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勝利は一瞬、技術は一生②

01. 失敗をした大学1年生

「とにかくチャレンジした」と言い切れる1年間だった。

高校の時とはメンバーもサッカーのスタイルも、メンバーの能力も異なる中で、どう自分がチームにコミットできるのかを模索した1年間だった。

メンバーが不足していたこともあり、希望の前線のポジションではなく、サイドバックを担当することがほとんどだった1年間。けれど、いて欲しいところにいない。サポートが思うように来てくれないなど、ベクトルを他人に向けてばかりいた。

大学1年生からサイドバックで出場。

事実、ボールを持っては失い、失点に絡んだりもした。1枚は剥がせても2枚目で取られることがほとんどで、チャンスはおろか、ピンチメイクをたくさんするプレーヤーになっていた。

でも、自分の代で勝つという何となくの目標があったため、この一年はチャレンジし個力を伸ばす1年にしようと思っていた。


だから、周りに何を言われようとも自分らしさを崩さず、なりたい姿に向かってチャレンジし続けた。この時に僕が意識していたのは、ドリブルとチャンスメイクだった。2枚目にも取られない技術。ハマっても抜け出せる技術を身につけ、均衡した状態を打破できる選手になりたいと考えていた。


何度試合で取られようと、スタイルを捻じ曲げず、機会があれば必死にチャレンジした。自分のせいで負けることもあった。でも、1年生最後の試合である、旭川大学との試合(3部リーグ1位でメンバーの9割が旭川実業出身者)だった。

途中で出場した自分は、同じ1年生へのアシストで逆転に貢献した。

これまでのスタイルを、失敗を成功に変えられた瞬間だった。

アシストをする瞬間。利き足ではない左足でのボレーで裏へのパスだった。


02. 技術を身につけた先に得たこと

 1年生の時、負けた試合は大体僕の責任だった。僕のミスからの失点が多く、本当に先輩方には迷惑をかけたと思う。

それでも卒業の際には「ありがとう」と言っていただけたこと、最後まで僕にチャンスをくれたことには、本当に感謝しかない。


けれど失ったものばかりではなく、得たことの方が僕には大きかった。

中学〜高校で身につけた基本技術が試合で使えるものとなったのは、明らかに大学での試合経験があったからだ。


プレッシャーが早くても、中盤でもサイドでもある程度自分らしくボールを持てたり、1枚2枚剥がせるようになった。2年〜4年生では前のポジションでプレーできるようになり(トップ下やサイドハーフでプレー)、アシストや得点が非常に増えた。実際にチーム内のアシスト王、得点王を取ることができた。

試合で使える技術を身につけて得たことは、いくつかある。


①判断の幅が広がった

 パスもできてドリブルもできるため、相手からはどちらを選択してくるかわからなく、距離が生まれ、自分が持ちたいようにボールを持てることが増えた。
 また、ボールを持つことに恐怖心がなくなったため、周りを見る余裕や時間が増えた。


②適応しやすくなった

 パスもドリブルも、状況に応じてできるようになったため、どんなサッカーでもある程度理解さえすれば、適応できた。パスサッカーでもドリブルを使えばテンポが変わり、ポジティブな影響をもたらせるようになった。

さらに、ある程度どのポジションでもこなせるようにもなった。


③サッカーがより楽しくなった

 ボールを持つことへの恐怖心がなくなった時から、ボールを持ってチャレンジすることが本当に好きになり、もはや失敗さえ楽しくなってきた。どんどん得られる新しい感覚や気づきを得たくて得たくてしょうがない、そんな状態だった。

細かいところに目を向けたらキリがないが、失敗をしてもチャレンジするだけでなく、どうしたら上手くなるか、もっと上手くできるかを考えてたどり着いた先には、必ず充実感と、一生の技術が身についていた。(もちろん、僕より上手い選手はたくさんいるし、まだまだ僕も成長の途中だから完成したわけではないけれど。)


引退試合でのシュート。2得点を決め、ハットトリックを狙っていたが、このシュートはキーパーのスーパーセーブによってゴールとはならなかった。


03. だからこそ伝えていきたいこと

 中学時代に関わってくれた全ての人のおかげで華々しい経験ができた僕だけど、高校から大学1年生までは決して順調なサッカー人生ではなかった。

その時期を乗り越えたからこそ得た感覚や形成された価値観を、次は指導者として伝えていきたいと思っている。

それは、タイトルにもあるように


「勝利は一瞬、技術は一生」


であるということ。

自分が監督として指導した2年前。
楽しみながらも技術をしっかりと身につけるトレーニングを中心に練習をしていた。

これまでの経験を通して、小学校はサッカーを好きになる期間であり、ボールを持つことの楽しさ、上手くなることの楽しさを感じる世代、中学は徹底した技術(ボールコントロール、メンタル、フィジカル)を磨きながら試合で使えるようにする世代。高校は技術をさらに磨きながら、それぞれのスタイルに合わせて適応させ確実なものにしながら勝利を目指し、より自分らしさを表現する場所。大学は、自分の目的に沿って自分を高め表現する世代。そう捉えている。

スキャモンの発育曲線を完全に信じているわけではないが、幼い頃にどれだけボールを触ったか、失敗をしたか、そこから学ぼうとしたかが、その後の成功の種となり、いずれ大きな花を咲かせるためのきっかけとなる。

幼い頃から勝利にこだわり、失敗やボールを持つことを怖がっていては、種どころか可能性すら潰してしまう。

怒鳴ったり、選手のプレーやチャレンジを否定しては、技術はおろか、サッカーを嫌いになってしまう可能性さえある。

アメとムチをバランスよく使い、選手の心にある火をどれだけ燃やし続けられるか。


それが大切だと思っているし、今花を咲かせるのではなく、じっくりじっくり、より長く綺麗に咲き続けられる花を、僕は育てたい。

そう心から思っている。

だから、中学生を指導している僕は、勝利を第1に目指すのではなく、チャレンジと失敗の機会をより提供し、一人ひとりがサッカーを、ボールを持つことを楽しく思えるように、粘り強く指導していきたいと思っている。

鳥かごという練習の鬼を決めるためにチーバル(指スマ?)をするシーン。
小学生から中学生になると体格や雰囲気が変わるため、馴染めない子もいる。
だから、厳しさもあるが、なるべく楽しい環境を意識していた。


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