感覚って。
以前アレクサンダー関連の動画で聞いた話なのですが、
わかってもらおうとしていない。
というお話をされていたのを聞きました。
確かに、私を含めアレクサンダー教師は
わかってもらおうとしていないかもしれません。
それは諦めにも似たもので、
感覚を言葉にすることの難しさを知っているから。
もしビールを飲んだことのない人に
味を説明してと言われたら、
世間で言われている、苦くてシュワシュワでと言うのではないでしょうか。
でも、何か違うな、と思いながらも言ってしまうのではないでしょうか。
説明しきれていない、そんなことを思いつつ
それ以上の説明って難しい。
アルコールの感覚って説明不可。
例えば音楽の話にしてもそうで、
音について説明してと言われたら
音の周りの説明しかできない。
それは四分音符だったり、音の高さだったり、
どこに向かっている音なのかだったり、
音そのものについての説明って難しい。
音が響いているそのものは説明不可。
(あ、私自身がレッスンで紋切り型の感覚の説明しているかもしれない。。。
改めて言葉に気をつけないとです。)
身体の感覚についても同じことが言えます。
あなたがそう感じたことって、
言葉にするのは難しい。
例え言葉にできたとしても、
話している人も同じ感覚を感じているとは限らない。
あなたが前って感じたことは
別の人は後ろと感じるかもしれない。
ん??
変なこと言ってると思いましたか。
変なことじゃないんですよ、これ。
例えば、出発する地点がどこなのかによって
前や後ろと感じる感覚も違ってきます。
身体に関する感覚は全てにおいてこれが言えるわけです。
私がいくら私にとっての嘘のないように
身体の感覚について言葉にしても、伝えることには限界があります。
アレクサンダー関係の記事に
ボディマップとか解剖学の話が多いものそのせいかもしれません。
それだと科学的なので一応の共通理解がある。
反復できる説明なので言葉にできるんです。
ここにアレクサンダーテクニークが、そう言うものであるとの
誤解が生まれるのかもしれません。
話が飛んじゃいました。
最近参加させていただいたアレクサンダー共同マガジンにも
同じようなことを記事にされている方がいらっしゃいました。
本を読んでも、レッスンに来てほしいと言うことが書いてあって、
なんだかなあ、宣伝本なのか、と疑っていたことがあったそうです。
そうなんですよね、
私もレッスンに来てくださいとしか言っていないので
膝を叩くと共に、深くうなづきました。
アレクサンダーの教師がなぜ手を使っているのか。
それは手を使って触れている生徒を知る手助けにしたり、
自分の感覚を伝えるためなんです。
これもまた、レッスンで実際に!と言う話になってしまうんですけどね。
ううー、辛いところです。
自分でも不思議なんですが、
なんとなく生徒のことがわかるんです。
呪文唱えるのやめたな、とか
別のところに意識が飛んだな、とか。
こう言うことは体験して経験してもらうしかないので、
レッスンに来てください!!
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