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何故か1泊することになった釜山 その2

 本来の予定が急遽変わり、1泊することになった昨年の釜山旅行。ちょうどその時、釜山の街の勃興について調べていたので、せっかくだからそれに関するところを廻ろう…ということで、まずは釜山エリアの古代都市・金海市を訪れました。思った以上の街の姿に「なるほど」と思いながら、釜山の街へと向かうことにしたのでした。

 金海の街から乗ったのは、釜山市バスの急行系統1004番。金海市と釜山の市街地をダイレクトに結び、約10分ごとにやって来るインターバンなバス。ハイバックのリクライニングシートという、日本だと近中距離高速バス的な車両で、釜山市街を目指します。

 バスは金海市の市街地を抜け、新設された軽電鉄や釜山地下鉄3号線の高架下を進みます。田園地帯に、駅が出来た場所だけ「平た~い」ロードサイド新市街が出来ている様子が、これまた韓国というかアジアチックな光景。日本とは、また違った雰囲気なんですよね。

 そんな光景を車窓に流しつつ急行バスは進み、洛東江を渡るといよいよ釜山エリア。

 インターバン、都市間連絡なバスとはいえ、車窓は結構生活感がガッツリと。生活の匂いが、バスの窓から漂ってきそうです。

 釜山西部のまちを、インターバンな急行は進みます。

 バスはここから釜山の西部と中心部を隔てる山に挑みます。まあ、挑むと言ってもトンネルでぶち抜くんですがね。既存の鉄道や地下鉄が谷筋の「まち」を縫うのに対し、急行バスはトンネルですっ飛ばします。これが、急行たる所以ですかね。

 トンネル手前で少々の渋滞がありましたが、抜けるとそこは、もう中心部エリア。貨物駅の先は、西面の街。

 いま釜山きっての繁華街となっている西面の街、歴史はかなり浅く、1985年の地下鉄1号線開業に合わせたバス路線再編で「地下鉄・バス乗継拠点」とされたことで人の集まるエリアとなり、1995年にロッテが百貨店とホテルの複合ビルを建てたことで一気に成長した街。いまや釜山の都心みたいな位置付けになっていますが、新市街なんですよね。
 さてバスは西面を過ぎ、進路を南に変えます。

  車窓に現代百貨店が見えました。ここは、汎一洞、いまの釜山エリアの「近代の基礎」のひとつ。釜山港のいちばん奥、中世に「倭館」と呼ばれる日本の租界が置かれ、日本統治後は日本資本の巨大な紡績工場(朝鮮紡績・朝紡)が作られ市街化していったという、日本との関係が濃厚な街。紡績工場にかかる中小アパレル工場や女工さん向けの小物・宝飾店などが出来、日本敗戦による撤退後は1960年代に釜山鎮市場が移転してきたことで、繁華街としての地位を保っているそうです。

 この釜山鎮「新市場」、釜山最大の繊維市場だそうです。朝紡の歴史は、今に伝わるといったところでしょうか。
 バスは、さらに進みます。

 鉄道の線路を乗り越えると、いよいよ釜山の「港エリア」。とはいえ、車窓には、山がぐっと近づいてきます。釜山は、海の街であり、山の街。急行バスは、草梁、釜山駅へと進んでゆきます。

 到着しました、バス終点間近の釜山駅。バスはこの先、少し走って駅裏側へ回り込んで釜山港のターミナルまで行きますが、私はここで下車。
 釜山駅周辺は、その昔は草梁と呼ばれたエリアで(少し北に地下鉄草梁駅があります)、近世に倭館が置かれ、日本統治時代には日本と朝鮮を結ぶ船が着く港湾エリアとして開発された場所。ここも、日本が、開発した場所。あそこも、ここも、日本が関係する。それが、釜山の街なのですね。
 ここで一旦宿にチェックインし、改めて釜山鎮市場へと向かいます。

 市内バスに揺られ、戻ってきた汎一洞、釜山鎮市場の街。大昔は、温泉へ向かう軌道の始発駅があった街。そして朝紡で栄えた街。その面影を、裏道に求めて。

 ありました、チョバンミルミョン。

 ミルミョンチョンムンジョムと大書きされた下に小さく、屋号が書かれています。チョバンミルミョン。漢字で書くと朝紡麦麺。あの朝鮮紡績の名が、今に残る店です。

 店に入ると、入口近くはテーブル席ですが奥には板張りの座敷が。タワー型冷房機に雑な置き方のテレビ、微妙な柄の壁紙にシンプルなのに大きく書かれたメニュー。あぁ、これぞ、韓国の食堂!あとは創業者の写真があれば完璧なのに(苦笑)。とまあそんなことはともかく、麦麺・ミルミョンをいただきましょう。

 冷麺系のお店には必ずと言っていいほどある、飲み放題スープ。肉の旨味が程よく出た温かいスープで、身体がほっこりします。あとひく美味しさで、いつもついつい、飲み過ぎてしまいます。
 厨房の奥では、製麺中。出来立て麺を茹であげて、キリっと冷やされて、出てきます。

 やって来ました、麦麺ミルミョン!見た目は、いわゆる水冷麺ですが、そうです、これは水冷麺なのです。

 ミルミョンの起こりは、朝鮮戦争。戦火から逃れようと、北部から釜山へと逃げてきて帰れなくなった人たちが、故郷の冷麺を食べたいと思うも戦後の混乱で麺の材料となる蕎麦粉や芋の澱粉は釜山では入手困難。そこで米軍が支援食糧として持ち込み、手に入れやすかった小麦粉を使って「冷麺を再現」したものが、このミルミョン。

 小麦粉で作られた理由や、店名の由来など、釜山の歴史そして悲哀が、この麺のように折り重なり山となり、その頂から溢れる赤いマグマを鎮めるかのように、冷やされた一杯。その重みを感じながら、ぜ~んぶかき混ぜて、渾然一体となったところをゾゾゾとイタダキマス。

 おいしすぎて手ブレしました。いわゆる冷麺のひんやり美味しいスープに、日本人には馴染み深い食感の麺。おいしいですよ。間違いない。スープも薄味ながら赤いタデギ(薬味ダレ)が効いて味が引き締まり、気が付けば、こんな状態に。

 あ~、おいしかった。

 食後は、すこし釜山鎮市場の周りを散策してから、次の街へと移動します。

(つづく)

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