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法律家業界の話7 悪人の弁護は必要か?

こんにちは。まったん弁と申します。

このnoteでは,私の弁護士経験から,法律家の業界について業界外の人々に向けて,お役に立てる情報を発信しております。

これまで弁護士・裁判とかかわったことがないよ,という一般の方々,個人事業の方,中小企業の担当者などを想定しておりますので,法律のややこしい部分はあまり拘らず,ざっくばらんに,かつ,短い時間で気軽に読むことができるnoteにしております。

今回は,「悪人の弁護は必要か?」というテーマです。

さっさと刑務所に入れればいいのに?

幸せいっぱいなのろけ話と強烈な不幸話,どっちが聞きたいですか?

人間の精神は他者と自己の関係性のはざまで揺れ動く蜃気楼です。他者の存在を認識することが,自己の認識への道に一筋の光を当てます。ではその光とは何か? それは「優越性」の確認です。

おとなりさんの子よりいい高校に入れた,友人よりいい就職が決まった,同僚より給料が良い。

弱い「葦」に過ぎない人間は,「社会」を作ることで生態系の頂点に上り詰めました。でも,禁断の果実を口にしたアダムとイブのように,社会の中で「競争」を強いられる宿命を負ってしまいました。

「あの人より自分はずいぶんマシだ」。過酷な競争社会で生きる何よりの精神安定剤です。

殺した,殺された,殴った,殴られた,盗った,盗られた。マスコミがこぞって陰惨な事件を報道するのは,「数字」がとれるからです。

慈善事業であれば,公正無私に社会にとって有益な情報に厳選できます。でも,営利企業ではそう簡単な話じゃないです。

株主や債権者というスポンサーは「数字」が上がらないと納得してくれません。

ネットニュースのコメント欄は,正義感であふれたコメントでいっぱいです。「こんな奴は悪人に決まっているからさっさと刑務所に入れるか,死刑にするか,社会から追放しよう」。

無邪気な正義感が溢れています。

「悪」とは何か?

悪とはなんでしょうか。

「逮捕」されれば「悪」なのでしょうか? 手錠を掛けられた人は即「生きる価値なし!」と石をぶつけられても,仕方のないことなのでしょうか。

「善」や「悪」とは何なんでしょう。

子供を虐待する若い親は,自分も虐待されていることがあります。暴力の中で育った子供たちは,大人になっても暴力が悪い事とは思いません。

断ち切りがたい鎖に縛られた人は,まっすぐ歩くことができないし,生まれた時に目をつぶされた人は,正しい道を見ることができません。

「悪を懲らしめる」ことは社会にとって必要な事です。では,その人が「悪」かどうかの判定はどのようにしたらよいのでしょうか。「逮捕」されて「悪そうな顔」であれば悪なんでしょうか。

新聞やテレビで流す「警察発表」は全てが真実ではありません。警察は犯罪を取り締まって成果をあげないと,「予算」をつけてもらえません。捜査機関が,無実の痕跡を自らテレビや新聞に提供する動機はどこにもありません。

自らの首を絞めるからです。

ひとりぼっちの法廷

弁護人なんていなくても,裁判官がきちんと真実を見つけてくれる。

では,裁判官はどうやって真実を見つけるのでしょうか。

日本の裁判官は,みずからDNAを見つけて,鑑定をしてくれることはありません。事故現場に出向くこともありません。証人を見つけてくることもありません。

なぜなら,そんなことをしても「給料」はあがらないからです。むしろ,一つの事件に時間をかけると,裁判所の人事評価はマイナスです。

出世した裁判官は定年後に「ボーナスステージ」が待っています。割のいい公証人,法律事務所の顧問格,大企業の社外取締役。

裁判所での立派な経歴は老後の安心を確実に保証してくれます。

出世できなかった老裁判官が見る風景は,誰も来ない裁判所と誰もいないさびれた街です。

「善悪の境目」を簡単に断定する人を,まったん弁は信用しません。ユダヤ人が諸悪の根源と信じて疑わなかった,ドイツ帝国の国民たちを信用できないようにです。

人類の歴史は「万人の万人に対する闘争」であり,血塗られた正義感と復讐心が刻印された終わりなき螺旋階段です。

無邪気な正義感が支配する未来で,ひとりぼっちの法廷に立たされるのは,あなたの大切な人かもしれません。


というわけで,意図せずちょっと散文的な記事になってしまいました(笑)

何が言いたいのかというと,本当に「悪人なのか?」を確かめる場が必要ということです。じゃあ,最初からそう言えよって話ですよね(笑)

また次は別のテーマで投稿しますので,よかったらお気軽にフォローなどしてくださいね(^^)/

まったん弁

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