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「大人気ない」とは何か?

■ 「大人気ない」の言葉を考える


「大人気ない」という言葉がある。

読み方は「大人+気+ない」で「おとなげない」であり、意味は大人としての思慮分別がない振る舞いをしている様である。

こう考えると、「大+人気+ない」で「だいにんきない」でも、結果として間違っていないかもしれない。

もう少し「大人気ない」の意味を分かりやすく言えば、子供っぽいという話だが、では子供っぽいとはどんな有り様だろう? と疑問が湧く。

そもそも、「大人気ない」の言うところの大人とは一体どれくらいの年齢でを示し、どのような振る舞いをもって思慮分別がついていると言えるのだろうか? ということも疑問だ。

このように書いている私も社会的には大人の部類であるが、自分が大人であると自信をもって言えるかと言えば「うーん」となる。むしろ、「大人気ない」と言ったほうが自分自身、納得いく。


■ 自分という存在の客観視


このような話をすると、目上の方から「そのような考え方ができることが大人なんだよ」みたいなことを言われた。

そのときは意味が分からなかったが、あるとき気づいた。

大人とは「自分自身を客観視できる人」のことだと。

但し、大人だからと言って、自分のことを全て客観視できているわけではない。ときには失敗したり道を間違えたりして「嗚呼、自分はこういう人間なんだな」という気づきから得られることもある。良くも、悪くも。

――― となると、「大人気ない」とはどういうことが見えてくる。

つまり、大人気ないとは

「自分自身を客観視できない人」
「自分の振る舞いを客観視できない人」

と言えまいか。


■ 自分の振る舞いを自覚できていない


誰だって、不機嫌な人や不貞腐れている人が近くにいると嫌である。
それなのに、仕事中にずっと不機嫌だったり、面白くないことがあるたびにすぐ不貞腐れる人がいる。

誰だって、なるべく関わりたくない人がいても、「まぁ、これも仕事だ」「最低限のコミュニケーションはとろう」と割り切って関わろうとする。
しかし、自分が嫌いだという理由でその人を避けたり、話し合いの場になると露骨に反発心を見せる人がいる。

このように「大人気ない」タイプの人は、自分の感情のままの振る舞いをするものの自覚しない。そうして、周囲からすれば他人に対しての思慮が欠けて、社会性としての分別がないという評価を受ける。

そして要所要所で「大人気ない」と言われてしまう。

もちろん、人間なので常に愛想よくはできないし、うっかり「やりたくない」「コレ嫌い」という顔をしてしまうことはある。また、向こうから苦手な人が来たら、何となく遠回りしてしまうことだってある。

しかし、この場合、そのような振る舞いをした自分の非を認めて反省するだろう。時には迷惑をかけた人に謝罪することだってある。

それはよく私自身もあるため、思慮分別がない振る舞いをする人を見つけては「大人気ない」ことは言えないと思ってしまう。


■ 相手のほうをちゃんと見よう


しかし、1つだけ「大人気ない」と思う振る舞いがある。

それは「相手を見ないこと」である。

具体的には「挨拶をしない」「相手が話しているのにそっぽ向いたまま」といったことである。

どんなに自分の機嫌が悪くても、面白くないことがあっても、相手のことが嫌いであっても、これは社会で生きるうえでの最低限の振る舞いだと思う。

挨拶をしなくても、そっぽ向いたまま相手の話を聞いていても、そのような振る舞いをしている人自体には問題ないかもしれない。

しかし、それを受けた相手はどう思うだろう? 
挨拶をしても返ってこなかった、一生懸命説明をしているのにパソコンのモニターばかり見て聞いているのか聞いていないのか分からない・・・など。

このような振る舞いをしていて、果たして多くの人間同士が支え合いながら生きる社会という集団においてうまく生きていけるだろうか?


■ 自分の振る舞いを子供に自慢できるか?


仮にこのような大人の態度を、明らかに子供と言える幼稚園児や小学生が見たときに「これが大人なのかー」と思われて良いと言えるのだろうか?

自分の子どもに「今日はね、上司の挨拶を無視してやったの」「同僚が何か説明していたけれど、自分の仕事をしながら聞いていた。優秀でしょう?」なんて自慢できるだろうか?

――― それこそ「大人気ない」というものである。

これは何も、人の目を気にして生きろという意味ではない。
どちらかと言えば「自律」の話、つまり自己コントロールである。

意識的に自己コントロールしようとして、私たちは大人になっていく。大人としての感覚を磨いていく。それができないというならば、「大人気ない」どころか、ただの子供と同じである。

いや、子供だって挨拶はちゃんとできるし、モジモジしながらも人の目を見て相手の話を聞くことができる。こうして間違いながら、怒られたり諭されたりしながら、子供は思慮分別を身につけていくのだ。


――― 大人になったから思慮分別を身につける意識を疎かにしていいわけではない。むしろ、大人になってからのほうが様々な関りが増えるので、失敗や経験を踏まえて「大人気ない」ところを改善する必要がある。

ついつい不機嫌になったり不貞腐れたり、感情的になってしまうことは誰にでもある。しかし、そんなときでもせめて「挨拶をする」「人の話は相手の顔を見る」という最低限のことは自然とできるようになったほうが良い。

それこそが「大人気ない」からの脱却であり、人生を通じての自分という存在をより良くする修行になると思う。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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