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「褒め」より、「関心」と「感謝」を
江頭 春可 / ナラティブベース代表 さんの『褒めないでください!』を拝読し、人が本当に元気づくのは「褒められた」ときではなく、「共感」を得られたとき、「感謝」されたときではないかと思いつきました。江頭さんの記事を引用させていただきながら、この気づきについて書きます。
江頭さんの記事はこちらです:
1.「褒め」は相手の意欲に水を浴びせる
「褒めて相手の意欲の炎に薪をくべる」と言いますが、すでに意欲的に取り組んでいる人を褒めることで、その人の意欲に水を浴びせてしまうことがあります。
江藤さんの言葉を引きます。
幼い頃から、両親や先生に褒められると「それをやめてしまう」という特性がありました(笑)。本当にひねくれていると思いますが、褒められると「あ、こんなものでいいんだ」と思ってしまうというか、急に何かに到達して面白く無くなってしまう感覚がして、努力を止めてしまうのです。
(太字部分は、江頭さんが太字化)
ここでのポイントは、「自分がどこまで行けるかを他人に勝手に決められると、やる気がなくなる」ということです。私は、自分が作った教材の出来に自分で満足できていない時に、それを使う講師から「これでいいよ」と言ってもらえるとホッとすると同時に、「その程度の期待だったんだ」と(身の程知らずに)がっかりすることがあります。
両親や先生が江頭さんを褒めたことが、江頭さんがご自身の興味でーつまり「内発的動機付け」でー取り組んでいた活動に大人の評価という「外発的動機付け」を持ち込む形になり、それが江頭さんの意欲を減退させてしまった面もあったと私は考えます。
せっかく「内発的動機付け」で人が働いているときに、褒め言葉、ご褒美、報酬などの「外発的動機付け」を持ち込むと「内発的動機付け」が減退する。このような現象が観察されることがあり、経営の世界では「外発的動機付け」による「アンダーマイニング効果」と呼ばれています。私は、これは《ほぼほぼ真実》だと考えています。
2.「褒め」には上下関係が隠れている
私たちは、「子どもを褒める」、「部下を褒める」とは言いますが、「(子どもが)親を褒める」「(部下が)上司を褒める」とは言いません。後の場合に使われるのは「尊敬する」が一般的でしょう。
つまり、「褒める」には、上位の人間が下位の人間を認めて「よしよし」と頭をなでるニュアンスが隠れているのです。
江頭さんの記事から引用します。
たとえ上司であっても「よくやった」的なことを言われると、「あなたのためにやってません」的な感情を持ってしまう生意気な部下でした…。もちろん労いや感謝も込めて言ってくださっているとは思いつつ、なんだか下に見られているというか、上はこっちだぞと言われてる感じを必要以上に敏感に感じとり、上がっていたテンションは逆に下がる始末。(本当にごめんなさい。自意識過剰なめんどくさい部下でした (>_<))
(太字部分は、楠瀬が太字化)
私は上司から褒められるとシンプルに喜びます。しかし、江頭さんがおっしゃる「下に見られている」という感覚は、私にもあります。多分、私は「会社って、そういう所だよね」と自分に言い聞かせて違和感を流しているのだと思います。
上下関係が現実の制約であったとしても、組織が自己革新を続けるためには、可能な限り上下関係を意識させないフラットな内部環境が必要であることは言うまでもありません。
その意味で、部下に上下関係を意識させるような「褒め」は控えるに越したことはないでしょう。
3.「褒め」が社交辞令化すると、空虚に疲れる
集団の中で「褒める」ことが人付き合いを円滑にするための社交辞令に使われていると、次のような悪循環を招きます。
(1)「褒め」が連発されるから一つ一つの「褒め」の価値が下がる
(2)「褒め」ないと集団の中で居心地がわるくなる
(3)「褒め」のネタを一生懸命探すことになり、疲れる⇒(1)に戻る
江頭さんは上述のような悪循環に気づいていらしたから、次のようにおっしゃったのだと思います。
人と「褒め合う」シーンが異様に苦手です。女子の褒めあい集団とか、ママ友同士で褒め合うシーンもマジでダメでした。息ができなくなります。
4.「褒め」るより、「共感」しよう
木の枝を手に一心不乱に地面に絵を描いている幼児に、次のa)またはb)の声かけをした場合、どちらの場合が、その子との会話が、より弾むでしょう?
a) 「小さいのに絵が上手だね」
b)「見せてもらえるかな…(間を置く)…おぉ、これは〇〇かな?」
私の経験では、ほぼ90パーセント、b)の声かけをした場合です。〇〇が外れたとしても、それが会話の妨げになることはゼロではないですが、危惧するほどのことはありません。多くの子どもは、「違うよ、△△だよ」と訂正してくれます。
何かに夢中になっている子どもにとっては、その出来栄えを褒められるより、夢中になっていることに関心を持ってもらえる方が嬉しいのだと思います。
これは、大人についても当てはまると私は思っています。私は、自分が作った教材を「よくできている」と褒めてもらうと嬉しいですが、もっと嬉しいのは、「どういう仮説を立てて、どうやって情報を集めたの?」と制作過程に関心を持ってもらうことです。
結果を褒められても「ありがとうございます」と御礼を述べるしかありませんが、制作過程に関心をもってもらえると、語りたいことが次々と頭に浮かんでくるからです。
江頭さんは、こうおっしゃっています。
◎更新提案!「フラットな褒め言葉」に挙げた言葉は、比較的上下関係よりも、自分自身に興味をもってくれているんだなという関心や、自分が役に立ったんだなという貢献が感じられる言葉です。こう言った表現は、褒める側の評価(価値観)に引き寄せられる感じがせず、逆に自分の価値観に関心を寄せ認めてくれている、自分が尊重されているフラットな印象を感じさせてくれます。
(太字部分は、江頭さんが太字化)
「関心」が重要なのです。
ここで江頭さんは「自分が役に立ったんだなという貢献が感じられる言葉」とも、おっしゃっています。
「自分が貢献したことを感じられる」言葉とは、どういうものでしょう。それを次に見ていきます。
5.「褒め」るより、「感謝」しよう
相手にしてもらったことが自分にとても役立ったら、相手に対してどういう行動をとりますか? 感謝状を書いて渡しますか? お財布から謝礼を取り出しますか?
そのどちらでもないはずです。「ありがとう」と「感謝」するはずです。
では、「感謝」される側になって想像してみます。次のア)、イ)、ウ)のうち、どれが一番嬉しく感じるでしょう?
a)言葉だけで「ありがとう」と言ってもらった
b)顔を見て微笑みかけてくれながら「ありがとう」と言ってもらった
c)《こうしてくれたことが、こう役立った》と具体的に示して「ありがとう」と言ってもらった
ほとんどの人がc)を一番嬉しく感じると、私は思います。a)は、単なる社交辞令のように感じられてしまいます。b)は a)よりも真情がこもって感じられますが、「もう少し、どのように役立たっか知りたい」という気持ちが残るのではないでしょうか。
c)の形で感謝を伝えてくれる相手は、こちらの顔を見て、場合によっては身振り手振りを交えて、「感謝」を伝えてくれるはずです。真情がこもっていて、しかも具体的である。これほど嬉しい「感謝」のされ方はないと、私は思います。
江頭さんは、こうおっしゃっています。
「ありがとう」を言う前に「これは何のありがとうだっけ?」という深掘りをして「そうだそうだ、こういう理由のありがとうだ!」と思いついた理由を書き添えるという習慣です。
その「ありがとう」って何のありがとう?
感謝メッセージを送る際、少し掘り下げて具体的な言葉を添えると、グッと相手の心に迫りモチベーションアップにもつながる。
(太字部分は、楠瀬が太字化)
「感謝」を伝えるときには、《具体的に、何に・どのように感謝しているか》を伝えることが大事なのです。
私は、《具体的に、何に・どのように感謝しているか》を相手に伝えることには、伝える側にとっても具体的なメリットがあると考えています。相手が今後も同じような行動をとってくれる「再現性」が高まるからです。
江頭さんの『褒めないでください!』に触発されて、色々なことを考えることができました。江頭さんに感謝しつつ、この稿を終えたいと思います。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
『「褒め」より、「関心」と「感謝」を』 おわり
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