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【読書メモ】失敗の本質

2020年現在のオリンピックの件と言い新型肺炎の件と言い、割とタイムリーな本なんじゃないかと思いました。

第二次世界大戦前後の作戦という80年も前の内容が元になっているにもかかわらず、現代の日本においてもやたらと思い当たる節のある記述が多いのが印象的でした。

前半は第二次世界大戦前後における以下6つの作戦の振り返りと分析。後半の2章・3章の内容が肝かなと思います。

・ノモンハン事件
・ミッドウェー作戦
・ガダルカナル作戦
・インパール作戦
・レイテ海戦
・沖縄戦

また、これから読むならこっちの方が良いかもしれません。

ざっくりまとめ

・あいまいな戦略目的、明確な支持の不足による独断専行と失敗
・短期決戦の戦略志向による情報や資源、兵站確保の軽視
・精神論や空気を読まざる得ない状況における帰納的な戦略策定と変化・異常事態での弱体化
・学習を軽視したことで情報の共有システムが欠如し、人的ネットワーク内にノウハウが留まってしまった
・結果よりもプロセスを重視しすぎたことで、結果に対する責任が曖昧になり、それが評価の曖昧さ・組織学習の阻害を引き起こした

感想とかメモとか

各々の主張はしてもそれらに対する議論や妥協が一切できず、各論を作成に併記してことなき得るような形になってしまう。結果的に楽観的かつあいまいな作成になり、各部隊の独断専行を許してしまった。

戦術の失敗は戦闘では補うことはできない。戦略の失敗は戦術では補うことができない。ビジョン、ミッション、バリューにつながる話だと思う。

戦略 > 戦術 > 戦闘
ビジョン > ミッション >  バリュー

ビジョンが欠けた状態になっているので、各部隊が方向性の定まらないミッションを達成するために奮闘してもダメという典型的なパターンに陥っていた。

実際には日米開戦直前において人的、物質的存在を与えつつ、南方資源地帯を確保し長期戦に持ち込めば、アメリカの戦意を喪失させることができる、という見方があった。しかし、これを実現するための各軍の戦略が短期決戦志向(長期的な戦略を持っていなかった)しかなく、個々の作戦計画に色濃く出てしまっていた。というか戦意喪失頼みというのはさすがにありえないのでは...?と思ってしまった。

短期決戦は時間が考慮すべき点が少なくて済むという利点は確かにある。しかし短期決戦は積み上げていくものであり、結局長期的な戦略は必要になる。また、短期決戦志向のためコンティンジェンシープランが確立されていなかった。

アメリカでは、技術発展により軍事力の平均の底上げ(操作性の改善な戦闘機の高性能化)された。それとは対照的に個人のスキルに特化してしまう傾向にあった。また技術体系的にソフトウェア開発の弱体化が著しく、その結果情報システムの軽視につながってしまった(これは第二次世界大戦頃の話です)。情報軽視は戦略のなさを表している。

陸軍はロシア、海軍はアメリカというように戦うべき相手がすでに違った。それ以外でも、組織の思想や行動様式の違いなど根本的なところで対立が起きてしまい、陸海空の組織を統合すること自体に最初から困難があった。作戦行動上の統合が全くないわけではなく、個人によって実現するケースも多々あった。

当時の日本軍には、失敗の蓄積・伝搬を積極的に行うリーダーシップやシステムがなく、いわゆるシングルループ学習に留まってた。

目的や目標の再認識などが疎かになったことで、変化・変革を期待されることがほとんど求めらなかった。

特定の戦略原型(パラダイム)に固執してしまったことで変化が起こらなかった。組織学習の過程と結果にギャップが生じた場合は、学習棄却(unlearning、自己否定学習)ができなかった。こういったことは余裕のない組織に起こりがちな事象だと思う。

当時のアメリカでは海兵退院が戦争の合間にテニスをしたりするなど余裕があったが、日本には悲壮感が強く余裕や遊びの精神が失われていた。



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