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「書くことがない」と気を病む前に、「言語化」してみる

文章を書くことに苦手意識を覚えている人は非常に多い。書店を歩くと文章の書き方に関する参考書はたくさん出ているし、インターネット上にも多くの悩みに応える記事も少なくない。

日常であれば文章を書く機会は少ないだろうが、文章の書き方について悩みが出ることは、少なくとも個人の文章力を向上したいという気持ちがあるからだろう。それはブログや執筆活動をする機会がある背景もあれば、仕事において文章作成という業務をこなすためなど、事情は様々だろう。

それにしても、なぜこのように文章の書き方を指南する情報があるにも関わらず、文章を書くということに苦手意識がある人が多いのだろう?

おそらくだが、文章を書く目的である「伝えること」への認識が薄いことが根本的な要因としてあり、そのうえ文章はカタチに残るため「ちゃんとした文章にしなければ」という意識から、「伝えること」という目的よりも見栄えを良くすることが優先されてしまうからと思われる。
人間は承認欲求やら自己肯定感やらを満たしたい生き物なので仕方がないと言えるが、表面的なものにこだわるのは終わりのない戦いを強いられるのと同義である。つまり、いつまで経っても「ちゃんとした文章にしなければ」という縛りから解放されないまま、文章の書き方が分からないという苦手意識を持ち続けることになる。
これに類似する現象として「人との話し方が分からない」ということがあるが、これも自分を良く見せようとする、悪く思われたくないという心理からくるものだ。

さて、ここでひとまず「ちゃんとした文章にしなければ」ということを脇に置いてみよう。尊敬語やら謙譲語やら、文章の組み立て方やら、表現力やら、漢字や専門用語やらを忘れてみてほしい。言い方を変えれば人目も気にせずに、まずは好きなように書いてみるのだ。
しかし、好きなように書われても、今度は何を書けばいいのか分からない、「自分の中に何もないから書きようがない」と言われるだろう。

しかし、実際のところ「自分の中に何もない人はいない」ということは明言しておきたい。

試しにここで、テーマを絞ってみよう。
まずは頭の中に「推し」を思い浮かべてみてほしい。アイドルでも俳優でもアニメのキャラでもいい。そして次に、その推しに関する出来事を思い浮かべてほしい。テレビや動画、映画、ラジオ、CD,直接対面したときの思い出でもいい。そこでの推しの印象、出ていた番組や作品などに対してどのような感想や見解をもっただろうか?
・・・と、このように問いかけを繰り替えされると、最初のうちは頭の中にぼんやりと浮かべた「推し」だったが、関連する出来事や個人的な思い出とともに明確になっていき、その時に抱いた印象が想起されたり、作品に対して以前からもっていた感想や考察が次々と出るはずだ。

「オタクは好きなことになると早口になる」と言うが、誰しも好きなことや自分なりの見解を語るとき、呼吸を浅くし前のめりで話したくなるものだ。
それは「推し」についてでも、自分のことであっても、仕事のことであっても、「伝えること」が第一の目的であり、そこには基本的に伝える順番やら表現やらはひとまず関係ないはずだ。
そして「自分の中に何もない」と言いつつも、何かしらきっかけで「自分の中に伝えること(伝えたいこと)はちゃんとある」ということを認識できるようになっていくのだ。

これは文章を書くときも同様であり、自分の中には「伝えること(伝えたいこと)」がちゃんとあり、それもまた何かしらのきっかけで開示すると、どんどん膨れ上がっていく。
それは人間には1つの事象に対して「これはこういうものかな?」などと抽象的に考えたり、「もしかして、アレにもつながるのでは?」といった転用する能力が備わっているからである。
それを意図的に機能させるためには、脳内にある情報や思考を「言語化する」というプロセスが必要なのである。

人間、自分の中でロジカルに思考できることは脳内で完結できるが、そうでない分野を脳内で考えようとしても同じ論点だけがループしてしまう。それを脱却するためには言語化は非常に有効である。
文章を書くときに言語化するというのは何だか矛盾するような話に思われるかもしれないが、「文章の書き方が分からない」という人たちを見ると、記入する紙とにらめっこしていることが多い。それは言語化するというプロセスをせずに脳内であーでもないこーでもないと考えてるからだ。

私の言い回しだと伝わらない人も多いとおもうので、ここで文章を書くときに言語化するための1つの手法をご紹介したい。それは「話すように書く」ということである。

これは言語化するときに有効であり、迷惑でなければ書く前に誰かに話すことをしてみることをお勧めする。実際、介護職員の中に介護記録を書くのが苦手で「書くことがない」というときに次のような問いかけをしてみる。ざっくりした内容は次のような感じだ。以下は色々と話題が飛ぶが、分かりやすくするためなのでご了承いただきたい。


Q:介護サービスに入る前に何をした?
A:介助計画、申し送りノート、介助手順書を確認した。

Q:利用者に介護サービスをいきなり行った?
A:いいえ。まずはご本人に現在の調子を伺い、お部屋の様子も確認した。

Q:ご本人の様子はどうだったか?
A:退院したばかりだが意思疎通も問題なく、笑顔も見られた。しかし、10時過ぎなのにまだ布団が敷いたままだった。もしかしたら入院中に時間感覚がズレたのかもしれない。

Q:退院して1ヶ月経過したが、歩行に問題はないか?
A:はい。以前は立ち上がりに介助が必要だったが、現在はお一人で立ち上がることができる。ただし、動作ごとに見守りは必要と思われる。


このように聞き取りをしていくと、実際に行った介助内容だけでなく、介護サービスを提供する前に確認したことをもと、事前にご本人の様子を確認し、課題や今後の検討事項なども次々と出てくるものだ。
普段は口数が少ない介護職員でも承認欲求はあるし、自分の仕事に責任とプライドをもって行っているため、自分が話してもいい状況になると多弁になることがある。これは無意識に蓄積された情報や思考が噴出するのだろう。そして、上記のようなやりとりを済ませて記録を書くように促すと、割とスルスルと書き終えるようになる。

冗長になって恐縮だが、何が言いたいのかというと、私たちは誰しも「伝えること(伝えたいこと)」はたくさんあるということだ。
それが文章または会話となったときに、「伝えること」という目的よりも見栄え的な要素にフォーカスされてしまうため、それに阻害されて「文章の書き方が分からない」となってしまうだけなのだ。
そこで「言語化する」である。そして、「話すように書く」あるいは「他者に話してみる」というプロセスを意識することで、自分の中にある溢れる思いを言語化することが大切なのだ。

もちろん、これだけで文章の書き方が改善されるわけではない。物事は色々な要素のもとに成り立つため、「これをすれば全てが良くなる」ということは絶対にない。だからこそ、文章の書き方1つでも数多の参考書籍があるということをご理解いただきたい。
それでも、言語化すること、話すように書くことは文章を書くうえで「伝えること」という目的につながる要素なので、是非取り入れてみてほしい。

ここまで読んでいただき、感謝。
途中まで読んでいただけた方へも、感謝。

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