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『月旅行』

20xx年。
私は月へと旅立つこととなった。

今の時代ではまだまだ最新技術で、無事の保証ができない未知のサービスだから当然高額だけど、貯蓄をすべてつぎ込んで迷わず申し込んだ。
この夢のために働いてきたと言っても過言ではない。
子どもたちはとっくに巣立ってそれぞれ収入を得て家庭を築いている。親としての役割も全うしたんだから、あとは私の好きなようにしても文句ないわよね。

出発の日。
私を見送る多くの人が、手を振って笑顔で「行ってらっしゃい」「元気でね」「写真送って」と口々に叫んだ。私の写真を掲げる人までいて、ほんと大げさ。
先行予約の特典でもらえるクリスタルのトロフィーは、目的地の月を模したシンプルでステキなデザイン。
申し込みサイトを一緒に見ていた孫娘が一目でひどく気に入っていたから、宝物にしてねって彼女にあげた。
そのトロフィーを抱えた孫娘を抱く娘の夫なんか、私の月旅行が羨ましいって何度も何度も私に言うの。
やめてよ、って眉をひそめる娘は、私の月旅行にもちょっと反対してたね。まぁでもこんなお母さんだから仕方ないよ。

いよいよ出発の時になると、私は特殊なシールドに包まれて音声が届かなくなった。それでも窓からはいつまでも手を振るみんなの姿が見えた。
私に月旅行のプランを紹介してくれた同僚の女の子、先越されたとか羨ましいとか散々叫んでいたけど、こういうのは早い者勝ちだから。あなたも早く貯金して申し込みなさいね。

あっという間に黒い空間に飛んだ。
月までは、思っていたよりずっと近い。

よく考えたら、この片道切符。「行ってらっしゃい」も「元気でね」もおかしいよね。
でも申し込んだときからずっと周りに伝え続けていたから、いつしか皆が洗脳されたように納得してた。

だっていつでも会えるもの。
空を見上げれば、私たちの唯一の月に。

灰と骨のかけらになった私を込めたカプセルは、月面に、とすんと落ちた。
四方を窓に囲まれているから、相当運悪く岩陰にでも落下しない限り、視界は開けている。

私は青い地球を正面に見据えた。

ーーーーーーー

天井一面がガラス張りの大きな天窓になっている部屋は、宇宙観測が大好きだった父が建てたこの家の一番広い空間だ。
プラネタリウムのように空を向いて傾くソファが並び、家族が思い思いに空を眺めてくつろぐ。

「これ、私の宝物」部屋の一角に飾られているクリスタルのトロフィーを持って、孫娘が駆け回る。
「危ない、よしなさい」と息子のお嫁さんが制止しようとするのを、ほっほほって笑って眺める。
大丈夫、私がそのトロフィーを振り回して付けた傷跡が、床や柱に刻まれているのよ。そう簡単には壊れないから。

ソファに身を預けて、月を眺める。
いつもこちらを向いているってすごいね、おばあちゃん。

誰にも世話をかけないと、月に旅立ったおばあちゃん。
母はみんなのそばにいたいと、地上の葬儀を希望した。
どちらも大切で、どちらも身近に感じる。

「おばあちゃーん」クリスタルのトロフィーを抱えて孫娘が私の膝に逃げてきた。
トロフィーごと孫娘を抱いて、一緒に月を見上げる。
「あそこにおばあちゃんがいるの?」
「そう。おばあちゃんのおばあちゃんがいるの」

満月は明るすぎる光で私たちを照らす。

「おばあちゃん、ここにいて」孫娘が抱きついてくる。
「まだ行かせないでくれる?」ほっほほ、と笑った。

終(1330文字)

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