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「介護拒否」と言うが「育児拒否」とは言わない理由。拒否という言葉で思考停止な介護に陥らない

「介護拒否」という言葉がある。

これは高齢者介護という仕事において、確実に遭遇する出来事だ。

例えば、トイレで排泄はできるが、一部介助や見守りが必要な場合に介護者が付き添う場合、人によって次のような状態になることがある。

・ 声掛けするもトイレに行こうとしない
・ トイレにお連れしようとすると、その場にある物に掴んで動かない
・ ズボンや下着などを脱ごうとしない
・ 便座に座ろうとしない
・ 失禁したリハビリパンツや尿取りの交換に応じない
・ トイレットペーパーで陰部を拭き取りしようとしない
・ 便座から立ち上がろうとしない
・ ズボンや下着などを吐こうとしない

――― といったことが、全部あるいは一部において表れる。

こうなると、介護をする側としては困ってしまう。ご本人が排泄をしないと健康状態に障るし、すでに失禁してしまったとしたらリハビリパンツや尿取りを装着していたとしても不衛生であるため交換を要する。

そして正直に言えば、他の利用者への介助やそれ以外の業務にも支障をきたす恐れがあるため、利用者本位でありたいが、できれば早くして欲しいと焦りが出てくる。

しかし、このような頑な状態の高齢者に強行突破な介助をしようとすると、事態はますます悪化する。ときには支援を要する高齢者から、何かしらの反撃を受ける恐れもある。

そして何より、事が進行しないとイライラが募ってしまい、それが高齢者虐待に発展することは阻止しなければいけない。




別に介護の仕事をしていて、上記のような出来事に頻繁に出くわすわけではない。あくまで一例であるし、トイレ介助における高齢者の振る舞いは千差万別であって、必ずこうなるというわけでない。

また、「介護拒否」という言葉を意図的に使ってみたが、「介護拒否」というのは介護者目線の言葉であることはご理解いただきたい。

それは言い換えると「こっちは介護してやっているのに、それに抵抗するなんて何事だ!」と言っているのと同じである。

と言うのも、介護する側が「拒否している」と思っている高齢者の態度や言動には、ちゃんと理由があるからだ。

介護を行う・受けるという状況は、個人の生活空間に深く入り込み、かつ肉体に直接触れる場面が多い。それを受ける高齢者にとっては、大きなストレスであることは言うまでもない。

しかも、今まで自分が当たり前にできたことを、自分よりも年下の人たちに手伝ってもらわなければ生きていけないわけだから、プライドにも障ることは想像に難くない。

そんな落胆や憤りを「行動しない」という態度で表現し、同時に「自分でできる!」「だから手を出すな!」という意思表示もしているのかもしれない。

もちろん、冒頭のようなトイレという排泄においては、下半身も見せなければいけないし、それどころか排泄物も見られてしまう。それは恥という言葉では収まらない、人間としての尊厳を傷つけることにもつながる。

それを「他人に見られたくない!」という意思から、その場を動かなかったり、必要なことでも行動しないという態度をとることも無理はないと思う。




このように書くと「まるで子供みたいだな」と思われた方もいるかもしれなし、「いい大人なんだから、手伝ってもらえればいいじゃない」と呆れる方もいるかもしれない。

実際、介護の仕事をしている人でも、介護に関わっているご家族からも、このような意見が出ることはある。

しかし、当然ながら、高齢者と子供とは意味が違う。

子供と言うのがどこまでの年齢かと定義は難しいが、排泄や食事などの人手を要するレベルを想定するならば、それは幼児や赤ん坊レベルと思われる。
それはつまり、「介護」に類して「育児」となる。

もちろん、幼児や赤ん坊だって嫌なことがあれば、例えそれが必要なことであっても大声で泣いたり、手足をバタバタするなどの態度で示す。

しかし、幼児や赤ん坊がこのような拒否的な態度をとっても、「介護拒否」という言葉はあるが「育児拒否」なんて言わない。

それは言うに及ばず、ただの認識の違いである。

幼児や赤ん坊に対しては「今はできない」けれど「これからできる」という、期待も含めた認識がある。

一方、高齢者に対しては「大人なんだかできるはず。なのに、なぜやろうとしない」という認識がある。あるいは「これからできなくなる」という不安も含めた認識もあるかもしれない。

前者は未来視点でポジティブな認識もあるが、後者は過去視点でネガティブな認識がある。

この視点と認識が「介護拒否」という言葉を作っているのではないか、と勝手に思っている。




本記事では、介護者がよく言う「介護拒否」という言葉に遡及した内容なので、具体的にどのような対応をすればいいということは書かない。

というか、介護拒否があったとして、上記でもお伝えしたようにその理由は千差万別である。「このような態度をとったらこう対応しましょう」なんてハウツーは存在しない。

傾向と参考はあるかもしれないが、それは認知症も踏まえた基本的な知識に基づくものであって「ああなれば、こうなる」とはいかない。

しかし、介護拒否という言葉で一括りにするのは思考停止だと思っている。

介護拒否と言って分かったような気になっても、対象である高齢者の頑な態度は決して変わることはない。だからこそ、当人の人物像、生きてきた背景、疾患や認知症の症状などを基本に、「なぜ、介助となるとこのような態度になるのだろう?」と興味をもつことが大切だ。

恥ずかしいかもしれないし、自分で頑張りたい、手伝ってほしくない・・・このような様々な可能性を模索して当人と関わることが一歩である。


抽象的な記事となったが、何かの一助になれば幸いである。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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