「改革」について考えてみる
「改革」という言葉がある。
昔から政治やビジネスでよく用いられ、何かを根本から大きく変えるというメッセージが込められている。しかし、成功も失敗も、改革が行われた結果が目に見えるカタチになることは稀である。
「あの改革があったから現在が良くなった」「あの改革が行われなければ現在はもっとマシだった」という体感を得にくい。それは改革というものは、一夜にして世界がひっくり返るほどの変化がないからだ。
改革とはひどく地味な取り組みである。
何かしらの問題点に少数の人たちが気づいて、周囲に訴えて理解者を増やしたり、広く支持を得られるように啓蒙活動を繰り返したりと、途方もない時間と労力を要する。
そして改革によって起こる変化とは、ドラマティックな展開はほぼなく、じわりじわりと浸透していく。そのため、改革による結果を多くの人たちは体感しにくい。
それはおそらく、改革の発起人や中心メンバーたちも同様だろう。ふとしたときに振り返ったときに「ああ、昔はもっと大変だったよな」「この活動で少しは良い方向に変わったのかな?」くらいの感覚だろう。
つまり、改革による結果は「気が付いたら変わっている」ものと考えたほうが良いのかもしれない。
実際、私たちの身の回りを見ると、制度や働き方、家電や通信機器、サービスなどは気が付いたら存在して、そして気が付いたら私たちは何となく活用していることが多い。
私たちは気が付かないうちに改革に巻き込まれている。それが良いことなのか悪いことなのか分からない。
最初に誰かが言った「改革」に目もくれなかったのに、月日が過ぎて気が付くと、それが当たり前のように自分の手元や環境にあるのは少し怖いことなのかもしれない。
誰かが言った「改革」という言葉を聞くと、多くの人たちは期待しない。
「はいはい、そう言って何もやらないんでしょ」とか「改革と言っても、結局何も変わらないんでしょ」と馬鹿にすることだってある。
しかし、それが誰も気が付かないうちに実現されているとしたら・・・。
そう思うと「改革」という言葉を誰かが口にしたとき、それに耳を傾けたり進捗状況を観測してみるのも面白いのかもしれない。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。
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