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時間論3:共同体の《時間》から機械の「時間」へ

時計がなかった時代、人々にとって時間とは共同体の生産活動の区切りでした。人間の活動リズムが時間の基準だったのです。ところが、産業革命によって時計によって測られる機械の「時間」という新しい基準が登場し、人類全体がそれに従って暮らすようになります。今回のエッセイでは、人と時間の関わり方に対して産業革命が与えたインパクトを見ていきます。

このエッセイでは、時間を次の3種類に分けます。

※《時間》=時計が存在しない時代の時間
※「時間」=時計が存在する時代の時間
※ 時間=時間という感覚または時間という概念

時間は、具体的には《時間》と「時間」の両側面を持つものと考えてください。


1.  振り返り


 このエッセイは、以前に投稿した時間についての2つのエッセイのつづきです。そこで、初めに、以前のエッセイの要点を振り返ることにします。ポイントは、次の5点です。

①共同体Aと共同体Bが異なる生産手段で暮らしを成り立たせている時、A、Bにとって、時間とはそれぞれの生産活動の区切りである。この《時間》を《A時間》、《B時間》とする。

②《A時間》、《B時間》は活動そのものなので、時間として意識されることはない。これを共同体の【内側にある《時間》】とする。

③共同体Aと共同体Bが交易を始めると、お互いが共通して使える《時間》が必要になり、そのような時間として《A・B時間》が設定される。

④《A・B時間》は意識して思い出す必要がある時間なので、これを共同体の【外側にある《時間》】とする。

⑤A ・B間の交易が定着すると、【外側にある《時間》】だった《A・B時間》が暮らしの当たり前の一部になり、【内側にある《時間》】に近く感じられようになる。

 2つのエッセイは、こちらです:


2.《市場時間》の普及


 交易がAとBの間だけでなく、さらに多くの共同体の間で行われるようになると、皆が揃って集まれる時間と場所を決めておく方が好都合です。こうして生まれたのが市( 市場)です。

 四日市、五日市、八日市など、地名に「市」がつく土地は、昔そこで市が開かれていた場所であり、四、五、八などの漢数字は市が開かれていた日付を表します。
 日付を決めていたのは、月の満ち欠けを基準にした太陰暦です。一日の間で《時間》を指定するときは太陽の動きが便利ですが、日数を数える上では月の満ち欠けを目安にした方が分かりやすいからです。
 
 こうして、多くの共同体が共有する《市場時間》が人々の暮らしに定着し、普及していきます。《市場時間》は、個々の共同体から見れば他の共同体と ‶お付き合い〟する上の仲立ち役として設定した ‶よそ行き〟時間です。したがって、それは共同体の【外側にある《時間》】です。
 人々が《市場時間》という共同体の【外側にある《時間》】になじんでいったことーーこれはとても重要なことです。なぜなら、このことが後に起こる産業革命の地ならしとして機能したからです。
 
 《市場時間》という共同体の【外側にある《時間》】を指定する目安としては、太陽の動き、月の動きという自然現象が用いられていました。これも、産業革命がもたらした暮らしの変化を考える上で、とても重要な点です。

 共同体同士の交易が盛んになって市場が繁盛するようになっても、市が開かれる日を除けば、人々は、共同体ごとに異なる《時間》で暮らしていました。こういう暮らしの形がヨーロッパでは17世紀まで、日本では江戸時代まで続いていたのです。

3.  産業革命

 
 今日、先進国と呼ばれている国々では、18世紀から19世紀にかけて産業革命が起きます。産業革命の核心は、人の労働を多種多様な機械と結びつけ《人と機械の組合せ方》の工夫で利益を得る生産様式を確立したことです。

産業革命によって生まれた生産様式

 この生産様式については、次のエッセイで掘り下げて触れてみました。

 機械の活動には、共同体の中の人の活動とは決定的に異なる性質があります。‶活動〟と言うと機械が自分の意志で動いているように聞こえてしまうので、 ‶作動〟と置き替えましょう。 
 機械は、人と違って太陽や月の動きといった自然現象から独立して切れ目なく同じリズムで作動し続けることができるのです。もちろん、燃料切れや故障が起こらなければの話ですが。
 
 実際、製鉄所や化学プラントなどでは、24時間365日、機械が稼働し続けています。機械というとメカニカルなハードに限定されてしまいます。そこで、機械に通信やコンピューター、AIなどソフトの技術を加えて《テクノロジー》と名付けることにします。すると、自然現象から独立して切れ目なく作動し続ける存在としての《テクノロジー》が私たちの暮しの基盤になっていることが分かります。
 今私が綴っているこのエッセイも、24時間いつでも読んでいただくことが出来ます。それは、私がコンピューターとインターネットというテクノロジーの基盤上でこのエッセイを書いているからです。

 話を産業革命期に戻します。活動に切れ目があり自然現象に左右される人と、切れ目なく作動し自然現象に左右されない機械。この両者を仲立ちする時間をどう設定するか? これが産業革命の成否がかかった課題でした。
 そこで表舞台に登場してきたのが、時計で測られる「時間」です。18世紀以降、パリとロンドンで手工業による時計産業が発達します。そして、18世紀から19世紀にかけてヨーロッパで産業革命が起こります。時計の普及と産業革命は並行して進んだのです。
 その理由は、時計と機械の共通点を考えれば明らかです。時計も機械も切れ目なく作動し続けるものです。お互いに切れ目なく作動するものだから、機械の時間を決める上で時計は格好の基準となったのです。

 ところで、時計を牧畜で暮らしている共同体や小麦栽培で暮らしている共同体の中に据えてみます。すると、時計は、牛飼いや小麦栽培の切れ目とは関係なく同じリズムで動き続けます。しかも、そのリズムは太陽や月の動きといった自然現象に左右されることもないのです。
 それは、時計で測られる「時間」を、人の活動と機械の作動を仲立ちする「人・機械時間」として採用できることを意味します。こうして時計で測られる「時間」が、人々の暮らしの基準となっていきます。

 ここで一点、付け加えておかなければならないことがあります。それは、産業革命が成功するためには、機械と時計の登場に加えて、もう一つ前提条件が必要だったということです。それは、共同体を離れ、共同体の《時間》から切り離された個人が登場することです。

 産業革命が起こった国では、産業革命に先だって、農村共同体の中で貧富の差が拡大し耕作地を失う農民が多数現れています。この耕作地を失った農民が都市に移住して機械と協働する労働者となったのです。

 こうした人々は、共同体の中にいたときから《市場時間》という共同体の【外側にある《時間》】になじんでいました。だから、共同体の外に出て共同体の【内側にある《時間》】から切り離されると、「人・機械」時間という、自分たちの【外側】にある時間に合わせていくことができたのです。

4.「機械時間」による人の支配

 「人・機械時間」が人と機械を仲立ちしたと述べましたが、人と機械が協業する現場では、人の都合より機械の都合が優先されました。切れ目なく作動し続ける機械と動作に切れ目がある人を比べたら、切れ目なく作動する機械の都合を優先した方が生産効率が上がるーー少なくとも機械に出資する企業家と機械を管理する技師は、そう考えるでしょう。

 このような考え方を象徴するのが、19世紀末から20世紀初めにかけてアメリカで活躍した機械技師フレデリック・テイラーが編み出した「科学的管理法」と呼ばれる生産管理手法です。
 テイラーは、労働者が機械と協働するときに身体を動かす「時間」をストップウォッチで計測し、生産効率が最大になる身体の動かし方を追究したのです。そこでは機械の都合が優先されたことは言うまでもありません。

 こうして、産業革命から大衆消費社会へと続く近代工業社会の初期には「機械時間」が人を支配する状況が現れます。その後、テイラー式の機械優先主義一本槍では必ずしも生産性が上がらないことがわかってきて、人の側の都合も考慮されるようになっていきますが、機械の作動効率を最大化しようという指向は企業経営の根底を流れ続けてきましたし、それが今日では、より広範なテクノロジー全般に及んでいます。

5.未来の時間のあり方

 私たちは、現在も時計が刻む「時間」を仲立ちにテクノロジーと協働しています。技術は変わり人間の都合も考慮されるようになりましたが、根っこの構造は産業革命期と変わっていません。極論すれば、私たちは「テクノロジー時間」を生きているのです。そして、この「テクノロジー時間」は、その起源にさかのぼると、私たちの【外側】にあったものです。

 私たちは「時間が惜しい」、「時間に追われる」、「時間が足りない」等々、時間という名の他者が私たちを苦しめているかのような物言いをします。そのような感覚は、私たちが本来は私たちの【外側】にある「テクノロジー時間」を生きていることから来ているのです。
 そして、現在進行形の現象を見ていると、私たちは、ますます「テクノロジー時間」の上で効率アップを追求する方向に進んでいるのだと思います。

 ただ、次の3つのことは忘れずにいたいと、私は考えています。

Ⅰ)人類がテクノロジー時間」を生きてきた期間は20万年にわたる人類の歴史の中で、ほんの束の間に過ぎない。

Ⅱ)過去においては、人類は「テクノロジー時間」とは異なる《時間》を生きていた。

Ⅲ)過去にそのような《時間》が存在したということは、未来においても人類が「テクノロジー時間」とは別の時間を生きる可能性がゼロではないことを示唆している。

(注)エッセイトップの画像出典:


ここまで3つのエッセイを通して人と時間の関わり方について考えてきました。このテーマについての論考は、ここでいったん終了することにします。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。


 


 




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