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知らない、恐さ。

気になったことがあり、調べていたら出てきた、自分のツイート。

ソモリクッパ(牛の頭部の肉を使った煮込みスープ料理)のことを改めて調べていたのですが、元々その存在を知ったのは2016年9月の韓国旅行で広州市に行くことになり、何か名物はないのいかな…と軽く検索したのがきっかけ。ソモリクッパと陶磁器(朝鮮青磁・白磁の産地)というざっくりした情報があり、地域の中心市街地なら何かしらそれらしいものがあるだろうと呑気に考えていました。日本の感覚で。

しかし現地に行くと、結構しっかりとした中心市街地の割には、陶磁器に関係するものも無ければ、ソモリクッパらしきものをアピールする店も、無いのです。

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不思議だなぁ、何でだろう。今は作っていないにしろ陶磁器に縁があるならそういうお店とか土産物くらいあっても良さそうだし、キャラクター好きな韓国だったらソモリクッパの牛キャラくらい居てもよさそうだけどなぁ…。博物館的なものも市街地には無いみたいだし、なぁ~んか、冷めた街だなぁ…と思いながら歩いていました。

知らないって、「こわい」ものですねぇ…。

今なら分かります。そこに何もない理由が。
そもそも、この街は「日本統治下で新しく出来た」のだから。


この街がある地区は、旧廣州郡。1918年(大正7年)発行の地形図で、このエリアを見てみましょう。

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いま広州市の中心市街となっている場所(青色表記部分)には、特段の市街地らしきものは示されておらず、京安という農村的な集落のようです。そして図の上部に黒くなっている場所があります。拡大してみましょう。

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しっかりと、市街地が示されています。しかも、郵便局や郡役場まであります。かなりの山の上というかほぼ頂上なんですが、こんなところに市街地…?

実はこの「山上都市」が、昔の廣州郡の中心市街でした。朝鮮王朝時代に首都防備のための山城が築かれ、同時にここに役場に相当する施設を置き、要塞兼地方都市という形態にしていたそうです。山城の存在は知っていて、観光地だという認識はあったのですが、ここに小さいながらも都市があり、郡の中心市街だったとは知らなかった…。

これに気付くきっかけになったのは、とある地方私鉄のことについて色々と調べていく中でのことでした。

鉄道は、インフラのひとつ。他の交通や当時の街の様子なども調べることになります。さて廣州郡の状況は…と色々と見て行く中で山上都市に気付き、当時はこんなところに郡の政治的中心地があったのか、と驚いたのです。

では、何故この特徴ある都市が消え、何故いまの市街はそこに在るのか。
それは、日本統治時代の近代化政策によるものでした。


朝鮮王朝時代は陸路の広域物流網は未発達で、川を使った舟運が物流の主体。しかし身軽な徒歩移動の旅行者や役人たちは坂道をさほど苦とせず山越えルートでショートカットし、雨が降って増水したら通れなくなるような川筋より山越えの方が「ある程度安定して歩ける」合理的なルートだったりしたようです(これは日本でも同様で大きな川を幾つも渡る東海道を避けて山越えとなるも大河川の影響を受けにくい中山道を行き来する人も多かった)。なるほどそういう時代だから山城の城内に郡の拠点が存在しえたのですね。

 しかし近代化で交通環境が変わり、自動車の走れる道路網が整備されてゆきます。朝鮮半島の国道1号線は、京城(今のソウル)から現在の河南市を経て山を廻り込む形で京安に至り、そこから大邱・釜山へと続く形で制定されました。そうなると、自動車でのアクセスが困難な廣州の山上都市は不便なので、1914年から17年にかけて都市機能を山上から京安に移して廣州郡の新しい中心市街にすることにしたのです。それが成長し今の広州の街になるのですね。

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ということで現在の広州市の中心市街地は、ある意味1910~20年代に人工的に作られた街であり、日本統治における新制度を象徴するような存在でもあったのでしょう。廣州郡の各地が積み上げてきた歴史ではなく、日本が日本の都合で描いた近代国土像に基いて「都市とされた」場所なのですから、朝鮮半島の歴史に根差したものは、ある意味「なくて当然」なのでした。

それを知ったうえで、改めて、自分のツイートを、見る。

事情を知ってしまえば、無茶苦茶でありますね…。
それを日本人が無邪気に「なぁ~んか残念」とか言っているのが、また何とも複雑な感情になります。自分のことながら…。

ちなみにソモリクッパの名所は昆池岩地区で、農家の御嫁さんが病弱な夫を気遣って煮込んだ肉スープ料理の味が有名になったもので、陶磁器は広州郡北部の漢江岸辺にある分院地区で興り王族の庇護も受けたが良質な粘土を求めて現在の利川市新屯地区へ拠点が移転したそうで、これらの過程を以て現在の広州市街地・昔の京安は「ほぼ関係が無い地」なのですね…。

韓国の旅行は、手軽に行けて治安も良く食べ物もおいしく、とても楽しいものですが、彼の地では彼の地の事情があり、それには日本が関わっている微妙なものも、たくさんある。改めて、気持ちを引き締めなければ…、と。

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