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答えと自分。

自分を通して検証するのか、
検証されたものを自分に当てはめるのか。


むかーし、算数で検算というものを習いました。
答えが合っているかを確かめるためです。

でも、これって、確かめるというよりも、
道筋をもう一度通りなおすことのほうが
重要なんじゃないかなって。
もしくは、別の視点でたどり直してみる。


最新の科学や、なんちゃらが
出した答え、多分本当なんでしょう。

でも、それを自分自身に
そのままか、少し手を加えて
当てはめようとすることは、
自分を置いてけぼりにしています。

自分を置いてけぼりにして
自分のことを見つめよう、なんてできっこありません。


例えとして、科学を持ち出していますが、
それは先生や先輩、もしくは有名な誰それ、が
言っていることも、同じです。
誰かの答えは自分の答えじゃありません。


自分を通して検算することはとても時間がかかります。

導き出した答えが間違っていることもあるでしょうし、
遠回りしたり、逆方向へいってしまったり。

それでもなんでも、
「自分で」出した答えは間違っていたとしても
とても価値あるものです。


自分なりの答えを持って、
他のものを眺めると、あら不思議、
いろいろなものがとてもよく見えるようになります。

そうして初めて自分の答えが、
どういうものなのか、が
わかるようになってきます。

それから戻ってくればいいんです。


一直線にたどり着いてしまったら、
その答えの意味は多分わかっていない。

単純に経験が足りないかもしれないし、
考えが追いついていないのかもしれない。


正解と間違いの違いがわからないんですよね。
一直線にたどり着くと。

あ、天才は別です。

なぜそれが正解なのかがわからないと
信じるしかない。

だからこそ、
正解の周りも知っておく必要があるんです。

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