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仕事において自己判断はできたほうが良い?

■ 自己判断せず報連相が基本


仕事において、個人の自己判断が致命的なトラブルを起こすことはある。

だからこそ、組織やチームにおいては報連相が重要となる。
上の立場に判断を仰いだり、職場内で検討する場面をもって方針を決めてから物事を進行するのが基本である。

そうしないと、個々に役割を割り振りつつ、組織やチームという統治する体制をとっている意味がなくなる。

いちいち上の判断を仰ぐことを煩わしいと思ったり、職場内で話し合いをすることを無駄だと思う方は、いっそ独立したほうが働きやすいと思う。


■ 自己判断すると、結果はどうあれ非難される


とは言え、上の判断を仰いだり、職場で話し合いをする事態ではない緊急性を問われる場面もある。そこでは、その場に者が判断・行動することが求められる。

もちろん、そのような事態で個人が判断・行動することは、あくまで一時的な対処である。対処後は事後報告して、その後の判断を上の立場に判断を委ねることになる。

ここで辛辣なことを言うと、このような緊急事態に対応したところで、決して周囲から褒められると思わないほうが無難だ。なぜならば、どんなに良い結果が出ても、結果だけ見ればやったことは自己判断だからだ。

もちろん、「緊急時において冷静に対応できたね」「あなたの対応は的確だった」と賞賛されることもある。しかし、「なぜ自己判断をした!」「上の判断を仰ぐべきだった」などと責められることもある。これは良い結果をもたらしても言われる。

実際、自己判断をした後の大半は、責められたりキツく注意されるもの。これは仕事をしている方々の多くが経験しているだろう。
不安な中で頑張って自分なりに対応したのに、その結果として理不尽なことを言われると、もう仕事なんてやってられないと思ってしまう。


■ 問い詰める側にもスタンスがある


自己判断をした自分に非があると分かっても、せっかく対応したことを責められるのは理不尽な気持ちになることは理解できる。

しかし、ここで感情的になったり自分を責めりしないでいただきたい。

自己判断を責める側にだって立場があるし、事態によっては事実確認として問い詰めることもある。事態によっては対応した本人が事故に巻き込まれていた可能性だってある。
このような立場や職場の考えを理解しろとは言わないが、法律や社会通念として自己判断を容認できないことがあることは覚えておいて損はない。

もちろん、上司の保身や職場体制の不備といったこともある。それを無視して責めてくるようであれば、いくら自己判断したのは自分とは言え、それは本当に理不尽な話として今後の働き方を見直すこと(退職など)を検討しても良いと思う。

ただし、訴訟やら労基に申立てすることはお勧めしない。別にやっても良いが、自己判断によって職場に不利益を起こした場合は特に、相談された相手も困ってしまう。
また、いざ話し合いとなっても、いらずらに時間や労力を浪費するだけの不毛なやり取りになると思ったほうが良い。これは経験から言える。


■ 仕事において自己判断できたほうが良い?


誤解のないようにお伝えすると、その場で迅速に対処すべき問題があるのに放置しろという意味でもないし、世の中には判断や検討をしている場合ではない場面に出くわすことは多々あることは理解している。

一方、組織やチームとして報連相などを介した統治が必要であることも考えなければいけない。そうしなければ、その職場における事業の方向や指針が個々によってバラバラになってしまう。そうならないようにするために、自己判断を律する必要もある。

このように考えたとき、管理職としはスタッフに対して「仕事において自己判断できたほうが良い?」と聞きたくなることがある。
というか、細々したケースにおいて「こっちで判断したほうが良いことは何?」とか「自己判断した先に問題になったとき、その対処まで考えているならいいよ」と言うことはある。

すると、大抵の場合は「いえいえ、そこまでの責任は負えません」「このような小さなことまで、その都度報告するならばもういいです」みたいな感じで言われてしまう。
しかし、自己判断したあとで事実確認をしたうえで注意すると「いや、この場合は仕方なかったんです」「じゃあ、どうすれば良かったんですか!」などと反論をされることもある。

つまり、「責任も面倒ごとも御免だが、自己判断したときはやむを得ないと思って欲しい」という話になる。


■ 自己判断と自由の線引きは難しい


別に身勝手な言い分であると憤慨しているわけではない。
しかし、自己判断という言い方ではなく、ある程度の裁量権や自由度をもった働き方のほうが良いと思っても、その線引きをすることは難しいという話になってしまう。

もちろん、緊急時対応フローや事故対応マニュアルといったものは作れるし、それをもとに訓練をすることで統一性のある体制を作ることはできる。

しかし、仕事に限らず人間は生きるうえで日々を多くの選択している。
小さいことから大きいことまで様々だ。うまくいくこともあれば失敗もするし、良くも悪くもない結果になることもある。

「こういうときどうするか?」を考えることは大切であるが、細々としたことへの対応フローまで作ろうとすると、それは職場の統治ではなく機械的な感じになってしまう。

一方で、あまりに自由にさせてしまうと統治できないこともあるが、トラブルや事故になったときに、スタッフ個人にも責任を負わせかねなくなる時世だ。それだけは避けなければいけない。


――― というわけで「仕事に置いて自己判断はできたほうが良いのか?」ということを考えてみたが、結論が出ないというよりも下手に線引きしすぎないほうが良いのかもしれない、という話になってしまう。

もしかしたら、「自己判断」という言葉から議論をスタートさせていること自体が間違っているのかもしれない。

もう少し前提を改めてみてから考えてみようと思う。

ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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