言葉にする。
「観察してなにがわかりましたか?」
わたしはいちいち聞きます。
答えがなくてもいいし、
何かを言ってくれてもいい。
正解を聞いているわけではないんです。
何かを考えていた、
自分をどう見ているのか、
どう動いたのか、
どう考えたのか、
そんなことを聞きたいんです。
これに答えるには、
自ら何かをしている必要があります。
ただただ言われることをこなしている。
そんな態度では答えられません。
座るという動作をしたとします。
わたしが「なにがわかりましたか?」
と聞いた時、「座れました。」
これで全く問題ないんですよ。
座れたということが、わかったんです。
別の言い方をすると、
頭でっかちになっていないということです。
今起こったことにきちんと反応して
受け入れているということです。
答えられなくてもいいというのは、
観察できなかったことでもあるし、
単純にわからなかっただけかもしれない。
わからなかったということが、
わかったんですよ。
答えられなかったってことは。
言葉にすることは
今の自分のことがわかる指標になります。
わたしも言葉になんでできない。
起こっていることは一つじゃないし、
それは同時に起こってて、どれか一つを
取り出すなんて不誠実だ、と思っていました。
でもね、
言葉にできないってことは、単純に
捉えきれていないものがいっぱいある。
そんなざっくりとした捉え方しかできていない、
ということでもあるんです。
いち、に、さん、いっぱい。
みたいな世界です。
もちろん丸ごと捉えられるようになって欲しいんですが、
そのためには、
繊細に捉えられるという前提が必要なんです。
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