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ポークカツレツととんかつは何が違うのか(その4)

新刊『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』、冒頭部分無料公開中です。

古川緑波が精養軒や帝国ホテルで食べた、イギリスやフランス本来の厚いカツレツを第一段階のカツレツとすると、煉瓦亭のような薄く叩き伸ばすカツレツは第二段階。

第二段階 叩き伸ばすカツレツ
料理書 『軽便西洋料理法指南』
店舗 明治初期の各西洋料理店、煉瓦亭

明治21年に刊行された『軽便西洋料理法指南』は、当時の西洋料理店の実際のレシピを掲載したという貴重な料理書。

その由来についてはNOTEを参照してください。

『軽便西洋料理法指南』のカツレツレシピです。

薄く叩き伸ばしていることがわかります。

これは日本化したカツレツなので、古川緑波にいわせるとポークカツレツではなく日本化した「トンカツ」という名で呼ぶべきだ、となるわけです。

『軽便西洋料理法指南』のビーフステーキレシピです。

やはり叩き伸ばしていることがわかります。

さて、『軽便西洋料理法指南』の明治21年頃の牛肉の肉質は、現在とは違うものでした。

叩き伸ばすレシピは、その肉質が原因だったのかもしれません。

吉田忠『牛肉と日本人』によると、明治中期までの日本の牛肉は、イギリスやフランスのように食肉用に肥育された牛のそれではなく、農耕用などの使役牛を使用していました。

近江牛で有名な滋賀県蒲生郡においては、近江牛ブランドが確立した明治時代中頃から、使役牛を肥育して出荷するようになったそうです。

“近江牛ブランドが確立されたころ、それまでの老廃牛出荷に対し、役利用後、濃厚飼料を与えてから出荷する方式がはじまった。”
“最後の三~六カ月の問、大豆粕などが集中的に与えられ肥育が行なわれた。”(『牛肉と日本人』 吉田忠)

『軽便西洋料理法指南』の頃の牛肉はの老廃牛が中心。

当然ながらその肉質は硬かったのでしょう。

また、食べる前に牛肉を熟成させる技術も未熟だったのかもしれません。

幕末に大坂(適塾時代)に牛鍋を食べた福沢諭吉は、当時の牛肉について次のように語ります。

“どこから取寄せた肉だか、殺した牛やら病死した牛やら、そんな事には頓着なし一人前百五十文ばかりで牛肉と酒と飯と十分の飲食であつたが牛は随分硬くて臭かった”(『福翁自伝』)

鶏肉も、戦前は軍鶏や老廃鶏(親鶏)の硬い肉が中心でした。

『焼鳥の戦前史』に書きましたが、戦前の鶏肉は硬いので、肉屋では薄切りにして売っていました。

チキンカツレツも、硬い鶏肉を薄く叩き伸ばすことで食べやすくしていたのかもしれません。

豚肉は硬くはなかったはずですが、明治時代末まではカツレツといえばビーフカツレツが主体だったので、ポークもビーフに倣い薄く叩き伸ばしたのかもしれません。

やがて牛肉は老廃牛から肥育牛と変化し肉質が向上。鶏肉も選別したオス(明治時代は肛門によるヒヨコ鑑別法がなかったので、ある程度育ててオスメスがはっきりしてから選別した)を肥育した若鶏が使用できるようになり、肉質が柔らかくなりました。

こうして肥育牛や若鶏が普及し叩き伸ばす必要がなくなったカツレツの肉ですが、煉瓦亭のような安い洋食屋ではお得感を出すために、肉を薄く叩き伸ばして大きなカツレツを作っていました。

厚いカツレツを出していた精養軒で修行し、フランス修行後に宮内省大膳寮に務めた「天皇の料理番」秋山徳蔵が、丸の内の洋食店の支配人とコック長を呼び出して、なぜ煉瓦亭のような薄いカツを出すのかその理由を聞き出したことがあります。

”カツだってそうです。ごぞんじのように小さくても厚いのがうまいのですけれど、それではテキメンに売行きが減るのです。それで、薄くして、脂のところも落さないで、大きく見えるようにつくるんです。”(『味の散歩』 秋山徳蔵)


第一段階 イギリスオリジナル(1.5~2センチ前後)
料理書 『西洋料理指南』『西洋料理通』
店舗 精養軒、帝国ホテル(?)、ポンチ軒(?)

第二段階 叩き伸ばす薄いカツレツ
料理書 『軽便西洋料理法指南』
店舗 明治初期の各西洋料理店、煉瓦亭


と変化していったカツレツですが、昭和6年に「とんかつ革命」が勃発しとんかつ屋が東京に増殖すると、厚いとんかつが流行るようになります。

第三段階 ヒレ肉等の厚い肉
料理書 (特になし)
店舗 ポンチ軒、梅林、喜太八、蓬莱屋等々

「とんかつ革命」の詳細については、『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』を参照してください。

というわけで、第一段階の精養軒などの本格的なカツレツを知らない作家・池波正太郎や映画監督・山本嘉次郎は、本来のポークカツレツは二段階目の薄いカツレツであり、第三段階のとんかつ革命後の厚いカツレツを、日本化した「とんかつ」として認識しました。

一方、グルメに散財し、第一段階の本格的な厚いポークカツレツを食べていた古川ロッパは、第二段階の薄い日本化したカツレツを日本化したカタカナの「トンカツ」、第三段階のカツレツをひらがなの「とんかつ」と区別したのです。