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「豊かさ」ってなんだ

カナダのトロントにワーキングホリデーに来て、11ヶ月が経った。
もうすぐ帰国が近づいている。

今回の体験記は、ワーホリを通して「豊かさ」について考えるきっかけがあったので、それについて記してみる。

◇◇◇

物質的な豊かさへの問い : Would I rather cry in a BMW?

つい最近、中華系の友人Mと食事をしていたときのことである。

楽しい食事の途中で、突然彼女の電話が鳴った。Mが電話を取ると、表情が一変した。

電話の内容は、「Mの彼氏Kが覆面の男たちに襲われ、救急車で運ばれた」との知らせだった。

思いも寄らない知らせに、私たちは急いでレストランを飛び出し、戸惑いながら病院に向かった。

病院に着くと、幸いKは無事で、何があったのかを話してくれた。

犯人はKに恨みを持つ相手で、Kが服飾関係のビジネスで巻き起こしたトラブルが原因だったらしい。
ビジネスのいざこざから犯人が大きな損失を被り、以前から「賠償金を払え」という脅迫電話を受けていたが、Kがそれに誠実に対処しなかったため、状況が悪化してしまったという。
そして、Kが仕事場から出て車に乗ろうとした瞬間、覆面の男たちにゴルフク
ラブで襲われたらしい。

まるでドラマのワンシーンみたいな話だな、と思った。

それまで私はKの「大胆で経済的に成功し、人情味のある人」という一面しか知らなかった。
しかし、その日彼の話をよく聞いてみると、Kは時に他人を顧みず、人を欺いたり出し抜いたりするなど、かなり非倫理的な方法で財産を築き、成功を収めているらしかった。

しかも、本人はそれを悪びれもなく話すのである。

だから、トラブルや脅迫に直面しても、彼は自分の行いを反省することなく、問題の本質から逃れようとしているように見えた。

彼にとっては、他者に対する誠実さよりも、ビジネスの成功と財産の維持が最優先で、それが彼の全てのようだった。

さらに驚くことが、Kの彼女であり私の友人でもあるMが、Kのそのような一面を知りながらも彼に夢中で、結婚まで考えているということだった。
付き合い始めてまだ半年ほどしか経っていない上に、Kには浮気癖があることも知っているのに。

Kの倫理観も、なぜMがこんなKにのめり込んでいるのかも、どちらも私には理解しがたかった。



そんな時、中国には「バイクに乗って笑うより、BMWの中で泣きたい」というネットミームがあることを知った。


Wikipediaによると、ミームの元ネタは中国のリアリティ番組での発言に由来しており、中華圏における経済的成功や社会的地位を重視する文化を象徴しているとされる。
※中国でも常に賛否両論があるテーマであるようだ。日本におけるサイゼ論争みたいな感じだろうか。


なるほど。彼らの倫理観の背景には、こうした中華圏独特の物質的な快適さを重視する文化的要素が影響しているように思える。

◇◇◇


この出来事は、「物質的な豊かさが本当の幸せをもたらすのか?」という普遍的な問いに改めて向き合うきっかけとなった。

物質的な豊かさ自体を否定するつもりはない。この世界で生きていく上で欠かせないものだ。

しかし、それは人への敬意よりも大切なものなのだろうか。

人への敬意を忘れ、自分の物質的豊かさを追求したために、今回のトラブルは起こったように思える。

人に誠実に向き合うことを避け、問題を一時的にお金で『解決』できたとしても、学びのない人生は空虚だ。物質的な豊かさがあったとしても、最終的には何も得られず、虚しさだけが残るのではないか。


もしかすると、これは経済的に余裕のない自分の負け惜しみなのかもしれないが、「そんな人生は送りたくない」という思いが素直に湧き上がってきた。

私にとっての「豊かさ」とは単なる成功や物質的な充実だけではなく、人生における学びや成長、そして他者との誠実な人間関係が欠かせないと改めて実感したのである。




心の豊かさ : enjoy living

思えば、このような「豊かさ」に対する価値観の揺さぶりは、高校時代のベルギー留学でも経験した。

それまで所謂'進学校'に通っていた私は、「勉強と部活に全力を尽くし、良い大学に進学すること」が良いことだと教えられてきた。
勉強と運動部に励む生徒こそが素晴らしく、それがひいては豊かさにつながる、と教えられていたように思う。

私はそんな学校生活に全く馴染めず、勉強も部活も苦手だった。

そんな生活についてホストファミリーに話した時、「その生活で、いつ人生を楽しむの?」と問いかけられた。

その言葉にハッとした。私は「人生を楽しむ」なんて考えたこともなかったからだ。
部活が休みの日に1日中寝たり、趣味で絵を描たりすることにも、どこかで罪悪感を感じており、当時の自分の生活には「人生を楽しむ」ということが欠けていたように思う。
(もっとも当時私は17歳で、『人生』なんていう大きな視点で物事を考えたことはほとんどなかったが)

そうして、ベルギーで「人生を楽しむ」ことを学んだ私は、その後も様々な寄り道を重ね、25歳になった今も学生を続けている。
社会に出たときにこの選択がどのように評価されるかはまだわからないけれど、それでも自分のペースで歩んできた道に全く後悔はない。

普通のスピードで一直線に進むことが、必ずしも自分にとって最善の道とは限らない。むしろ、他の人とは異なるペースで進んだからこそ見えてきた景色や、新たに得られた経験がある。

自分に合ったスピードで進むことで、寄り道の中で見つけた経験や充実感が、私にとって大切だと感じている。


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生活の豊かさ : シンプルな選択

また大学に進学して一人暮らしを始めてから、自分の「生活に対する豊かさ」にも気づき始めた。
コロナ自粛が明ける頃、周りの友人たちは飲み会や娯楽を楽しんでいたけれど、私はお酒が飲めないこともあり、そういう遊びにはあまり馴染めなかった。

夜遊びをするよりも、一人で家で編み物をしている方がずっと楽しかったし、シンプルな生活の方が自分に合っていると感じることに気づいた。

必要最低限のものだけで整えた空間に心地よさを見出し、本当に大切なものだけを選んで暮らすことで、物に支配されない充実感が心地よいと思った。


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人間関係も同様で、広く浅く付き合うよりも、少数の信頼できる友人と深く関わることを大切にしている。
特に、大学で出会った友人たちとは、互いに悩みを共有し、理解し合おうと努めてきた。卒業後の進路に悩んだ際にも、「就職」か「進学」かを真剣に話し合い、「どんな選択をしても、お互いを応援しよう」と励まし合っていた。

このような深い絆から得られる満足感は、表面的な付き合いでは決して得られないものであり、心の支えとなる貴重な関係だと感じている。


結論 : 豊かさとは

とはいえ、このように心地よい空間や関係だけに囲まれていれば良いと考えているかというと、そうではない

結局、振り返ってみればこのような「豊かさ」に対する考え方は、厳しい環境や失敗、理不尽な経験を通して深まった部分が大きいと思う。

むしろ、そういった不自由さや困難の中で「豊かさとは何か」という問いに直面しなければ、こういったことを考える機会もなかったかもしれない。

困難の中では、方向性が見えず、不安や戸惑いに包まれることや、もがきながら過ごす時間は辛く、先が見えないことで絶望することもある。だが、そういった経験を乗り越えることで少しずつ、自分にとって本当に必要なものに気づきつつあるように思う。

本当の学びとは、このように自分で気づきながら成長していくプロセスだと思う。

だからこそ、困難に直面しても避けたり、飲み込まれたりせず、そこから何かを学び取る力を育て続けることが「豊かさ」なのではないだろうか。


これが今のところ私の考える「豊かさ」の定義である。
今のところ、と書いたのは、この定義は、これからの経験や成長を通じて広がっていくだろうと考えているからである。自分の価値観に忠実でありながら、これからも心の豊かさについて考え続けたい。

自分の周りの環境や人間関係を大切にし、自分の選択に責任を持つ姿勢を保ち続けること。それが、私にとっての人生の指針であり、物質的な豊かさや他人との比較ではなく、内面的な充実感や深い人間関係から得られる満足感を基盤に、豊かな人生を築いていきたい。

これからも困難に直面しながらも、その中で学び、成長する力を育て続けることで、さらに自分にとっての「豊かさ」を深めていきたい。

そして、この道を歩み続けることが、私にとって最も意味のある生き方なのだと信じている。

ウィスラーにて

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