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7年ぶりの訪韓ドタバタ劇【3】今のバスから昔の電車へ

 実に7年ぶりのソウル訪問、前座だけでもういっぱいいっぱいでいっこうに前に進まず…

 仁川空港での「入国」から3時間半、まだソウル駅から出ていないのはさすがに歩が遅すぎる…とソウル市内の「予定第一行程」へと進みます。

ようやく目にする「ソウルのまち」……ただいま!

 ソウル駅から各地への移動は、ほぼバスでした。景色が見たいのと目的地に直行できる路線が大抵あるから。

463番のバスなら一直線

 目的地の往十里駅前まで、地下鉄で行けば1回乗換ありで地下まで降りて昇って乗継待ちを含めて25~30分、地上からサクッと乗れて最短経路を通り乗換なしで街並みや人々の様子を見ながら35分なら、そりゃバスでしょ!ということで463番市内バスに乗り、往十里まで。

さて463番はドコだ?と探し出して乗ります

 463番バスは、ソウル駅から南大門市場~明洞の南側を経てソウルの東へと進みます。南大門の南側までは近年高架道路を公園街路化した「ソウル路7017」を見ながらの車窓。昔の若干薄暗く煤けて見えた車窓とは全く違っています(上の動画)
 そして南大門を抜け明洞を見ながら、退渓路を東へ進んでゆく463番バス。中心市街を出てちょっと生活感が出てくる車窓(下の動画ふたつ)も楽しく…

 さあ、着いた着いたぞ往十里の駅!

 往十里駅。ここは昔、国鉄の駅にソウル市内からの市街電車と郊外への私鉄電車がやってくる「のりかえターミナル」でした。今も鉄道公社と地下鉄で4路線が入ってきて百貨店も入居する乗換ターミナルとして賑わっています。

 昔は三角屋根が印象的なカワイイ駅だったそうで(映画のシーンに残っているそう)、このときは廃止されていますがこの駅前を私鉄電車が横切り、カメラの位置のうしろ辺りに市内電車乗り場があったと…

1970年代の国鉄往十里駅
1953年撮影の京城軌道往十里駅(右背後に三角屋根の国鉄駅舎が写っています)

 京城軌道は、ソウル東大門から清渓川沿いに東進して往十里に入り、ここから当時の郊外拠点市街だった纛島(今の聖水洞南部)そして広壮里(今の地下鉄5号線クァンナル駅辺り)まで走っていた小さな私鉄電車。日本の敗戦による引き揚げ後も運行され近代化への一歩も踏み出していて、場合によっては日本の私鉄電車のような存在に(京王線や阪神電車などは路面電車規格から今の姿に)なっていたかもしれないのですが、朝鮮戦争による被災と長期運休で荒廃、近代化への芽は結局伸びず1966年に運行停止となりそのまま廃止となりました。

営業最末期の様子(消毒噴霧車として運行中・ソウル市写真アーカイブより)
運休期間中に線路端をバラック街にされてしまったそうで…

 この京城軌道の線路跡はけっこう各地に路地として残っているのですが、今回の訪韓ではこれまで見られていなかったこの路線の「痕跡」を見ようと、往十里駅へやってきたのです。

ここが京城軌道往十里駅跡
ホームが今の道路、右側の国鉄駅貨物扱場が今の駅ビルと…
駅のこんどは南側、いまアパートが建っている場所が京城軌道の車庫・工場で
その横を廻り込んで線路は国鉄線の「先」へと…

 私鉄電車運行当時を偲びながら歩を進め…

 やってきたのはこのトンネル。ここを、電車が潜って纛島へと進んでいたという…

このカーブが電車線路跡らしい雰囲気…かな?
事業記念プレートがありました

 ここで私鉄電車が国鉄の線路を潜っていたのは確かなんですが、なんか昔の地図と角度が違うような…と思っていたら、盆唐線新設でこの区間の路盤改変があり、その際に線路跡のままだったトンネルから今の二車線+歩道つきの新トンネルに切り替えられ、そのときに近くの漢陽女子大学の産学共同で「歴史を残し光をあてる」事業として旧京城軌道のトンネルだったことを記録しトンネル壁面の装飾も工夫した、ということなのですね…

それで昔と角度も幅も高さも違う、のか…

 色々と状況は見聞きしてはいましたが、案内プレートと現状を見て「ああ、そういうことなのか…」と。やはり実地を訪れると、何かしらの発見があるものです…

 日暮れだしどうしようかと思ったけど、やっぱり、来てよかった…

つづきはコチラ

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