを考える素材を紹介して、みなさまのご意見や感想を交えてディスカッションできればと思います。機会の平等、モビリティを高めることを実現するためには、もちろん経済が成長して、それによって格差を無くしていくことも重要ですが、政策も重要な役割を持っています。

しかし、機会の平等を図るために親と子どもの収入の相関をゼロにすればいいというわけではないことに注意をしないといけません。相関をゼロにする政策としては、相続税を100%にして、親と子どもの相続を無くしてしまうということが考えられますが、親と子どもの財産を完全に切り離そうとすると、家族の生活、プライバシーやファミリーヒストリーといった大切な価値が破壊されてしまう。また、ある意味子どもへの投資をすることが、親世代が働いたり収入を得たりするインセンティブになっているので、努力を歪めることになってしまう。したがって親世代と子どもの世代の収入の相関をゼロにする政策が良いというわけではありません。

一方で、あまりにも大きすぎる相関については留意しないといけないでしょう。先程上杉さんの指摘にもあったように、IGEは「いくらにすればいいのか」みたいな目標にはなかなか馴染まないと思うのですが、国際的な状況に目を配ることは重要だと思っています。そして、世代間の所得の継承のメカニズムに不公平なものがあれば、何が不公平なのかについてコンセンサスを得て、その原因を取り除いていく政策が必要になると考えます。例えば教育が世代間の継承に影響を与えるのであれば、教育政策に不平等がないのかをしっかりと目を配っていく必要があると思います。また、個人の努力へのディスインセンティブにならないように政策立案することも必要です。

では、どういう政策が考えられるのか。先程ギャツビー・カーブのところでも触れましたが、機会の平等を図る施策とともに、結果の平等を図る施策、格差をなるべく小さくして、社会のセーフティネットをしっかりと整えていくという、両方の視点が大事だと思います。

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具体的には、機会の平等の側では、子どもへの教育投資。Skillsモデルで紹介しましたが、幼少期の教育投資が子どものスキル形成に重要な役割を持っているという指摘を踏まえ、しっかりと投資をしていくこと。特に経済的に困窮している家庭の子どもへの学習支援、あとは親の中退の防止も重要になってくるのではないでしょうか。あとは仕事をしながら、家庭もしっかり支えていけるように、職業と家庭の両立支援も必要になってくるのではないかなと思います。また、少しジャンルが違いますが、地方創生、東京一極集中と言われていますが、地方と都市部の格差を是正して、機会の平等を確保することも視点としては重要になってくると思います。

一方で結果の平等は、社会のセーフティネットということで、失業・離婚・出産等の、いま日本ではひとり親家庭の貧困率が非常に高いとよく言われていますが、特にリスクを何かしら抱えた場合の保護も図っていくことが重要になるでしょう。また、税や社会保障による再分配と格差是正、労働市場の活性化は失業のリスクからの保護とも重なりますが、スキルを身につけながら自らが活躍できる職場を探していくことを支援する。これから働き方がフリーランスも含めて柔軟になってくる中で、社会保障制度もそれに合わせて対応していく必要がありますし、経済自体を大きくしていく成長戦略も結果の平等を図る上で重要な役割を果たしていると思います。

あとは参考として、「子どもの貧困」の分野について改めて政策をチェックしてみたのですが、例えば「子どもの貧困対策の推進に関する法律」においても、第一条の(目的)で「子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、貧困の状況にある子どもが健やかに育成される環境を整備するとともに、教育の機会均等を図る」と、機会の平等と、環境の整備という結果の平等がちゃんと法律に位置づけられて施策が進められていることを改めて認識しました。また、「子供の貧困対策に関する大綱」でも、子どもへの教育支援から、保護者に対する職業生活の支援など親の生活の安定に資する支援に至るまで、いま自分が申し上げたような政策の柱に沿って、実際に子どもの貧困対策が進められている状況です。

他にどのような政策が必要なのか、みなさんの思うところをお聞きできれば勉強になります。ご清聴ありがとうございました。

モデルの正当性

三玖 「社会のセーフティネット」として挙げて頂いた政策は、本当の意味での「結果の平等」というよりは、再チャレンジという文脈で、次のチャレンジをするときの機会の平等を図るための最低限の保障ということですよね。

一花 そうですね。本来的な「結果の平等」とは若干違うかな。

三玖 結果の平等を求めるならば、ベーシックインカムのようなもっと給付型の発想になるはずで、または極端なことを言えば、高給取りに賃金規制をかける、例えばフランスのように高額報酬の取締役には報酬規制をかけるみたいな方向性がある。そうではなくて、あくまでも機会の平等の一環として必要ですよと。

一花 どちらかというとリスクがあったときに、その部分を補填するという意味での、機会の平等にかかる限りでの結果の平等ということかな。「結果を完全に一緒にしましょう」という意味ではない、という理解はその通りです。

三玖 ジニ係数と世代間格差との相関でもあった通りで、機会の平等の側面支援的な施策をどこまで講じても、どのくらい効果があるかは分からないだろうな。結局さっき言っていただいたところに近づくけれど、何が原因なのかよく分からない。いくつかのモデル、Family investment モデル 、Skills モデル、Neighborhood モデルと遺伝モデルをご紹介いただきましたが、スキルが全部を左右しているのであれば、幼児教育をするのが最適解ということになるけれど、それで決まっていないから格差は簡単に解消されない。これらのどのモデルが適正か判別できない間は、政策への適用はなかなか難しいと思います。

投資が左右するのか、スキルが左右するのか、周りのピアグループが左右するのか、遺伝が影響するのだというモデルは、これまでの先行研究でいうとどれが一番説得的だ、という論調になっているのでしょうか。研究者の中でも結論が出てないのだと思いますが、一応ひとつのモデルで説明をしようと試みて、だからこそ理論的な研究をしているのならば、実証で適用しようとする論文があるような気がします。

一花 Family investment モデルとSkills モデルはそれぞれに関係しているというか、スキル形成に何が影響を与えるのかと考えると、親の人的投資も大事だし、親のスキルからも影響を受けている。

どれが正しいか、という議論ではないので、細かい実証までみたことがないのですが、Skills モデルだったらペリー就学前調査のように、アメリカにおける貧しい家庭の子女に無償で幼児期のスキル教育を施して、その後40年間追跡調査したら、その方たちは対照群、つまり幼児教育を施さなかった貧しい子どもたちと比べてどのように経済的ステータスが変わってきているのかを検証して、高くなっているという調査はある。この調査にヘックマンが関わっているみたいなので、理論から実証まで、スキルアプローチを突き詰めている。それが実際に日本の幼児教育無償化や充実の議論の中でも引用されているという意味で、政策へのインプリケーションも持っているという例かと思います。

四葉 どこに原因があるのかを見極めて、それに対して手を打つのが重要だと思います。色々な指標が登場して、スキルによって差が出るのではないか、親の教育投資によって差が出るのではないか、といった仮説を立てて、それを裏付けるためにモデルを組んでいると思うのですが、学者同士が都合の良いモデルを組んでいるだけのようにも見えました。

上杉 スライドで、「日本では過去数十年間、モビリティはほぼ安定している。」と書かれていて、最近すごくこういう話が騒がれているにもかかわらず、数値的に処理するとそうでもないという結果が出るのが意外でした。これはどう捉えれば良いでしょう。今後、結果の不平等をもたらす機会の不平等が拡大していくことが予想されるから、今こういうことが話題になっているということでしょうか。

一花 最新のデータを使った研究がまだ出てきていないということだと思います。今日ご紹介した研究は2005年までのSSMを使った研究になっていて、これより新しいものがまだ出ていない。1935年から1975年までに産まれた親子関係で、2005年まで子が大人になっている世代までしか扱えていない。

一方で日本における格差は、バブル崩壊後の喪われた30年に拡大していると考えると、格差拡大後の状況を踏まえたデータが取れていない。SSMは2015年まであるので、これを用いた研究結果が出てくれば興味深いと思いますし、ここでのモビリティの状況が変化していれば、問題が明らかになるのではないでしょうか。

上杉 今後どちらに向かっていくのかが分からない、入れ替わりの時期にあると。

モデルから政策への適用

三玖 「親の投資」というのは幼児教育や初等中等教育への支援でカバーできる。「親のスキル」も中長期的にみれば、結果の再チャレンジによって多少カバーできると思うのですが、スキルといっても色々な側面があって、単純な財力もあれば、公立高校から国立大学に進学して官僚になったみたいな頭でっかちな路線を歩んできた者が持つような、「子育てにおいて教育は大事だ」という意識を持つかどうか、そういう意識を持たない親もいると思うけれど、意識が与える影響はどの程度あるのか。

というように、政策によって左右できる要素とできない要素があると思って、そういう研究の切り口はありますか。左右できるところでどうにかするしかないとは思いますが。

一花 詳細な研究を紹介出来るわけではないですが、モデル上は、親のスキルが子どものスキルに影響するとされている。それは投資だけではなく直接影響を与えるとされていて、実際に大学まで行って働いている親もいれば、高卒で働いている親もいて、教育に対する考え方は当然異なっているだろうけれど、その考え方自体が、子どもの考え方に影響を与える。

確かにそれは政策では如何ともしがたい。政策的に影響を与えられるのは、親の意識ではなく、親のスキルと投資が子どものスキルに着目して、教育投資に政策的支援をするしかないということにはなってしまう。

三玖 結果の平等よりも機会の平等や再チャレンジを促す方向に施策を展開していくのが正しいのだろうなと思うのですが、今打っている手がどの程度効果があるのかという確信が持てないな、もう少し手探り感よりも先の何かが欲しいな、というのが今日お話を伺っての雑駁な感想です。

四葉 日本の場合は資本主義・競争主義を前提にしているので、結果の平等を完全に保障することはあり得なくて、結果のある程度の差が生じるのは認めざるを得ない。個人的には親と子の相関が大きすぎるのは嫌なので、それが機会の不平等によって起きているならば、それはある程度是正しましょうという方向性はコンセンサスが取れると思う。あとはその是正をどの程度政策介入するのかという程度問題を検討する必要があるかな。

一花 指標だけみていればよいという議論ではダメで、どういったメカニズムが深くにあるのかという原因分析は重要ですし、その原因に対して手を打っていくというのが政策として求められるのはおっしゃるとおりだと思います。

四葉 議論するとすれば、どのような場でするのでしょうか。

一花 「機会の平等自体をどう確保するか」という横断的な議論にはまだ繋がっていないとは思います。いきなり機会の平等、モビリティそのものを取り上げるというより、まずは実際に生じている問題に引きつけて議論していくことになると思います。

例えば、ひとり親家庭の子どもは貧困率が高い、といった問題が浮上している。その原因はひとり親の場合ワーキングプア状態で、収入が高くなく、離婚した元配偶者からの生活費相当額などもなかなか受け取れていないといったものがある。そのときにモビリティの議論が役に立って、一面的ですが、経済的な事情によって幼児教育を受けられなかったことで、子どもの貧困にも影響を与えているといった、パーツごとの分析から始めることになるでしょう。

四葉 マクロな議論をしようと思ったら、政府だけでは動けない気はしますね。

一花 機会の平等の重要性を国民が理解できるように啓発していく必要はあると思います。

教育投資への政策介入

四葉 教育格差が生じていることはみんながなんとなく感じていると思います。例えば塾は、建前上は学校教育にプラスアルファする教育ですが、実態としては塾に行かないと受験に合格しないという状況になっている。教育政策においてそうしたホンネを認めるのか認めないのか。どこまでを公が面倒をみるべきなのかについてもコンセンサスが必要です。

二乃 多分、教育投資の観点で五月さんはご意見があるのではないでしょうか。

五月 幼児教育の無償化がどんどん進んできていて、業界的にはありがたいし、政府としても色々と進められているんだなと分かるのですが、最も富を持っていて、かつ下の世代に富や恩恵を渡して受け継いでいるのは政治家が多いのかなと思います。有権者の多くがモビリティの高さを求めたとしても、政治家が抵抗勢力となって、なかなか高くならないという構図が起こりえるのではないでしょうか。政治家の他に、富を下の世代に渡していくことに抵抗がある人というのは、どういう人がいるのでしょうか。

一花 政治家が世襲していることについて社会は否定的な意見を持っているのではないか、ということですか。

五月 そうですね。課税面で優遇されていますし。ただ一般の人たちに対する相続税の課税水準も下がってきていて、そうした優遇は相対化してきているとも思える。それは社会が否定的な意見を持ってきたことの表れかなと。

少し脱線しましたが、幼児教育に関して言うと、必要性を感じる人と感じない人がハッキリ分かれていて、どれだけ政策として公教育で提供しても、「意味あるの?」「必要ないよね?」「ウチは家庭で教育するから」という親もけっこういるので、それを活用してより良いモノを子どもに与えたいと思う家庭かどうか、そうした意識の問題でその後の差が生じてしまうこともあるのかな、と現場というか、サービス提供者として思うところはあります。商業的に考える立場としては、払ってくれる人が払ってくれればそれでいいのですけれど、政府としてはそういう親の意識をどのように変えれば良いかまで考えるべきなのでしょうね。

四葉 それが本当にプラスアルファの領域ならそれで良いけれど、実はみんなが最低限必要なことなのではないかという気はしています。そうであれば偏在を是正すべきだし。

五月 カリキュラムに差がある場合もある。幼稚園や保育園を変わらずに同一のカリキュラムを提供すれば良いのかもしれない。

四葉 幼児教育のカリキュラムが違っても将来的にそんなに影響は与えないのではと個人的には思うけれど、実証実験するしかないのかな。

五月 幼稚舎を抱えている高等教育機関なら、実験しやすいかもね。

四葉 東京一極集中に引きつけて、教育格差を論じることもできる。東京の教育コスパの悪さは異常だから。

二乃 東京ってコスパ悪いの? 良いんじゃなくて?

四葉 地方の方が様々なサービスが安価に受けられるし、意識としても公立の学校に行かせて、サラリーマンになれば普通だという感じだけど、東京はひとつひとつのサービスが高い上に、ヘンな上昇志向があるから、受けたいサービスの量も多くなりがちになる。

二乃 同一のサービスが存在する場合に、その提供を比較的安価に受けられるという観点では地方の方がコスパは良いということね。ただ、教育格差というときに主に念頭に置かれるのは、地方においてはそもそもサービスの提供が存在しないという問題じゃないかな。

四葉 地方と言っても関西圏ではそこまでの格差は感じないよね。東京のコスパが悪いのはやっぱり、私立高校に行かせないと進学が難しいという状態にあると思う。私立に行く人が多いのは、公立高校の枠が対人口比で全然違うのも原因としてあると思うけれど。

五月 お金があれば、色々な機会に触れさせてあげて、地方よりも世界を広げることが出来ると思うけれど、お金がそこまでなかった場合は、東京はコスパ悪いと思う。それなら地方に居ながらインターネットを通じて体験を買った方が全然良い。

四葉 そこはインターネットによって昔と考え方が変わってきたかもしれない。

五月 機会は与えられるものではなくて、自分から取りに行くものだ、という発想になってきているかもしれない。高校で私立を選ぶというのはまた別の発想だと思うけれど。

一花 自分も子どもが居るので、コスパはどうなのかな、と自分事として問題意識をもって聞いておりました。

二乃 教育の機会という意味では、東京一極集中し過ぎていて、東京のお金持ちの子どもたちが東京の私立の中学・高校に進学して、そのままエスタブリッシュメントと呼ばれる職業に就いていくという構造を、彼らの特権から剥ぎ取るのは難しいと思います。

ただ、アメリカの取り組みだとチャータースクールみたいに、貧困層を学校に通わせる時に、学校ごとに様々な取り組みをすることによって、一般的なルートでの教育を受ける人たちとの良い意味での差別化を図る余地もあると思います。他にも寄宿舎制の、ハリー・ポッターにおけるホグワーツみたいな学校がもう少しあると、地方出身であっても都市の教育を受けるという形で格差が縮小するかもしれないし、都市出身でも経済状況によって家事や育児・介護といった家庭の雑務に時間を取られる子どもに学習に集中できる環境を与える、生活面も含めた支援が出来るかもしれないと考えています。

一花 教育の格差という点では、自分も子どもが二人いるので、これからどのように教育していこうかと思いますが、機会の平等という観点で言うと、私立に行かないと進学が難しいのに、お金がないと私立を受けられないという状況になっているとしたらそれは問題だなとは思います。どこまで公がやるのか、という問題意識ともからみますが。

五月 学力テストでドラフトみたいな制度にできないのかなと思っています。野球だと甲子園で優秀な選手を見つけて引き抜いていくけれど、生徒が進学する学校を決めると言うより、統一の学力テストを行った上で、学校側が欲しい生徒をもらう制度があれば、最初におっしゃっていた、機会がないために才能が埋もれてしまうという状況を引き上げることは出来るかもしれない。

一花 どこかの段階で共通テストを行う。

二乃 数学オリンピックで良い点を取ったらAO入試でアピールできるという状況が部分的にそれを達成しているかもね。

五月 数学オリンピックのように希望する子どもだけではなくて、もっと誰でも受けるモノにして、埋もれていた子どもを見つけ出すことができないでしょうか。

一花 AO入試を広げるというか、統一の基準を設ける。

五月 スポーツだと部活に入っているだけで大会に出場できる枠がある。そういうように、公教育として提供されている学習を受けていたならば、と言う条件で、学校側がこういう方向性で育つのではないかというポテンシャルを見いだしてスカウトするというルートがあっても面白いのかなと思いました。

一花 テスト結果を使う発想だと、テストの後の機会は平等のように見えるけれども、テストで結果を出せると言うことはある意味で既に投資が出来る家庭であるからで、それは逆に機会の不平等を拡大させる制度のようにも見える。アメリカでは入試において、点数が低くても地方で教育機会がなかったことに配慮して下駄を履かせるみたいな取り扱いをしているケースもあって、テスト結果だけではなくてそこに至るまでの機会の平等を加味する考え方を取っている。だから点数だけによる評価と機会の平等の整合性には若干議論の余地がある。

二乃 多分五月さんが念頭に置いているのは東京と地方の格差を考えたときに場所の制約があるから東京の学校に行けないという事情に対して配慮するということなのかな。

そのようにして機会の平等を突き詰めていけば、進学先は学力テストで、偏差値によって分けるのではなくて、もう完全にくじ引きで決めれば良いわけですよね。そうすれば機会もそうだし、結果も本当に完全に平等になる。でもそこまで政策的にやることで、上の階層の人たちが特権を剥ぎ取られるのは、個人の努力を歪めることにもなる観点から、抑制しなければならないということですね。

労働包摂と社会的統合のジレンマ

二乃 「なぜこの分析をするか」というテーマで言うと、機会の平等それ自体を達成するのが目的ではなくて、それが「社会的統合を進めていくために必要だから」という話があって、それはその通りだと思います。日本でも今後もしかしたら議論になっていくかもしれませんが、移民の問題があって、EUではどのように社会的統合を図るかという時に、移民をどのように教育に包摂して、労働に包摂するかが課題になっていると思います。日本でもこれから外国人労働者が増えていくだろうし、実際にベトナム人の技能実習生がコロナ禍で仕事を喪って、群馬のアニキと一緒に鶏を育てているみたいな話もありますけれど、統合という究極の目的に対して、機会の平等は手段になっているという構造なのかなと思います。

一花 二乃さんとは発表前に少し話題になりましたが、OECDからモビリティに関するレポートが出ており、そこでは各国のソーシャルモビリティの分析を移民などの社会的問題と絡めて議論しているのですが、あまり日本では議論になっていないことが発表の問題意識としてありました。おっしゃるとおりで日本でも外国人労働者が増えて、社会の連帯や安定が課題になったときに、モビリティがもっと重要になってくると思います。

二乃 ここまで議論してきたように、まず教育投資とは何かと考えたときに、学習時間をどの程度注ぎ込むのかだけでなく、学校教育を与えると同時に家庭内教育も重要だし、人脈やネットワークの形成も必要だという観点もあります。

しかし、それと同じかそれ以上に重要な視点として、学校教育を受けさせた後、それをちゃんと労働市場に繋ぎますという視点もありますよね。「収入」というものを指標にしてモビリティを図っている以上、労働市場に繋いで、高所得の労働階級に辿り着かせることが最終的なゴールになっている部分があると思うので、どういう手を打っていこうかと考えたときに、教育投資と並んで労働市場への繋ぎという二つの視点があると思います。

東京一極集中と地方格差については、教育格差も大きいですが、労働格差はもっと大きいと思っています。今回の発表では収入を指標にしてモビリティを計算していますが、東京の所得中央値と地方の所得中央値は全然違うみたいな表は、政府統計からすぐに出せると思います。一極集中になって、教育の機会が東京に集中して、そこで教育を受けた人たちが東京で働いて、官僚も東京出身者ばかりになって、地方の実情を全く知らない人たちが政策決定することになる。連帯という目標を定めるにあたって一極集中はひとつ乗り越えないといけない課題だとは思います。

一花 アメリカに来て思うのは、全然一極集中していないということです。政治も三権分立ですが、都市も分権的になっている。土地がめちゃくちゃ広いと言うこともありますが。イリノイ州でも州都スプリングフィールドは議会しかなくて、シカゴは経済都市で、政治と経済も分裂しているし、都市間の距離もあるしで、全然集中を感じない。そういう意味では東京一極集中は日本固有の問題というか、アメリカと全然状況は違う。

二乃 また、そもそも「収入」を指標にするのはいかがか、という議題もあります。ここはちょっと注意しないと政策リソースが思わぬ方向に行ってしまう気がしました。

人口減少社会において「高齢者や専業主婦をどんどん家庭から引きずり出して労働市場に入れていく」というのが、言い方は悪いですが最近の労働政策の方向性になっている。そのようにして労働市場に包摂されることで、確かに高齢者や女性たちは収入が上昇して、モビリティ指標が上昇したのかもしれない。でもその代わりに喪っているものもありますよね。平日の午前中に公民館に集まってクリスマスツリーを造っていました、とか。そうやってコミュニティの中で集まって、育児の情報交換をするとか、災害時に備えた繋がりを作っておくといったソーシャルキャピタルを形成する機会を阻害されていると捉えることも出来る。それって「社会的統合」が本来的な目的なのだとしたら、逆方向に行っちゃっているという指摘もあり得るかなと思っています。

他の例としては、事業承継もそうですね。中小企業を受け継いで、後継者になると。中小企業の社長はお金持ちもいれば泣かず飛ばずの人もいるかもしれませんが、少なくとも地方に雇用を産むという目的に資していると考えると、収入は低いけれども別の形で社会的統合に貢献している人たちを評価できていない懸念もある。だから「収入」だけでモビリティを測ったとしても、それが統合にまっすぐに繋がっていくわけではないことに注意が必要だと思います。

一花 この指標だけで何か目標をたてていくのは馴染まないと、発表の中でも申し上げたとおりです。指標の限界を認識した上で、この指標がどのように動いていくかを長期的にウォッチしていく、そういうものとして指標を理解する。そういう前提と限界を押さえておくことが必要です。

本日議論した「機会の平等」はすごく大事な概念で、幼児教育や保育の分野、困窮家庭への学習支援、失業した方の職業訓練やリカレント教育など、どの社会保障分野にも関わるものと思います。アメリカに来て勉強する中でも面白い概念だと改めて思ったので、発表の機会をいただいて、頭の中で整理になるとともに、指標の限界や、原因分析の重要性など、色々と示唆をいただきました。ありがとうございました。

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