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覆水难收

「覆水盆に返らず」とは、中国の故事に由来する言葉と言われています。ちょっとひっかかるところがあり、辞書を引いてみました。大辞林(三省堂)で「覆水」を引くと「ひっくり返った容器からこぼれた水」とあり、ー盆に返らず のところには「漢の朱買臣の妻は夫に愛想をつかして別れたが朱が出世するや復縁を求めてきた。しかし、朱は盆の水を地にこぼし、これをもとに戻したら応じようと答えたという「漢書朱買臣伝」の故事から。「拾遺記」には太公望の話として同様の故事が見える。盆は洗面用などの平たい水鉢をいう」 (1)夫婦は一度別れたら。もとには戻らないということ。(2)一度してしまったことは取り返しがつかないということ。

あっ 魚釣りが大好きだったことで有名な呂尚(太公望)が、そんなことを言ったとかいう話は、確かによく聞きます。例えば...

https://twitter.com/physics__tan/status/651162195825262598


呂尚は、今から3000年以上の前の人物、周の時代の終わりに活躍し、斉の初代の王です。その時代には、そもそも盆がまだなかったという、かなり重要な問題があります。

それに、「拾遺記」に出ていると書いてあるものをよく目にしますが、それは本当なのでしょうか。いまはインターネットで原文もチェックできますね。

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https://00m.in/AzKVX

少なくとも、ここに出ている全文のどこを探しても見つけることはできません。
漢書のような歴史書とは性質が違いますので、書き残され、言い伝えられていても、長い時間の間に散逸も著しく、現代には、はっきりと確認できないのかもしれません。

中国語の動画があります。

https://www.youtube.com/watch?v=q_eACwqCkkA


「覆水不返」ではなく 「覆水难收」なのですね。意味はあまり変わらないようですが。

大辞林に書いてあった通り、漢書の卷六十四上 嚴朱吾丘主父徐嚴終王賈傳 の二に朱買臣伝があり、そこに記載があります。漢文、さすがに難しい。

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https://00m.in/aKTYh

こっちは「覆水难收」の由来になったという解説がついています。中国語よくは読めないけれど、「呂尚」「太公望」「拾遺記」とあるので、日本でよく見る説明と同じことがここでも言及されていますね。歴史的には後の時代の漢書の記載がルーツで、さかのぼって昔の太公望の話として、よく伝承したということでしょうか。

https://00m.in/t9CJ0

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それにしても、水は単なるたとえであって、こぼれた水を集めるなんて、もともと誰も試みないでしょう。そんな必要を全く感じないところです。井戸から新しい水を汲む方がよっぽど簡単です。 It is no use crying over spilt milk. だって、水とミルクを入れ替えたくらいの違いで、ミルクのほうが少しは貴重かもしれないけれど、こぼしたくらいで、大げさに悲嘆にくれたりしませんよ。豊かな現代日本に住んでいるから、そう思うだけかもしれないが、まあ、気にするな、スーパーに行けば買えるよ。

水よりも、ミルクよりも重いメッセージは、社会的・経済的成功の時だけ、都合よく言い寄ってくる人々への痛烈なしっぺ返しでしょうか。逆転勝利の成功者は、苦難の時代を知り、労苦をともにした盟友に恩義を感じて報いようとし、当時の裏切り者がいま媚を売る醜悪さを嫌悪し、冷酷に罰しようとしたとしても、それも人情かもしれない。

けれども、その成功も、その前の苦難も、1つ時代の大きな流れのなかでは、小さなさざ波でしかない。常に勝敗は入れ替わり、まさに、諸行無常です。今日逆転勝利の美酒に酔ったところで、明日はわからないものです。そう考えると、醜悪な人たちにかまっている場合ではないでしょう。

それよりも、朱買臣や大公望の立場ならば、つかの間であったとしても、その成功と幸運に感謝しよう。

「取り返しがつかないものだ」。重い真理です。リスクをとった以上、結果が吉とでない場合、それは黙って甘受しなくてはいけない。耐えて生き残って、再起を期すべし。後悔しているだけでは何もならない、というのは、ことわざの解釈通りでよいように思う。

昨日書いたことの続き。

私も110 記事を超えて119記事に近づきあるいま、心境に変化がある。「新横浜の次は必ずしも品川とは限らない」、そんな note をこれからは書いてゆきたい。

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現代は科学が進歩した時代だとよく言われますが、実のところ知識を獲得するほど新たな謎が深まり、広大な未知の世界が広がります。私たちの知識はほんの一部であり、ほとんどわかっていなません。未知を探索することが科学者の任務ではないでしょうか。その活動は、必ずしも簡単なものではなく、後世からみれば群盲評象と映ることでしょう。このマガジンには2019年12月29日から2021年7月31日までの合計582本のエッセイを収録します。科学技術の基礎研究と大学院教育に携わった経験をもとに語っています。

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