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天地人

平成21年(2009年)のNHK大河ドラマのタイトルは「天地人」でした。直江兼続を主人公として描く同名の歴史小説(火坂雅志著)をテレビドラマ化したものです。「北越軍談」に上杉謙信の語録が出ており、そのなかで謙信が語ったとされる「天の時」「地の利」「人の和」の世界を構成する3つの要素をキーワードとしています。そのルーツをさらにさかのぼると「孟子」(The Works of Mencius)に行き着くと考えられます。「孟子」は、今から2300年以上前の古代中国、戦国時代の思想家、孟子(B.C.372-B.C.289)の教えをまとめた書籍です。

「孟子」の卷之四(Chapter 04)は、公孫丑章句下(Gong Sun Chou II)です。ここにきわめて近い文言があります。Wikipedia日本語版その他、日本語の多くのWebページには 公孫丑章句上と書いてあるものが多いですが、たぶん単純なケアレスミス、およびノーチェックでのそのコピペでしょう。

孟子曰:「天時不如地利,地利不如人和。三里之城,七里之郭,環而攻之而不勝。夫環而攻之,必有得天時者矣;然而不勝者,是天時不如地利也。城非不高也,池非不深也,兵革非不堅利也,米粟非不多也;委而去之,是地利不如人和也。故曰:域民不以封疆之界,固國不以山谿之險,威天下不以兵革之利。得道者多助,失道者寡助。寡助之至,親戚畔之;多助之至,天下順之。以天下之所順,攻親戚之所畔;故君子有不戰,戰必勝矣。」

上記の冒頭、特に太字の部分、「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず。」とあります。天と地と人は対等に並ぶ3つの条件ではなく、「天」<「地」<「人」 のような順序、優先順位付の議論になっています。「人は石垣、人は城、人は堀」(甲陽軍鑑)と人を重視するマネージメントを提唱した武田信玄の考え方には、これに共通するものが感じられます。

上記の冒頭部分に続く文言は、その説明になります。第1に、地の利の優位性です。防御が固い街を攻め落とすには天の助けがあっただけではまだ足りないという指摘です。第2は、団結した人心の強さです。特筆に値するほどの防御態勢ではないにもかかわらず、攻め落とせない現実は、人の力によるものだということです。そして、領民を域内にとどめるのに柵のようなものは不要で、敵襲の防御のために天然の要害に街を作るのも不要で、国家の治安のために強大な軍事力も不要であると説いています。最後の一文は結論です。「故に君子は戰はず、戰へば必ず勝つ。」なんと君子は(わざわざ)戦わないものだと言っています。戦ったら必ず勝つにもかかわらず、です。こうしてみると、戦国の覇者になるために「天」「地」「人」の3つの条件をそろえようという文脈とは少し違う感じがしますね。世界を構成するのは「天」「地」「人」の3つであるが、「天」より「地」、「地」より「人」が大きな効果があり、人心を掌握した政治家は軍事力に頼ることもないという論旨のようです。性善説に立脚する孟子ならではの主張でしょう。また「人」の力で必勝の軍事力とし、それでいて不戦の道を選ぶということのようです。こういった点をもっと明確にするため、英語翻訳版も見てみましょう。

Mencius said, 'Opportunities of time vouchsafed by Heaven are not equal to advantages of situation afforded by the Earth, and advantages of situation afforded by the Earth are not equal to the union arising from the accord of Men. There is a city, with an inner wall of three li in circumference, and an outer wall of seven. The enemy surround and attack it, but they are not able to take it. Now, to surround and attack it, there must have been vouchsafed to them by Heaven the opportunity of time, and in such case their not taking it is because opportunities of time vouchsafed by Heaven are not equal to advantages of situation afforded by the Earth. There is a city, whose walls are distinguished for their height, and whose moats are distinguished for their depth, where the arms of its defenders, offensive and defensive, are distinguished for their strength and sharpness, and the stores of rice and other grain are very large. Yet it is obliged to be given up and abandoned. This is because advantages of situation afforded by the Earth are not equal to the union arising from the accord of Men. In accordance with these principles it is said, "A people is bounded in, not by the limits of dykes and borders; a State is secured, not by the strengths of mountains and rivers; the kingdom is overawed, not by the sharpness and strength of arms." He who finds the proper course has many to assist him. He who loses the proper course has few to assist him. When this - the being assisted by few - reaches its extreme point, his own relations revolt from the prince. When the being assisted by many reaches its highest point, the whole kingdom becomes obedient to the prince. When one to whom the whole kingdom is prepared to be obedient, attacks those from whom their own relations revolt, what must be the result? Therefore, the true ruler will prefer not to fight; but if he do fight, he must overcome.'

https://en.wikisource.org/wiki/The_Chinese_Classics/Volume_2/The_Works_of_Mencius/chapter04

天=opportunities of time vouchsafed by Heaven、地=advantages of situation afforded by the Earth)、人=the union arising from the accord of Men です。文章は長くなっていますが、とても丁寧で、説明的です。全体として、先ほど書いた内容をよりよく理解し、確認することができるように思います。このテーマは、群雄割拠して隣国からいつ攻め込まれるかわからないような戦乱の世における軍事と政治です。戦乱の世に、不戦で、かつ必勝の論理を唱える学識の持ち主がいたということは驚くべきことです。自国も敵国も人の住む社会ということからすると、こういうことになるのでしょうか。

今日は、日本の戦国時代の永遠のライバルだった信玄と謙信の思想的な差異はどういうところにあるか、というのが気になって、天地人のキーワードを再考してみました。機会があれば、現代における事業、ビジネスにおける天地人について書いてみたいです。

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現代は科学が進歩した時代だとよく言われますが、実のところ知識を獲得するほど新たな謎が深まり、広大な未知の世界が広がります。私たちの知識はほんの一部であり、ほとんどわかっていなません。未知を探索することが科学者の任務ではないでしょうか。その活動は、必ずしも簡単なものではなく、後世からみれば群盲評象と映ることでしょう。このマガジンには2019年12月29日から2021年7月31日までの合計582本のエッセイを収録します。科学技術の基礎研究と大学院教育に携わった経験をもとに語っています。

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