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産業医からのにじいろ処方箋(#9 LGBTQ+の人を病院に行かせるべき?)

LGBTQ+は病気であり、治療すべきという思想

私は産業医としてこれまでも、少なくない数のLGBTQ+の労働者に関する相談を受けてきましたが、その中でも最も衝撃だったものの1つが「部下がカミングアウトしたのだけど、病院に受診するように指示すべきか」という上司の方からの相談でした。
(ケースは現実をもとに再構成したフィクションです。)

上司の方はLGBTQ+に対する強い差別意識があるわけではないものの、"「普通ではない」=「病院で医師に話を聞いてもらい診断を受けるべき」"と理解されていた様子でした。部下のために何かをしてあげたい、という純粋な思いやりから出てきた発言であることは私も理解出来たのですが、LGBTQ+を「病気」とみなす固定観念の強さには驚いてしまいました。

政府与党の自民党議員の多くが参加した会合で配られた冊子では「同性愛は精神の障害か依存症」とする記載があったとの報道もありました。

また、山梨の県議会では

「病気といったら悪いが、県の施策では理解をしよう、理解の促進をしようという施策が多いが、これに対して普通に戻していくという取り組みが、あまり見受けられないが元には戻らないのか」

とLGBTQ+を病気であるとみなし、治療をすべきではないかという発言があったと報道されていました。

実はこのような思想は世界中で多く見られています。
どうして、LGBTQ+が病気として見られるようになり、治療の対象として病理化(医療化)すべきと考えられるようになったのでしょうか。
この記事ではLGBTQ+の中でも特に、同性愛への認識について歴史を紐解いてみたいと思います。

宗教から科学への転換の間で

古来より多くの宗教において同性愛は非道徳的な存在として扱われてきました。厳格なイスラム国家では21世紀の現在でも死刑を始めとして同性間での性交渉が犯罪化されています。
またカトリック教会のトップであるローマ教皇庁も罪を祝福することは出来ないとして同性婚に反対の立場を表明しており、同性愛を不道徳とする考え方が今も強く残っています。

これらが宗教・道徳上の問題ではなく、病理化されるようになったのは19世紀頃と言われています。宗教・道徳という側面ではなく、医学といった科学的な側面で同性愛を捉えるという流れが出始めます。

ドイツの精神科医であったRichard von Krafft-Ebingは19世紀の後半に同性愛は「変性疾患」であると見なし、生殖に結びつかない性行為は全て背景に精神病理的要因があると考えていました。

20世紀前半に活躍したフロイトは上記の考えとは異なり、全ての人は元来バイセクシュアルであり、異性愛への発達段階でとどまってしまった者が同性愛者となると考えていたようですが、これも同性愛者を一種の病的状態(未発達状態)とみなす考え方でした。
(厳密にはフロイト自身は同性愛を病的とはみなしていなかったと言われていますが、後世のフロイト派によって病理化・治療対象とする試みが加速していきます。)

医学界における病気としての同性愛の変遷

1952年にはアメリカ心理学会(APA)は精神疾患の診断システムであるDSM-1で同性愛をsociopathic personality disturbance(社会病質人格障害)、つまり病気として取り上げました。
1968年には改訂版であるDSM-2が発行され、性的逸脱として再度分類されています。

1969年にはストーンウォールの反乱が巻き起こり、米国全体で同性愛者の人権活動が大きく盛り上がります。精神病理として同性愛者をみなすことがスティグマを増強しているとしてAPAでも当事者による抗議活動が激しく行われ、1973年にはDSMから性的逸脱といった文言は削除されました。
しかし、その後もSexual Orientation Disturbance(性的指向障害)といった表現でDSMには掲載され、完全な脱病理化とはなりませんでした。
この際には「性的指向自体は病気ではないが、本人がそれを苦痛に感じ治療を望む際には病気として扱う」という極めて微妙なスタンスが取られました。これは社会での無理解を矮小化し、暗に異性愛規範の元で転向療法を正当化するものでした。

1987年のDSM-3-Rの中では"sexual disorder not otherwise specified"の中で性的指向に葛藤を持つ人について挙げられていましたがDSM-3-Rをもって脱病理化が成し遂げられたと一般的には捉えられているようです。
2013年のDSM-5においては完全に性的指向による病名が削除されています。

WHOのICDにおいても1990年にICD-10が同性愛の分類が削除され、脱病理化が達成されました。

脱病理化の影で広がった転向療法

脱病理化を指向する中で性的指向を同性愛から異性愛にするという転向療法が広く行われました。主には一部の宗教団体によって推進され、多くの被害者を生んだと言われています(サバイバーのインタビューはこちら)。電気けいれん療法や嫌悪療法(「望ましくない」性的な魅力を感じた際に、催吐薬で嘔吐を誘発させることによって嫌悪感を植え付ける手法)などの方法が用いられ、科学的な根拠のない疑似科学あるいは虐待という他ありません。

異性愛者の人がカウンセリングを受けることで同性愛者になるかというと難しい、というのは感覚的に理解できそうなものなのですが、これが逆になると理解されないのは不思議なものです。

イギリスで行われた2017年の調査研究ではLGBTの5%が性的指向や性自認に関する転向療法にについて打診されたことがあると回答し、2%が実際に治療を受けたと言われています。

実際には転向療法についての研究のレビューにおいても、転向療法で性的指向や性自認に関して変化することはなく、有効性は明らかではないと結論付けられています。また、有効性が欠けているだけでなく、主観的な希死念慮や抑うつ気分などのメンタルヘルス指標の悪化を引き起こすことが明らかとなっています。

転向療法についてはAPAもレビューを実施しており、有効性を裏付ける根拠はないと結論付けています。

また、2022年にJAMA Pediatricsに掲載された論文では、2021年の1年間で米国の約50万人の若年者が転向療法を受けた可能性があると推計しており、転向療法を受けることにより抑うつ状態、違法薬物使用、自殺未遂が増加することが示されました。さらに、$650.16 M(約880億円)が治療に費やされ、これに関連する経済的損失は$9.23 B(約1.2兆円)にも及ぶとされています。
一方でAffirmative therapyというありのままの性的指向について肯定的にとらえる治療を受けた場合には抑うつ、違法薬物使用、自殺未遂の頻度が下がり、$709M(約940億円)の治療費がかかるものの、$1.81 B (約2450億円)の経済損失抑制効果があると見込まれています。

このように転換療法は費用がかかるだけではなく、「治療」を受ける本人に苦痛を与え精神的な危害を加える危険な行為です。一方で、肯定的治療を受けた場合には精神的なウェルビーイングに結びつく可能性があります。
これらのデータからも性的指向を変えようとするのではなく、受け止める方向で支援するべきであると考えるのが医学的にも自然ではないでしょうか。

世界に広がる転向療法禁止の流れ

こういった転向療法の有害性が知られることとなり、米国の20の州では未成年に対する転向療法が禁止されています。
ブラジル、インド、カナダ、ニュージーランド、ドイツ、台湾、アルゼンチン、イギリス(イングランド+ウェールズ)など、多くの国で同様に未成年に対する転向療法を禁止する法令が施行されています。
日本では特段の法整備がなされていないのが現状ですが、そもそも問題が可視化されていない段階です。実際に、私もある宗教団体が、LGBTQ+への理解を深めるという表向きの理由で、転向療法をすすめる内容のビラを配布していたのを見たことがあります。表立って行われていないだけで、日本でも声を発することが出来ない被害者がいることを想定しておく必要があると考えます。

【宿題】LGBTQ+は治療すべきか?

ここまでLGBTQ+の中でも特に同性愛に焦点を当てて、宗教的なタブーから病理化への変遷、医学界における脱病理化の流れ、転向療法の科学的な有害性について、世界の転向療法に対する規制の潮流を紹介してみました。

これらの背景を知った上で、

山梨県議のように

「病気といったら悪いが、理解の促進をしようという施策が多いが、これに対して普通に戻していくという取り組みが、あまり見受けられないが元には戻らないのか」

という相談を産業保健専門職として受けた時にどのように説明するでしょうか。一度考えてみていただけると嬉しいです。

参考文献


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産業医・産業保健職を主な対象として、企業の人事・労務担当者に知っておいてほしいLGBTQ+の基礎と健康問題、インクルーシブな職場作りへのヒ…

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