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ヒトの行動原理は「不安定さ」なのかもしれない

ヒトは生存本能として「安定」を求めるようにできている、のではないだろうか。

たとえば、未知のことやよくわからないことに出くわしたとき、避けるか逃げるかしてそれから離れることで「安定」させようとする。
また、未知のものがずっとあり続ける場合は、それが何かを既存の知識と比較しながら「意味づけ」ようとする。意味をあたえることで未知のものは既知となり、「安定」する。

ホメオスタシスや現状維持バイアス、コンフォートゾーンなどは、「安定」化の現れなのだと思う。

安定していればヒトはいつもどおりの行動をとり、不確実な状況に直面せずにすむ。

「不安定」に直面したら、それから逃げるか、すぐに「意味」を与えれば「安定」することができる。

しかし、ここで「不安定さ」を保ったらどうなるだろう。

「不安定」になると、ヒトは「安定」させようと動き・思考するが、安易に「安定」をさせず、「不安定」を維持することでヒトは行動や思考を続けることになる。

考えてみれば、一流の研究者は、研究対象に安易な意味を与えない。一流のスポーツ選手は常に体の動きを変化させ続ける。
これは、「不安定さ」をそのままに受け入れることで、安定化を求めようとするヒトの本能をうまく活用しているのかも知れない。

「不安定さ」を受け入れること。

「わからないと認める」
「◯◯ではないか?と問いを立てる」
「理想を掲げて現実とのギャップを生み出す」

こういうことが行動につながる「不安定さ」を引き出すことなのではないだろうか。

そんなことを考えてみた。

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