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#RSP
26. 新体制と法人化
【リーマンサット創設手記(仮)No.26】
2016年1月。
もろもろの問題を抱えつつ、リーマンサットの2016年が始まった。
目下の課題は、どのようにプロジェクトを推進していくか、だ。
これまでは立ち上げメンバー5人を中心にしてプロジェクトを進めいていたが、そのうち2人が諸事情から戦線を離脱することが決まっている。
しかしながら、JAX○の革新的衛星技術実証プログラム(無償で衛星を打ち上げて
24. 玄人VSド素人
【リーマンサット創設手記(仮) No.24】
2015年11月末。
ぼくらは一つの決断をした。J○XAの革新的衛星技術実証プログラムにエントリーすることにした。無償で衛星打ち上げてくれる(もちろん審査に通ったら)、なんてやらない理由がない。だってタダだし。
エントリーする衛星のミッションは「自撮り」。これまで3つのミッションの衛星をそれぞれ開発していたんだけれど、リソースも限られているし、そ
21. MAKER FAIREとSPACE TEA
2015年8月、東京ビッグサイト。
リーマンサット・プロジェクト(仮)にとって二度目のMAKER FAIRE TOKYOを迎えていた。
人手がしっかりあるので当日の準備も迅速に完了(書きながら思い出したが、展示したコンセプトモデルの完成引き渡しが出展当日だったとかなんとか)。
開場となってお客さんが流れてくると、長机一個分のスペースにリーマンサットメンバーが十数人。ビラを片手にプロジェクトの宣伝
20. MAKER FAIRE再び
2015年8月初頭。
ぼくは再び東京ビッグサイトにやってきた。
MAKER FAIRE TOKYO 2015に出展するために。
思えば9か月前。
知人O氏から「自分たちで宇宙開発やろうと思っているんだけど、オタクの集まりにはしたくない。宇宙に興味がない人からも意見を聞きたい」と秋葉原に呼び出され、その数か月後H氏から急に「とある展示会に出展します。もう申し込みしちゃいました」とぶっこまれ、挙句
17. リーマンサットブルー
2015年3月未明。
第二回のミーティングにて、リーマンサット・プロジェクト(仮)が開発を進めていく人工衛星のミッションが決まってしまった。これで本当に人工衛星を作らなくてはいけなくなってしまった。とはいえ、このころはまだ気楽だった。人工衛星を作るのがどれだけ大変なのか知らなかったから。
さしあたり、全体の体制として「技術班」と「広報班」の二本柱を立てることになった。
「技術班」は言わずもが
16. 道場破りに行ってきた
2015年2月未明。
ミッションが決まった第二回のミーティングからさかのぼること数か月。
とても場違いなところに来てしまった、とぼくは後悔ひとしおだった。
ぼくは立ち上げメンバーのO氏とともにとある宇宙団体のミーティングに来ていた。
それは同じく立ち上げメンバーのH氏が副理事を務める団体で、リーマンサット設立のきっかけとなったMAKRE FAIRE TOKYO 2014では(H氏が勝手に出展を
15. ミッション(ようやく)決まる
最近、久しぶりにリーマンサット関係者と会って話をした際に、「2015年の資料がほとんどない」と言われた。確かに2015年は何をやっていたのかあんまり記憶がない。立ち上げの5人で隔週くらいで集まってやいやい話をしていたのは覚えているが、それ以外はわからない。
うーん、なんでだろう、と思っていたらあの頃は正式なミーティングを数か月に一度しかやっていなかった。
リーマンサット第二回の公式ミーティングは
14. 静かなる前進
2015年2月末。
ぼくらは毎度毎度恒例だが頭を悩ませていた。
次月に予定しているミーティングで人工衛星のミッションが決まってしまう。
決まるんだからいいじゃん、次に進むじゃん、と普通は思うだろう。
だが、進んだ先には大きな、それはもう本当に困った大きな課題がある。
人工衛星をどうやって作ればよいのかまったくもって分からない。
うん、確かにぼくらは立ち上げ当初から「誰でも人工衛星を作ること
13. 踏み出すことは怖いこと
2015年2月10日。
踏み出す前と踏み出した後では、何かが違う。
例えば、大海原に船で漕ぎ出すとき。
陸上でわやわややっている時は、こんなのいるよね、あれ持っていったらどうだろう、こんなことあったら楽しいよね、あんなことができたら絶対面白い、などなど話し合ったり準備したり。いろいろ不安はあるけれど、まだ気楽だ。なぜなら始まっていないから。
ところが、船に乗って海を進みだした途端、様相はがらり