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稟議は「必要だから」だけでは承認されない。「なぜ?」という原点を問う。

■ 稟議が通らない理由


日本には四季折々の行事があるし、宗教観や起源なんて知らなくても海外のイベントを盛大に開催することもある(主に商業目的だろうが)。

それは介護施設でも同様であり、世間で催される行事やイベントを全て行うわけではないが、誰もが見聞きしたような内容であれば、利用者に楽しんでもらいたいという気持ちから年間行事として予め計画される。

しかし、楽しいことばかりではない。行事やイベントを行うということは準備がそれなりにかかる。通常業務とは別枠で準備を行うことになるし、当日まで人手を要する。

そして何よりお金がかかる。どんなに工夫をしても、行事やらイベントやらにはお金がかかるのは事実だ。

ここで経営視点の話をさせていただくと、この手の行事やイベントに関する費用の要請として介護職員が上層部に稟議を出しても、すぐにOKは出ないと思う。少なくとも、私は安易に承認しない。

何もいじわるしているわけではない。施設に住まう高齢者の方々に楽しんでもらいたい気持ちは施設職員と同じだ。
しかし、「今度の行事で●●が必要で、XX円ほどかかります」と言われても、「いいよ」と言ってお金を渡すわけにはいかない。

これは私がケチだからでもない。
単純に上がってきた稟議が、承認するレベルに至っていないだけの話だ。


■「必要だから」は説明不足


稟議は行事やイベントに限った話ではない。仕事では、備品を買うときも設備を修理・入れ替えするときだって稟議を上げる。それは会社が費用を負担するからだ。

このようなことを言うと、「仕事で使うものを会社が費用負担するのは当然じゃないか」と思われるかもしれない。実際、幾度か言われたことがある。

それはもちろんそうなのだが、それは会社の事業目的を果たすことにつながることは費用を惜しまないが、職員個人の思いと異なるならば見送りにするものだということは理解したほうが良いと思う。

そのような話をすると「必要なのに、どうして分かってくれないのですか!?」と食って掛かってくる職員もいる。

このような場合、私は「必要だからでは承認できない」と伝える。
それは「必要だから」だけでは、承認するには説明不足すぎるからだ。

稟議を承認して欲しいならば、もっと伝え方を考えなければいけない。
自分たちの希望のために会社にお金を出してもらうことは、そう簡単ではないと思っていただきたい。


■ 「想定が甘い」「企画として弱い」


では、どのような稟議を上げればいいのか?
それを考えるにおいては、承認されない稟議を見れば分かると思う。

まず、想定が甘い稟議を上げてくる人は少なくない。
必要だと言う割に、日時が明確になっていない、購入先は未定、申請金額の根拠たる試算が大雑把、どのような進行で・どのくらいの規模でやるのか、といった大枠すらできてないこともある。
そのように突っ込むと「細かい話はこれから煮詰めるつもりです」と言われることもあるが、そんな曖昧なものにお金を出そうと思わない。

また、そもそも「企画として弱い」というケースもある。
ありがちなのは「例年通り」「いつもそうなので」というマンネリ企画。
これはマンネリが悪いということではなく、せっかくの行事なのに「昨年と同じ感じでいいんじゃない?」と言わんばかりの企画として稟議を上げてくるのだ。
それに対しては「それでいいんですか?」と問いかけたり、「そんな感じなら、やらないほうがマシだと思いますよ」と言う。

このような想定の甘さと企画力の弱さで「必要だから」と言われても、「そのレベルでは話にならない」と言われるか、申請した金額の半分以下の承認で「あとはその予算内で頑張って」と言われるのがオチだ。


■「なぜ?」という原点に立ち返る


別に完璧なプロジェクトを練ってほしいわけでも、奇想天外な企画を打ち出してほしいわけでもない。

何が言いたいのかというと、「お金があればうまくいく」「モノさえあれば何とかなる」という安直な考えが承認の妨げになっているのだ。

本記事では介護施設における行事やイベントにおける稟議を主軸としているので、そこを深掘りして稟議がなかなか承認されないときは、次のように考えてみていただきたい。

そもそも、介護施設でなぜ行事をやるの?

ここでのポイントは「なぜ?」である。
行事やイベントは、年間予定に組まれているから行うとか、毎年やっているから今年もやればいいと思っていないか? そこで必要と思われる物に対してお金が必要だから稟議を上げてはいないか?

そうではなく、介護施設で行事やイベントをする意義がちゃんとあるはずだ。それが稟議を上げるにあたっての原点であり、実際に企画を成功させるための到達地点であろう。

それは言い換えると・・・

利用者の皆さんに、どういう風に喜んで欲しいの?

・・・ということでもある。

このような意図が感じない稟議を上げられても、ちっともワクワクしない。
だからこそ「もう少し考えてみて」「ちょっと視点がズレてない?」あるいは「原点を忘れてませんか?」という意味から承認しないのだ。


■稟議もプレゼンの1つ


「必要だから」だけでは、せっかくの稟議は通らないことはお分かりいただけたと思う。

これは新人でもベテランでも陥り勝ちな考えである。特に行事やイベントを毎年の当たり前になっていると、気が付くと「必要だから」という固定観念にハマってしまうことは少なくない。
すると、利用者を楽しませる行事のはずが、通常業務以外のただの面倒くさい作業になってしまう。

また、行事やイベント以外でも、せっかく職場を良くできるかもしれない備品を見つけたり、業務を円滑にするための備品メンテナンスになのに、ただ「必要だから」だけでは上層部も「次の機会にしましょう」と言うしかない。本当に通したければ伝え方や仕掛けが必要だ。

こう考えると、稟議というのはプレゼンのようなものだと思える。
あるいは訪問販売の営業という見方もある。

プレゼンや訪問販売の営業で「必要だから」と言われて、相手が「そうか、必要なんだな。よし、買おう!!」なんて思わないだろう。

それは「必要だから」のもっと奥にある、潜在意識にある「なぜ?」まで働きかけていないからだ。プレゼンや営業を受けた相手も「また今度ね」で終わってしまうのだ。

ただ稟議書を上げて承認された・されなかっただけで済まさず、ときには1つのプレゼンとしてしっかり熟考して、熱のある企画として練り上げてみてはいかがだろう。

それは、その先にある行事やイベントを進行する際にも、常に「なぜ?」を問う原点に立ち返ることができ、より良い内容にできるようになるだろう。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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