認知症における記憶障害から生じる「初めてのこと」「何者か分からない」への不安感
認知症の基本症状として「記憶障害」がある。
これは老化による物忘れとは少し違う。老化による物忘れは、分かりやすく言えば「覚えているけれど出てこない」という状態であり、本人も歳をとったから物忘れがひどくなったと自覚がある。
しかし、認知症における記憶障害は、記憶というプロセスのどこかに支障が出ている状態であり、本人にその自覚はない。「思い出せない」というより「記憶していない」と言ったほうが適切かもしれない。
そもそも記憶とは、外部の情報を受け付けて、その情報を保管し、記憶した情報を引っ張り出すという3段階のプロセスに分かれる。
データ活用におけるインプット(入力) ⇒ セーブ(保存)⇒ アウトプット(出力)という考えで差し支えない。
この3段階のいずれか、または複数の段階で支障が出ると、記憶という機能は果たせなくなる。
そのため、認知症の方にとって、目の前の出来事がすべて「初めてのこと」になる場合もある。
――― 誰でも「初めてのこと」は不安である。
例えば、新卒または転職して初めて出勤する職場は、誰だって緊張するだろう。自分はここでちゃんとやれるのか、失敗したらどうしよう、分からないことを聞ける雰囲気かな・・・このようなことを考えてしまう。
これは認知症の方も同様である。
目の前に起こっている「初めてのこと」に対して、認知症の方は自分の身の置き場が分からない、ここで何をすればいいのか(させられるのか)も分からない、誰が連れてきたのかも分からない・・・という不安な状態なのだ。
言い方を変えれば、その場における「自分」が何者か分からないのだ。
これは映画などでよくある、目を覚ました主人公が「ここはどこだ?」「自分が誰か思い出せない」と混乱するシチュエーションと同じだと思う。
映画の主人公はこのようなとき、自分がいる空間を見渡したり、身の回りのものに触れたり、その場を出てさまようといった行動をとる。それらの行動はすべて、自分のことや自身に起きていることを明らかにするために手がかりを探しているからである。
自分が何者で、なぜここにいるのかという記憶がないからこそ、その不安を解消するために抗おうとする。
しかし、周囲からすれば「何であんなことをしているのだろう?」と不思議に思うかもしれない。それは、その人たちが当人の状態や身に起きていることを知っている(記憶している)からだ。
このような双方の記憶と認識の食い違いから、認知症の方の振る舞いを「問題行動」とすることがある。そうして、何が起きているの分からない当人に対して理解させようと理屈で説得しようとしたり、落ち着かせようと元いた場所に戻そうとする、そんな物語。
ハッピーエンドやオチなんてつかないし、伏線もない。きっと映画化したら酷評だろう。そんな物語が介護現場では起きてしまう。
こんなつまらない物語を生み出さないために、介護者は認知症の方の不安に寄り添うことが望ましい。
具体的には、人間の記憶というもののメカニズムを知り、認知症においてそれがどのように支障が出ているのかを知ることが第一である。そして、その人ごとに記憶の3段階のどの部分に支障が出ているのかをトラブルシューティングするのだ。
これがスキルとして修得できると、記憶障害が進行している認知症の方との関り方やケアが楽になる。完全に感情的にならないとまで行かずとも、考え方として「ああ、人間の記憶ってこうだもんな」「認知症の症状として不安なんだよな」と考えやすくなる。
――― 本記事は、認知症の方の目線に重きをおいて、当人の記憶障害とその不安感を、新しい職場で働くときの心理や映画の主人公の視点を例えにお伝えしてみた。
拙い記事であったが、何かの参考になれば幸いである。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。
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