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ケアプラン有料化の議論が平行線になってしまう理由

■ ケアプラン有料化の議論


介護保険サービスを提供するにあたり重要なケアプラン。

在宅サービスにおいて現行としてケアプランは10割保険負担になっているが、以前よりケアプランの有料化(自己負担)の議論がされている。
これは介護サービスは自己負担として1~3割の費用を利用者に課していることから、国としてはケアプランも同じ扱いにして公平性を持たせる狙いがあるとのこと。

それに対してケアマネージャー等からは、利用者や家族などの要望がエスカレートする可能性を危惧して反対意見が噴出しており、制度化以前に議論自が停滞しているらしい。

この議論は少なくとも2019年には出ており、そのときからケアプランを作成する側からの反対意見とその理由は変わっていない。
国としては介護保険に関する費用の抑制につなげたい意向もあるのだろうから、同じ目線で議論ができないまま話が平行線となるの仕方ないと思う。


■ まるで「見積り無料」みたいなケアプラン


このような話題を取り上げておいて何だが、そこまで国とケアマネージャーらの意見が平行線ならば、いっそ議論そのものを保留にしてはどうかと思ってしまう。ケアプランの有料化の是非も大切だが、高齢者介護においてはもっと優先すべきテーマが多々あると思うので、そちらに注力しても良いだろう。

とは言え、思考を停止してもいけないし、ケアプランありきで介護サービスを提供している立場としては他人事ではない。そのため、なぜこの議論が平行線になってしまうのかを考えてみようと思う。

本記事では、アプランを作成するケアマネージャーらの立場とか、制度を策定する側の国の意向とかは違った目線で考えてみたい。

まず、ケアプラン作成が利用者側にとって費用負担がないという事実を改めて見たときに思ったことは、「ケアプランとは、業者の見積りみたいだな」ということである。

一般的に備品や設備などの購入やサービス利用を考える際には、商品内訳やサービス内容などと共に商店や施行業者、サービス事業所などから価格を教えてもらう。それは見積もり書として提示されることが多い。
そして、大抵は見積りを作成してもらう場合は「見積り無料」である。

これを介護サービスに置き換えると、介護サービスを利用する前に、各サービス内容と保険点数の合計が記載されたケアプランと言う名の見積り書をケアマネージャーらが作成し、利用者側へ提示すると言えまいか?

このように「ケアプラン=見積り書」と考えれば、利用者側から見てケアプランが無料であっても不思議ではないし、ケアプランを作成している側も有料化に対して抵抗感を抱くの何となく理解できる。


■ 専門性をもって説明するプロセスは同じ


このように書くと、ケアプランを作成している方々から「ケアプランと業者の見積りは違う!!」「ケアプランは高い専門性をもって作っている!!」とお叱りを受けるかもしれない。

しかし、様々なビジネスシーンで提示される見積りだって、各分野の専門家が商品やサービスを選別・組み合わせして、社内で適切と思われる料金設定を検討して提示されていることを忘れてはいけない。

また、見積り書には主に商品やサービス項目と金額しか記載されていないし、介護サービスのように課題点や短期目標・長期目標などの記載のような背景的な記載はない。しかし、そのような詳細はプレゼン資料や商品カタログなどで代用・説明されるだろう。

商品やサービスを見積りをもって購入を検討するのか、ケアプランをもって介護サービスを利用するのかを決めるのかの違いであって、実際のところやっていることは同じである。

そのため「ケアプランと業者の見積りは違う」とか専門性の有無という論点は少し違うとお考えいただきたい。


■ ケアプラン有料化の話が平行線になる理由


別にケアプランを作成している方々にケンカを売りたいわけではない。
ケンカを売って有料化できれば良いが、そんなメリットは1つもない。

そもそも、根本的にケアプランと見積り書の目的は大きく異なる。

ここまでケアプランと見積り書を同列に扱うような言い回しをしておいて申し訳ないが、この目的の違いこそが、ケアプランの有料化の議論を平行線にしている要因の1つになっていると思う。

まず、ケアプランは、介護を要する高齢者の自立支援が主たる目的である。高齢者の身体や生活上の課題を分析し、本人の自尊心を保持も意識したサービスプランを作る。介護保険点数の上限は気にするものの、あくまで高齢者の支援のためであって、ケアプラン自体に収益性は考慮されていない。

一方、見積り書の目的は、商品やサービスを利用してもらい購入者やユーザが満足してもらいつつ、企業として利益につなげることが目的である。見積りは無料であるが、それは将来的な収益を目論んでいるからだ。

つまり、ケアプランは収益性を考慮していないのに対して、見積り書は将来的な収益を見込んだうえで作られる。これらはプロセス自体は同じであるが、スタートから向いている方向が違うのだ。

ここで冒頭のケアプラン有料化に話を戻してみる。

ケアマネージャーらはあくまで高齢者の支援のためにケアプランを作っているので、そこに有料化(収益性)の話を持ち込んだ途端に「利用者からの要求がエスカレートする」という業務負担の増加リスクを恐れる。
但し、それは本当にそうなるかは実際に有料化してみないと分からない。

そして国がケアプランの有料化(自己負担)とするのは、自立支援の話ではく他サービスとの公平性の確保と介護費用の抑制という目的がある。つまり、制度の課題とお金の話がスタートになっている。
但し、ケアプランを有料化したとて公平性が得られるのかも、介護費用がどこまで抑制できるのかの実証は論じられていない。

要はケアプランを作成する側は「自立支援」の話をして、国は「制度とお金」の話をしているのだ。そりゃあ話が平行線になるのは当然だ。
お互いが違う視点で論じたまま話し合いがまとまらない典型である。


――― というわけで、もしもケアプランの有料化を建設的に議論したいのならば、ケアマネージャーらは制度やお金の目線も視野に入れる必要がある。そして国は、ケアマネージャーらの懸念している「有料化により利用者の要求がエスカレートするリスク」を、他業種などの事例をもとに目線を合わせる必要がある。

結局のところ、ケアプランの有料化によるメリット・デメリットの前に、話し合いのあり方を見直してみてはどうか? という話である。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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