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留学失敗に気づいた話

私は現在、トロントにワーキングホリデーに来ている大学生である。

これから私のワーホリ経験をnoteにまとめたいと考えているが、その前にまずは自分がどのような人間なのか、自己紹介として、高校時代の経験について書きたいと思う。


高校交換留学

私は17歳~18歳の1年間、ヨーロッパのある国に交換留学に行っていた。
この留学は、ボランティアのホストファミリーとホストスクールが1年間無償で高校生を受け入れ、異文化交流をするという、大変ありがたいプログラムであった。

ホームステイを受け入れるホストファミリーには様々なタイプがあり、配属は運によって決まるなどという話は有名だが、私のホストファミリーは所謂「当たり」だったと思う。

極東から来た現地語おろか英語も満足に話せない私をとても歓迎してくれ、週末はいろいろな街に連れて行ってくれたり、長期休みはヨーロッパ中を旅行させてくれた。本当の家族のように迎え入れてくれた。

ホストスクールとして配属された美術学校では、アートを学び、絵を描き始めた。また、研修旅行で訪れた美術館で表現主義に感動し、大学で美術を勉強しようと決意するきっかけにもなった。

拙いながらも現地語を話せるようになり、ホストファミリーと様々な経験をして、将来の進路も見つけた自分は、とても恵まれた1年間を過ごしたと思う。

研修旅行で訪れたドイツ・ポツダムで美術に出会う


勘違い高校生の遅れた反抗期

そうして帰国した18歳の私は、自分はこの1年で大きく成長したに違いない、と信じていた。誰にも見劣りしない経歴ができたに違いない。そう自分自身に大きな自信を持っていた。

もちろん、自分に自信を持てるようになったのはいいことなのだが、残念なことに、この大きすぎる自信は徐々に「自分は特別」という自意識肥大へと変わっていってしまったのである。
当時の私は「高校留学をしていました」と言えば誰もが私を評価してくるはずだなどと、本気で思っていた。

そうして肥大化した自意識によって、「学校って行ってなんか意味あるんすか?」と状態になり、出席日数を計算して登校する半不登校高校生が出来上がってしまった。

本来留学とは、自己成長の機会であるはずだが、私の場合は、このような遅れた反抗期がやってきてしまったのである。

そうして、修学旅行も運動会も欠席し、友達も作らず、美術受験対策に全振りした高校生活を終えて、挑んだ大学受験は、、、、

見事、不合格

当然である。

当時の私は、なんとなく特別な才能がある風の絵を描き、面接で「留学しました!」と一言アピールすれば受かると本気で信じていたのだが、そんなドアホが受かるわけがないのだ。(実際には2次面接にも辿りつけず1次試験で落ちた)


宅浪大混乱時代

そうして愚かな私は、高校卒業後、晴れて浪人生になった。

浪人中もしばらくは現役と同じ専攻を目指して、ずっと空回りしていた。まだ「1次試験さえ通って面接で留学行ったと言えば受かるはずだ」と思い込んでいた。そうすることで、何か足りないが、それがなんだか分からない自分自身を誤魔化していたように思う。

しかしながら、2度目のギャップイヤーによって1浪にしてすでに20歳になっていた私は、その夏、このまま同じことを繰り返しても、また落ちるだろうということに気付き始めた。
では何がしたいのかと改めて考えた時、一旦、自分は作品制作よりも美術の研究がしたいのではないかと思い始め、芸術学という学科に志望を変えることにした。

ところがこの芸術学という専攻は、美大の中でも美術を研究するところなので、入試でも当然、学科試験つまりセンター試験が特に重要なのだ。

現役時代、美大に勉強は必要ないという偽情報を信じ込み本番で鉛筆を転がしてたのに、1浪のお盆過ぎに、突然センター試験が最も重要な試験内容になってしまったのである。

恐ろしかった。

流石に2浪する気はなかったし、この時点でも、自分には何かが足りないとモヤモヤしながらも、それが何かは分からなかったし、こんなにも勉強に集中できない状況で、5ヶ月後にセンター試験を受けて、合格することができるんだろうか。心の中では、とても勉強どころではなかった。

そして、高校2年生の夏に勉強を「捨てて」以来、勉強机に向かうのも久しぶりで、何から勉強していいかすら分からなかった。が、とりあえず何か手をつけなくてはならない。

藁にもすがる思いで、スタディサプリを登録した。



「異文化交流」の本当の意味に気づくとき


スタディサプリの現代文の授業の一つに、「異文化交流」に関する評論問題があった。

これは得意分野だと思った。まさに、私のための問題だと。

問題を解き終わり、解説動画を視聴すると、講師の小柴大輔先生がこう問いかけてきた。

「皆さんは、「異文化交流」の意味を知っていますか?」

私の鼻息は荒くなり、心の中で、自信に満ち溢れながら答えた。

「異文化を体験すること!私が高校時代に一番経験したこと!」

ところが先生はこう続ける。

「「異文化交流」という言葉の中には二つのステップが含まれています。異文化を「体験」するだけでは、最初のステップしか捉えられていません」

・・・え?

「異文化交流」には、異文化を体験した後に、自分の国の文化を振り返って比較するという二つ目のステップがあります。この2つのステップを踏むことで、よりよく異文化を理解することができるのです」

・・・え?

雷が落ちたような衝撃だった。
私の「異文化交流」は、ただ異文化を体験しただけであって、それじゃ君、半分までしかできてないよ、と真っ向から否定されたのである。

正直、思い当たることはたくさんあった。

留学時代、ホストファミリーや学校の先生から、「日本人は毎日SUSHIを食べているの?」「SAMURAIは日本のどこにいるの?」「なぜクリスマスやイースターという西洋の行事を知っているの?」などとよく聞かれていた。(どんだけ未開の地から来たと思われたんだろう…)

こういう時、私は決まって、うまく答えることができなかった。

当時は、現地語が上手く話せないからと言い訳して逃れていたけれど、本当は、言語の問題ではなく、私自身が日本の文化についてよく理解していなかったから答えられなかったのである。

こうして、私の留学というアイデンティティは単に虚勢を張っていたにすぎないのだということ、そして様々なことを経験したはず留学生活は、実際には全く学びに生かせていなかったのだと気づいた。

同時期に、ネットでこのような記事を読んだことも、これまでの自分を省みるきっかけになった。

「人生の最初の転機は? と聞かれれば、中学生の頃に読んだ『自由と責任』という本を思い出します。とても難しくて、書いてあることを全て理解することはできませんでしたが、それでも、ものごとには必ず表と裏があること、その両極を俯瞰して捉える感覚をこの本から学びました。」

壇蜜が語る、30代女性に必要な “自由を守るための不自由”
2017.05.12 FRAU

ああ、と、ストンと腑に落ちたものがあった。

「ものごとの表と裏、それを両極から俯瞰して捉える感覚」

これである。私に足りてなかったことは。
私は今まで、物事の表しかすくい取っておらず、物事の本質を全く見ていなかったのだ。

ちなみに、昨日炎上したツイートの引用ポストで『ユダヤ人大富豪の教え』という本を紹介してくれた方がいたので、早速kindleで買って読んでみた。そこにもこう書いてある。

「人生は「考えること」「行動すること」の二つでできている。今まで考えてきたことと行動してきた集大成が現在の君だ。普段考える事が現実の人生を作っているし、人生の結果はその人の本来の意図を表す。

本田健 『ユダヤ人大富豪の教え』 大和書房 第4章の秘訣 思考と感情の力を知る P67




つまり、当時の私は「行動すること」はできていても、それに対して「考えること」全くできていなかったため、留学という人生経験を自分のものに出来ていなかったのだ。

これらの気づきは、私の勘違い人生において大きな転機となり、その後の生き方や考え方にも大きな影響を与えた。

このとき既に、留学から2年が経っていたが、ようやく、よりよく異文化を学ぶには、まず日本文化を学ぶことが重要であったということに気づいた。

そして、日本文化を勉強してまた海外にチャレンジしたい、今後は大学でワーキングホリデーに行きたいという新しい目標を持つようになった。

長くなってしまったが、以上が私の自己紹介である。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今後は、ワーホリプロローグとしての大学生活について書き、その後トロントでのワーホリ生活について書いていきたいと思います。
もし面白いと思ってくださった方がいれば、いいね、コメントいただけたら嬉しいです。

※小柴先生のお言葉は、5年前の記憶を元に書いているため、若干異なる可能性があります。ご了承ください。

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