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『風鈴』

一歩踏みしめるたびに、ギッ、ミシッと多彩な音を立てる薄暗い階段を慎重に上がる。2階の短い廊下の右手にある扉を開けると、色褪せた畳の部屋がある。

北側に面した窓は造りが古く、大人の膝丈くらいの高さまでしか壁がない。うっかり身を乗り出せば落ちてしまいそうだ。木製の窓枠に手をかけて外を見た。

梅雨の曇り空。

平日昼間の裏通りを、人がまばらに行き交っていた。

僕が、生まれ育った海沿いの街を離れて、内陸にあるこの静かな町に越してきたのは先週のことだった。
下宿は安さで選んだ。

知り合いもいない。仕事もない。

誰にも知られず、このままひっそりと消えて無くなってしまっても別に良かった。

何の予定も刺激もない数日間、洗面所のある1階に降りる以外はただ寝て過ごした。
今日になってようやく、少し外に出てみようという気持ちが起きた。

少ない手荷物の中から取り出した、Tシャツに短パンという気の抜けた格好で軋む階段を降りる。
下宿の1階、通りに面した小さな雑貨屋を営む大家の女性に「出かけます」と声をかけた。

「お出かけ?いってらっしゃい」

下宿人に興味がないのか、元々そういう性格なのか、越して以来引きこもっていた僕の素性を詮索されることもなく、大家さんとはあっさりした挨拶しか交わしたことはない。

見慣れない小さな町を目的もなく気の向いた方へと歩く。
迷子になったらその時はその時だ。

信号のない十字路の角に、腰くらいの高さの生垣に囲まれた一軒家があった。縁側には険しい顔をした老人が胡坐をかいて、十字路をじっと見つめながら手に持つうちわをパタパタとせわしなく仰いでいた。

生垣に沿って歩きながらその様子に目を留めていると、老人がふとこちらを見た。彼は睨みつけるような視線を僕に向けて、フンとまた十字路に顔を戻した。

広い2車線道路沿いの、商店が並んでにぎわう通りに出た。
通り沿いに、浴衣や薄手の着物など夏に向けた商品が展示されている和服屋を見つけ、入店した。実は昔から着物に憧れていた。

恰幅の良い着物姿の主人が「いらっしゃい」と人懐っこい笑顔で出迎えてくれた。
他に客はなく、僕が着物の初心者であることを伝えると、普段着を一式用意してくれ、着付け、歩き方や身のこなしまで親切に教えてくれる。

紬の生地は肌触りが良く、見かけよりずっと涼しい。
着付けたそのままの姿で会計を済ませ、二つ折りの薄い財布は主人のアドバイスを受けて袖の中に仕舞った。

着物姿で歩く僕に、町の空気は軽く爽やかに感じた。

そう、僕は今まで知らなかったこの場所で、今までと違う恰好をして、生き直しをしようとしている。

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真面目な教師の父と、それを誇りにしている母の元で、僕は正しく育てられた。

整った身なり、整えられた容姿。幼い頃から姿勢を正して受けた教育、いくつもの習い事で身に付いた教養。手入れの行き届いた家と環境。
叱られることも圧力を受けることもなく、両親が期待するように学び、褒められて大人になった。

大手企業に就職してからも、上司の信頼は厚く、親しくなる友人はみな優秀で、異性からは好意を持たれる。
適齢期になると、申し分のない女性との結婚話が進んだ。両親を含め周囲の誰もが喜ぶ選択を重ねる自分に、ふと疑問が湧いた。

この先、まるで敷かれたレールの上を走るように、誰かが書いたプログラムを実行するように、順風満帆という表現にふさわしい日々が続いていくのか。

絵にかいたようなこの人生は誰のものだ。

人から見て何もかも揃って満たされていることは承知している。
これだけ良くしてくれる家族や友人に囲まれていながら、僕のこんな悩みに耳を傾けてもらえる自信がまるでなかった。聞いてもらえそうな人も思い当たらず、ましてや誰かに理解される確証もなかった。
きっと正論でなだめられ、鉄のレールの上にまた乗せられる。

猛烈な孤独に襲われた。

あらゆる面で恵まれて揃いすぎた環境はしがらみとなり、精神に深く絡みついて僕を拘束した。取り払うことができずに苦しみ、取り払わない限り救われないと思った。

いっそこの体ごと捨ててしまいたい。

死、という言葉がよぎってしまったとき、涙があふれて止まらなかった。
間違っていると頭が否定し、それしかないと心が追い詰める。

激しくせめぎ合う感情と理性の妥協点が、僕の生活すべてを捨てる選択だった。

仕事を片付け引き継ぎの資料をまとめると退職届を出した。
誰かに異変を悟られる余地もないほど速やかに身辺を整理した。
家族に捜索届を出されないよう、書き置きを残した。

パソコンも携帯もすべて置いて、いくらかの現金と小さな荷物だけを持ち、一度も訪れたことのないこの町へと来た。

和室に寝転がり、古びた天井の木の節を眺めながら、これまでの自分の道のりを繰り返し思い返す。
後悔も反省もしない。ただの記憶として反芻する。

窓の外からは屋根を打つ雨音が続いていた。

部屋の隅に、数冊だけ持ってきた本が積まれている。
そのうち一冊に手を伸ばし、畳に寝転がりながらページをめくった。

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北向きの窓が明るくなって目を覚ました。

カーテンをかけていないので、夜明けの光が直接この部屋に届く。

ネジ式の鍵を外して軋む窓を開けると、少し湿気を含んだ空気が雨の香りとともに部屋の中に流れ込んできた。

この部屋に元からあった衣紋掛けに引っ掛けた着物を羽織り、洗面所に降りる。

ここに来てから眉毛の手入れをしていない。

洗面所の壁に取り付けられている古い鏡は四隅が錆びていて、かろうじて鏡の機能を果たしている中央部分に僕の顔が浮かび上がる。
眉毛の先が下向きに延びて、生来の八の字形になっていた。

記憶に残る以前の、アルバムでしか見たことのない幼少期の僕がそのまま大人になってそこにいた。頼りなげで不器用に見える。
久しぶり。君に会えて嬉しいよ。
僕は鏡の中の僕に挨拶した。

りーん、りーん、といくつかの高い音が響いてきた。

表に出てみると、大家さんが雑貨屋を開けて商品を出しているところだった。僕の身長ほどの高さの格子棚に、いくつかの風鈴が下がって、それぞれのタイミングで音を鳴らしていた。

通行の邪魔にならないよう気を付けながら、まだ雨に濡れているアスファルトに立った。組んだ腕が互いの着物の袖に入り、襟元から胸に入る空気は心地いい。風鈴の音とともに自分が風景の一部として溶けていくような感覚になった。

商品を抱えて奥から出てきた大家さんが「夏だからね」と風鈴を眺める僕に声をかけてきた。
そして「そんな顔だっけ」と僕を2度見した。

雑貨屋には日用品から掃除道具や簡単な衣類、文房具まである。
狭い店内に積み上げられた商品を珍しく眺めた。こういう何でも屋のような小さな商店は地元では行く機会がなかった。
棚に積まれた400字詰めの原稿用紙を指でパラパラとめくってみる。「それは400円」と、品出しの手を動かしながら大家さんが声をかけてきた。

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雨上がりの湿気は、日中の蒸し暑さを運んでくる。

テレビ局のロゴと数年前の西暦が印刷されたうちわを大家さんからもらって、パタパタと仰いで暑さをしのぐ。
縁側で十字路を眺める老人を思い出した。

日が傾き、暑さのピークが過ぎたころ、外を散歩した。
生垣の奥にはいつも通りに縁側で胡坐をかく老人の姿があった。僕が視界に入るとちらりと目を合わせ、またすぐムッとした表情で目をそらす。
十字路を曲がるときにもう一度老人の視界に入り、僕は軽く会釈してみた。
老人は不機嫌そうな表情のまま、邪魔だとでもいうように僕に向かって追い払うように手を振った。

大通りを和服屋と反対方向にしばらく歩くと、踏切がある。
その角に店を構えるコロッケ屋から、揚げ物の香ばしい匂いが漂ってきた。
女子学生たちの集団がにぎやかに会話しながら、ショーケース越しにコロッケを受け取っていた。帰宅時の格好の立ち寄り場所なのだろう。

いい歳して買い食いもな、と引き返そうとして、いや、そういうしがらみから解放されるためにここに来たんじゃないか、と思い直した。

コロッケを連想させる小柄で丸顔の女性店員は、僕のことを「雑貨屋の下宿人さん」と知っていて「着物がよくお似合い」と褒めてくれる。照れて思わず笑った僕に「あらっイケメン」と付け足した。
計算でも演技でもなく、笑い顔になったのは久しぶりだった。

揚げたてのコロッケをはふっはふっと頬張りながら歩く着物姿の男は、あの女子学生の集団のように、この町の景色に加えてもらえそうな気がした。

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十字路の角に住む老人のことがなぜか心に留まっていて、僕は彼と会話を交わす算段を立てることにした。

出身の街を出るとき、広く名を知られている地元の海鮮煎餅を挨拶用に2箱持ってきた。
1箱は入居の時に大家さんに渡したが、もう1箱はいつか機会があった場合の予備だった。日持ちもする。

雨上がりを見計らって、僕はその1箱を携えて十字路へと向かった。

生垣越しに縁側の老人を見つけ、いつものようにこちらを向いた瞬間に「こんにちは」と声をかけた。「お邪魔してもよろしいでしょうか」

老人は不機嫌な表情のままフンと横を向いたが、しばらく待つと生垣の合間にある裏木戸を指さした。
入ってもいい、という了承と理解して、僕は木戸を開いて敷地に足を踏み入れた。

「今月から、この町に越してきました」
自己紹介をする僕を、老人は頭からつま先までじろりと見まわし、フンとまたそっぽを向いて十字路見つめながらうちわをパタパタと仰いだ。

「あの、良かったらこれ…」と差し出した海鮮煎餅の箱は「そんなもん食えるか」と一瞥もくれずに拒絶された。

結局その日はそのまま追い返される形で、僕は煎餅の箱を持って立ち去るしかなかった。
起き上がる気力が回復するまで丸一日を要した。


海鮮煎餅の1箱は、親しく会話をしてくれるコロッケ屋の店員さんに「今さらですが良かったら皆さんで」と手渡した。

パッケージを見て「へぇ、ここの出身なの」と店員さんは興味を示した。
「どうりで、なんだか海風を感じたんだよ」
冗談ぽく笑う店員さんの頬にえくぼができた。

コロッケが揚がるまでの間、十字路の老人とのいきさつを話すと、彼が長年連れ添った奥さんを亡くしたばかりだったのだと知る。
それであの険しい顔なのか、と得心したら「あれは元々なの」と訂正された。


手土産のお礼にと余分に持たせてくれたコロッケを持って、再び十字路の老人の家を訪れた。
目が合い会釈をすると、老人は裏木戸を指さしたので、前回と同じようにそこから敷地に入った。

「良かったら食べませんか」と差し出した無地の紙袋を見て、老人は「ヨシイケのか」と店名を言い当てた。

「油物は良くなくてな」への字に曲がった口を、深いしわがさらに強調している。「書生さんが食いな」
書生さん、か。
意味を知って言っているのかどうかはともかく、雰囲気は伝わった。老人から見て僕は和装の若造なのだろう。そして、老人との会話は達成できた。


夜半にやってきた雨が軒を叩く音を聞きながら、僕は机に向かっていた。
衣紋掛けと同じく元々この部屋にあった文机の前に胡坐をかいて、組んだ腕は着物の両袖に入れて。

机の上には、白紙の原稿用紙を広げている。
窓には、無風の部屋で音を鳴らさない風鈴が下がっている。
どちらも1階の雑貨屋で入手してきた。

抜け出すことなど不可能に思えたしがらみを捨て、起き上がることもできない状態から立ち上がって、僕は一歩ずつ歩き始めている。

文才とはどういうものか分からない。
ただ言語さえ知っていれば、書き残せる何かがある気がした。


雨が上がった日、僕は風鈴を片手に十字路を訪れた。
縁側に座る老人が僕に気付いて指さすのを待ってから、裏木戸を開けて敷地に入った。

「良かったらこれ」と差し出した風鈴を老人はしばらく見つめ、縁側の庇を示すように顔をくいっと上に向けた。「儂には届かん。書生さん付けてくれ」

三顧の礼、という言葉を思い浮かべながら、風鈴のひもを庇にかけた。僕は3つ目の贈り物をようやく老人に受け取ってもらうことができた。

風にりーんと鳴る風鈴の音を聞きながら、老人がぽつりぽつりと語る奥さんの話を聞いた。あまりに急なことで、今も近所に出かけているだけのように思うそうだ。人の行き交う十字路の角から、確かに奥さんがひょいと帰ってくるような気がした。

風鈴の音が流れる中、僕たちはしばらく一緒に十字路を眺めた。

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例年より長い梅雨は外出を阻み、それは僕が机に向かう時間を作った。

400円の原稿用紙をもう一冊買ったうえ、100円のペンを5本消費した。

雨が上がったその日、どれだけ揃えてもきっちり揃わない原稿用紙をなんとか束ねると、僕は最初の読者に届けるために十字路へと出かけた。

老人が指さす裏木戸を開けて敷地に入り、届け物を縁側に置いた。

「ほお、こりゃ」受け取った原稿用紙の束と僕を見比べて老人は言った。
「文豪の先生でいらっしゃったか」

相変わらずニコリともしない表情と冗談を含んだそのニュアンスに、書生と言っていたのも親密さを表す彼なりのユーモアだったのかと思い当たり、最初に書生と呼ばれた日の記憶を遡った。

原稿用紙に当たるほど目を近付けて、老人は眉をしかめた。

「こりゃまた、読みづらい…」

そうなのだ。
どちらかというと器用に何でもこなせた僕が、唯一どうしても手書き文字だけは上手くならなかった。習字を習っても書き方教室に通っても上達しなかった最大の欠点は、意外にもここで救いになった。

不器用で不完全に、生きていけると思った。

傍らの新聞の上に置いた眼鏡をかけ、顔を近付けたり遠ざけたりしてピントを合わせると、老人は原稿用紙をめくり始めた。

僕も縁側に腰かける。
りーんと鳴った風鈴を見上げると、雲の切れ間から青い夏空がのぞいていた。

終(5574文字)

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