見出し画像

年末エントリ 23-24

左耳で紅白歌合戦、右耳で明日の弁当が作られる包丁のリズムを聞きながらここ1~2年を振り返ることとする。改めて自分のnoteのタイトルを見返してみると「啓蟄」(長子出生)以来、現代思想の通読感想を書いたり、ハヤカワのアンソロジーをレビューしたりとそれなりに細々と書いていたのが、今年になって圧倒的に減速している。育児に可処分時間を消費しているというのは言い訳で、読書・執筆以外のコンテンツに傾斜していたというのが実態だったろう。

麻雀(22年1月)

いきなり雀魂から説き起こすことにする。

子育て界隈では有名だが、タカラトミーの株式を保有していると、同社ネットショッピングで割引が効くという優待がある。当時、妻が妊娠安定期に入ったタイミングで私も勇んで同社株式を取得したのだが、「タカラトミーの株式を取得した」ことを職場の後輩に話すと、以下のように慫慂されたものであった。
後輩「新婚生活 NO OWARI(鋭い)・・・どのように過ごすんですか?」
わい「忙しさの予想がつかん(新婚というほど初々しくはない)。愛おしむほどの実感が無い」
後輩「では、麻雀でも・・・(スッ

やや唐突感があるものの、そうしてアプリをインストールし、後輩との通信対戦から始めて徐々にネット対戦へと展開したのだが、見事にハマってしまった。学生時代に対人麻雀をしていた頃は打っている途中に寝落ちして同卓者に怒られたものだったが、アプリでやると一定の時間制限はあるものの落ち着いて打てることと、振聴だの待ち替えなどにアタマを使わなくても良いのでサクサクと打てるのが良いと思う。点数計算もしなくていいしね。ガチ勢たちに怒られてしまいそうなスタンスである。

長子が乳児の頃は3時間おきに人工乳を投与していたので、いかにして手を添えずに哺乳瓶を縦置きで固定しつつ空いた手でスマホをいじるかに執心していたのだが、投与終わりの縦抱っこへの移行やその後の片付けなどを時を置かず進めないと危険・非効率で対処が必要となり結局余暇が少なくなるので、プレイ時間20~30分間中断ができない麻雀は育児の友には合わないことが分かった。それでも無理矢理続けて吐き戻しの観測が遅れて妻に怒られるなど散々であった。

おとなりさん(22年5月)

22年の4月から文化放送で「おとなりさん」という番組が始まった。
長寿番組を目指して放送されていたが、惜しまれつつ24年の3月で打ち切りとなるらしい。

無料の範囲では、関西在住だとradicoを使っても関東圏の放送はタイムシフトできないが、幸い既にプレミアム会員となっていたので、最初の数ヶ月間、聴取していた。平日午前の帯番組で、毎日パーソナリティが変わるのだが、月曜日のコーナーで「いまさらアカデミー」という、その道のプロたちから月曜パーソナリティのアルコ&ピース 平子祐希氏が教えを受ける、という位置づけでゲストたちの仕事についてトークする体裁のコーナーがあった。

その5月末の回、上記コーナーのテーマが「麻雀」との設定で、プロ雀士の小林剛氏がゲストに来て、自身が参画している「Mリーグ」なる麻雀のリーグについて紹介があった。正直BリーグやらWEリーグやら、猫も杓子もアルファベットリーグですね、と食傷気味だった体育嫌いの私であったが、スポーツではなくボードゲームの類いである麻雀でリーグ戦というのは面白そうだなと、ちょうど雀魂にハマっていたタイミングもマッチして、ちょっと覗いてみようという気になったのであった。

Mリーグ(22年10月)

で、翌日からMリーグを観よう、とはならなかった、というかできなかった。というのもその時期はリーグのオフシーズンだったようで、上記で小林剛氏がラジオ出演していたのも、オフシーズンの宣伝活動の一環だったようだ。ただちょうどその時期に「ドラフト」なるイベントが開催されており、リーグ戦らしく選手を選抜するプロセスがあり、またそのプロセス自体が興行として押し出されていることに関心が高まった。

そこでYouTubeや5chなどを徘徊し、リーグに参加しているプロ雀士のキャラクターそれ自体や、雀荘スタッフやゲスト、最近では麻雀BARと呼ばれるキャバクラ風の業態を主要な収入源としながら、「近代麻雀」という月刊誌を刊行する竹書房や、麻雀対局の放送設備を整えたスタジオなどを勧進元としてタレント活動もするインフルエンサーであることを学んだ。

その過程で主要5団体と呼ばれ多頭乱立状態にあるプロ団体は、彼らの持ち出しにより運営される団体リーグ戦を通して賞金を渡すことはあれど、それはいわゆるゼロサムであり外から資金を調達するものではなく、あくまでも「誰が強いのか」を決めるための競技者団体であり(5団体それぞれ、エンターテイメントに従事するタレントたちを連帯させ、保護するマネージャー・組合的な性質と、そうした競技性との間のスペクトラムにグラデーションはあるようだが)、それだからこそ上記のようなインフルエンサー等としての個々人の収入源確保(マネタイズ)が要求されてきた、といった業界構造についてもおぼろげに見えてくる。

すなわちこれまでは「プロリーグへの参戦権を持った人」のことをを「プロ」と仮に呼んでいたのであって、プロスポーツとしてそれ自体がマネタイズされていたわけではない、Mリーグはいよいよプロスポーツ(麻雀は「メンタルスポーツ」というフレームに含みこまれるようだ)としての場を設けることで、プロ雀士たちをしてプロ活動のみで生きていかしめる試みとして画期的にスタートしたものだ・・・云々。

まあそういう能書きはともかく、いよいよ10月から開幕した第5シーズンのMリーグは楽しく観戦した。競技それ自体も、男女が混淆して同卓し凌ぎを削る絵面がフィジカルスポーツでは描写し得ないものとなっており物珍しかったし、実際に女性雀士たちが立ちはだかるおっさんたちを薙ぎ倒していくシーンはシチュエーションとして見応えがあると思った。その年のMVP(トータルで最もポイントを稼いだ選手)は女性になったし、1期前のシーズンもまた別の女性選手がMVPであったらしい。

麻雀を観戦する、という体験は自分に合っていると感じた。まず上述のようにアプリゲームは手を使わないとプレイできないので、両手を使う人工乳投与とは並行できず、行き詰まりを感じていた。一方で他人が麻雀をしているのを観ているだけで済むのは、ながらプレイにはちょうどよかった。ワイがやりたかったのはバラバラだった手牌をツモを経て秩序化していく過程なのであって、時にはオリも視野に入れながら点数を伸ばし・確保し、一着でも上を目指す競技という訳ではなかったのかもしれない、とすら思った。

さらに、視線を画面に向けられない寝かしつけ時であっても、実況が充実しているので、聞くだけでも十分楽しむことができた。野球中継をラジオで聴くように、卓の状況や、それに応じた正着・考えられる選択肢、さらに選手の心理やプチ情報までしっかり言語化して喋ってくれる。古舘伊知郎かよと思わせるような盛り上げ方はそれ自体がアーティスティックである。

そのようにして、寝かしつけのBGMをMリーグとしながら、私は日々寝落ちするようになった。耳に装着したドングリイヤホンは、寝室が寝静まった頃合いをみ、妻が回収して机の上に置いておいてくれる。かようなひとつのエコシステムが完成し、私は夜の余暇なき生活スタイルへと傾斜していった。

クイズチャンネル(23年春~)

実況の話をしたのは、プロ雀士の松嶋桃氏の話へと繋げたかったというのもある。Mリーグの公式実況は、上記でYouTubeを掲載した古舘伊知郎めいた日吉氏の他に小林氏、松嶋氏の3名で輪番制として担当されている(2023年末時点では小林氏は産休・育休中)。なお麻雀の実況というのはスポーツキャスターとかアナウンサーではなく、プロ雀士、すなわちインナーの人材が行うというのも、麻雀という競技の放送の特徴かもしれない。

私は上記3人の実況者の中で圧倒的に松嶋氏に親近感を持った。その理由は言うまでもなく、大学の先輩だからである。計算すると84年生まれで法科大学院まで行っている氏と私は、2008年の1か年だけ京都に居た時期が重なっていることになる(はずである)。私が一生懸命ベニヤ板の上に絵の具を塗りたくっていた頃、氏が近傍のどこぞの雀荘で麻雀漬けの日々を送っていたと考えるとなかなか趣深い。

そうすると、上記X(旧Twitter)のアカウント名に「Mリーグ公式実況」とともに記載のある「カプリティオch」とはなんぞや、という話になる。最初は所属するタレント事務所かなんかか?と思っていたが、調べると元クイズ王たちの運営するクイズチャンネルのようだった。おそらく試みに覗いてみるYouTubeチャンネルに対して誰しもが最初はそうするように、人気動画から再生してみると、「あら、松嶋桃おらんやんけ?」と戸惑うこととなり、そこで最新の動画を観てみると「ちゃんとおるやんけ」と安心することになる。翻弄されておる。(要は途中でメンバー交代があった、ということである。)

ともかくもクイズという形式自体は好きなので心の赴くまま(あるいは、アルゴリズムのオススメにしたがうよう)に色々と再生していくうちに、それ以外の男性出演者にもだんだんと愛着が湧いてきてエンゲージメントが高まっていく。そこではたと気づくのだが、この人たちの言っている「クイズ王」とか「クイズ作家」とはどのように定義されるモノなのか?分かっているようでハッキリわからんなと。

そこで、新奇の概念に接して困ったら現代思想の過去特集を参照する自己の慣性に従い、ユリイカ2020年7月号「クイズの世界」を手に取る。いつものように積ん読して寝かせることも無く、半月ほどで一気に読み切った(読了日23年7月27日)。半月を「一気に」と言うのかどうか違和感を覚えた場合は、このエントリのそもそもの趣旨が「読書量が減ってきた理由の説明」であったことについて思い出して欲しい。

クイズ王と聞いてまず思い浮かべるのは高校生クイズでドヤ顔の解答をするオタク男子たちであろうが、ユリイカ特集においてはクイズ業界というのがいかにテレビ番組と共犯関係に立ちながらその文化を深化させてきたかが時代ごとに語られ、高学歴の彼らが、一見「卒業」後にはクイズと無関係の職に就くように見えながら、やがて実は時代に応じ、テレビを中心に多くの人材が求められるクイズ関連の仕事へと回収され・引き込まれていくかが分かるようになっている。

カプリティオchの代表である古川氏も本特集に寄稿しており、そのことを以てまずは、当該chがクイズ業界内で”亜流というわけでは無く”、”一定の存在感は保有している”ことが客観的に確認できる一方、しかしその論説テーマは「クイズと謎解きの交点」というある意味で周縁的な話題に押し込まれていることから”決して中心人物でも無い”ということも同時に確認できる。

代わりに対談及び冒頭の論説を飾るのが、伊沢氏、徳久氏、田村氏といった東京大学出身者であったり、いまなお競技者として最前線にいる者(すなわち「クイズ作家」へと「卒業」していない者)であったりすることが、高学歴男性を中心とした知識による殴り合いの業界というイメージを補強している。(実際に論考等を通じて彼らがそのことに自覚的であることは伝わってくる。)

とはいえ、いわゆる彼らの言う競技者たちによる「競技クイズ」の経験を持ちながら、YouTubeを舞台にそれらの経験を武器にしながらエンターテイメントを制作する「クイズ系YouTube」はそもそも少ない。上記伊沢氏が代表を務める『クイズノック』というチャンネルが圧倒的ガリバーであり、カプリティオchはその次に来る、唯一の競合他社に布置されるように見える。

※松丸亮吾氏のchのような「謎解き」をテーマにしたchで、カプリティオchよりも登録者数が多いchはあるかもしれないが、上記論考のタイトルが物語るように「クイズ」と「謎解き」は別物と考えられているし、知識を引き出す「クイズ」と、知識自体は誰でも持っているもので、ひらめきによる解答を求める「謎解き」が違うものであることは直感的にも理解しやすいだろう。

※カプリティオchのスタッフである新井氏が率いる『朝灼けリパブリック』というchが、若い担い手によってクイズノック・カプリティオのフォーマットを継承する体裁の動画を制作しているが、新井氏以外の出演者たちの知識不足感は否めず、”クイズ王の凄さを実感する”というよりは、一緒に悩んで、たまには出演者より早く分かって優越感を感じて、という等身大路線に留まっている印象である。

松嶋桃氏が「参入」したのはそうした業界であった。動画内で「野良の物知り」と評される氏は、得意分野やひらめき問題では地頭の良さを見せつけるものの、「クイズ業界」のインナーたちの共有知のような分野から解答を導き出す設問では他の出演メンバーに大きく遅れを取っているように見える。いったいクイズ王以外の誰が、元素周期表の全部と、全天八十八星座の全てと、歌舞伎十八番の全てと、デリー・スルターン朝の全てと、ラシュモア山に象られた大統領の右から左まで順番に全てを記憶しているというのか!

とはいえ、勝機はある。クイズ業界のムック本・QUIZJAPANのvol16において(株)ニコリの荒井氏が語っているように、ジャンル「子育て」のクイズにおいて、女性解答者に対し、居並ぶ男性クイズ王たちがなすすべ無く敗れた逸話などは象徴的である。
カプリティオchにおいても女性が参画し、クイズ王のフィールドを荒らす、という景色は既に芽吹いている。以下の動画を観てみてほしい。私はこの動画でクイズ王たちが右往左往している姿が本当に大好きで、何回も観てしまう。

それで私自身も、試みに妻に「女性ブランドが答えになるクイズを出題してくれ」と頼んで、10問ほど出題してもらったのだが、見事に一問も分からなかった。答えを聞いてもいっかな馴染みがないので、そのときの問題の答えを今現在、ひとつたりとも覚えていない。
学校の勉強がわからない人の気持ちを疑似体験でき、自分の知識というのが所詮部分社会のローカルネタであることを思い知らされます。

ゲンロン(23年12月)

話が異常に長くなったが、上記で述べたように、『カプリティオch』の過去ログを通しで観たり、『クイズノック』の過去ログを通しで観たり、『朝灼けリパブリック』の動画を摘まんだり、松丸氏率いる『リドラの謎解きch』を人気順に辿ったり。
あるいはMリーグの牌譜検討配信や、Mリーガーが出演するバラエティchや、諸々の業界暴露chを漁ったり。

そのようにして、私の通勤スキマ時間は、YouTubeの視聴へと傾斜し、その時間を読書に充てることが次第に困難となっていった、ということが論証できたと思います。おまえは何を学んできたんだ、という問いに対する答えを延々と書いていたわけです。

で、年末に時間ができたので積ん読してたゲンロンvol12(2021年刊行)をようやく頭から順番に読んでいたのですが、そこでYouTubeを観て生活時間を消費していることに対する強烈な挑発の文章を読み、心を入れ替えようと思ったので最後に引用して終わります。ちなみに私はオタクたちの聖典たる『動物化するポストモダン』すら読んだことがないのでゲンロンを手に取ったのは完全に気まぐれでした。でも読んでみたら結構面白かったです。

しかし、である。ほとんどの場合、YouTubeの動画配信の報酬は、Googleが機械的に割り当てた広告によって発生する。広告主は私(の動画)に発注しているのではない。Googleに広告費を支払っているに過ぎない。彼らは支払った広告費が私の動画に使われるかどうかは知らないし、そんなことには関心を持たない。広告が視聴者に届けばそれでいい。そこには視聴者のコミットメントはもちろん、広告主のコミットメントもない。
こうしたゲームのルールの下で動画の再生回数を伸ばすためには、不特定多数の興味関心を幅広く獲得しなければならない。もっとも有効な方法は、人々の暇つぶしの本能をそそる内容に仕立てることだろう。かくして、芸能人や政治家のすべった転んだのスキャンダル、有名人の収入や人気のランキング、手っ取り早いカネ儲けや投資話、健康や美容の裏技、喧嘩や「どっきり」の大騒ぎ--こうしたコンテンツがYouTubeの主流となる。しかも、暇つぶしの視聴者は一つの動画をじっくりとは観てくれない。長くても10分程度の短い尺に収める必要がある。
それはそれでいい。暇つぶしや浮世の憂さ晴らしは今も昔も重要な情報財の役割だ。需要があれば供給がある。しかし、そこには文化はない。繰り返すが、文化的な情報財は人々の心に残り、何らかのポジティブな影響が長く続くものでなければならない。インスタントに興味を惹いて、すぐに価値が減衰し、あとには何も残らないような情報は文化とは関わりがない。文化的情報財は微分値の極大化を志向しない。文化の価値は時間軸上での積分値の大きさに表われる。文化はあとから効いてくる。

無料についての断章 楠木建 ゲンロンvol.12 P124~135

さてこうしたエスタブリッシュな視覚に対して、プロ雀士たちは、あるいはクイズ王たちは、どのように答えるのか。
あるいは私は、彼らから何を「文化」として受け取るのか
それを考えるために、まずはここ2年の思考を整理するよすがとして、結局正月休みも最終日になるまでカタカタとキーボードを叩いていた、ということで、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?