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なぜ、できるのか。

コーヒー淹れよう、と立ち上がる。
これってよくよく考えてみると、
不思議なんです。


森田真生さんの本を読み終わりまして。
一冊目は岡潔さんの著書を編纂した、
「数学する人生」。
もう一冊はご自身が小林秀雄賞を最年少で受賞した、
「数学する身体」。

森田さんは大学から数学の道に入られた方で、
数式がわからなくても読めますと書いてあり
その通り数式は一切出てこず、計算もせず、
数学というものについて書かれたものでした。


数学の語源には、
「初めから知っていることについて知ろうとする。」
という意味が潜在しているかもしれないらしいです。

初めから知っているものって、
例えば数字の1ってなんだかわからないけれど、
なんだかわかっていますよね。

目の前にあるものはなんだかわからないけれど、
なんだかわかっています。

これについて知ろうとすることらしいんです。


自分の身体について考えたんです。

私の身体、
なんだかわからないけれど、
なんだかわかっています。

なぜ動くのかわからないけれど、
なんだか動かせています。
なぜ見えるのかわからないけれど、
目を開ければ世界が見えます。

立とうと思えば全体が絶妙に協調して
立ち上がれるんです。
ほんと不思議です。

頭が痒いと思ったら、
なんだかわからないけれど、
手を動かせて頭を掻くことができるんです。

どうやっているんでしょう???

わからないけれど、わかっている。


どうやって動かしているのか、
なぜ動かせるのかがわからないものの
動かし方を変えたいと思ったら、
それはもう、動かそうとする思いと、
こう動かそうとするなんだかわからないものを
切り離すしかないでしょう。

なぜだか動いている、が
通常なんだから、
考えて「こう動かします」としたところで、
「こう動かします」を忘れた時には
通常に戻るのは当たり前です。


なんだかわからないけれど、
そこから始めるしかない。

どうやって動かせているのかは、
これから先わかることはないかもしれないですが、
それでもそこから始める。
始めるしかない。


知っているものを知っているとわかるようになりたい。

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