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【家族#1】日々をどう生きるか:祖父の50回忌を経て

こんにちは。【ポンコツいのしし】です。
メンタルブレイク中ですが、自分の思いをnoteに書き出すことで気持ちが落ちついてきました。絶賛note"ハイ"の状態なのでバンバン投稿します。

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今日の午前中、祖父の50回忌を終えてきました。
滅多にない50回忌を経て、日々の生き方に対する考えが大きく変わりました。50回忌って何するの?とともにシェアしたいと思います。
それはずばり、『もう少しだけ刹那的に生きてみる!』です。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。


50回忌ってどんなもの?

50回忌は年忌法要のひとつで、亡くなってから満49年目に行われる年忌法要とのこと。要は1回忌、3回忌と同じ位置づけのやつ。
50年経てば、ほとんどの人が極楽浄土に行けると仏教では考えられているそうで、おめでたい年忌として普段の年忌法要よりも盛大に行うものらしいです。(50回忌で永代供養とし、最後の年忌法要とすることが多いそう)

父方の祖父は大正13年生まれ。52歳でなくなり、今年が50回忌となりました。(生きていたらちょうど100歳。そういう意味でも節目でした)

「50回忌は盛大にやるもの」とはいいつつ、僕の家庭では親戚は呼ばず、こじんまりと家族だけで行いました。

ざっと流れはこんな感じ

  1. 前の日にお墓をきれいに掃除。お参りできる準備をする

  2. 家の仏壇を掃除。お供え物を準備(お菓子とか)

  3. 当日、和尚様が来訪。お経(35分)+和尚様からのお言葉(10分)+帰りの挨拶(5分)

  4. 家族でお墓参り。線香をお供え、で終了。 ←今ここ

父親は以前から準備をしていたので、事前に何をしていたかまではわかりませんが、50回忌の法要そのものは半日で終了しました。

お経を聞きながら癌で先の長くない祖母のことを想い、何とも言えない胸の痛みを感じていました。そんな中、お経後の和尚様からのお言葉が僕にとっていろんなことを考えさせるものだったので、書き留めたいと思います

命って誰のもの?

今日担当してくれた和尚様は地元のお寺の次男坊。
お寺は長男が継ぐため、次男である和尚様はお寺のことを何も考えていなかったそう。普通に進学し、長野で学校の先生になり、ご家庭を持ち、お子さんが二人。長野に家も買って、のんびり暮らすつもりだったそう。

そんな暮らしが一変したのが、お寺を継いだ長男の突然の死。
長男の病気も癌だったそうです。
長男の和尚さんは、いま癌で入院中の私の祖母が良くお寺のお手伝いに行っていたこともあり、関わりが深かったそうで。
亡くなる直前のお盆には、病気で体重が減った和尚さんの変化に僕の祖母が気づき、「瘦せてないかい、大丈夫かい」と声をかけていたとのこと。

次男の和尚様(当時は学校の先生)が長男をお見舞いにいった、たったの三週間後に亡くなり、和尚様の人生は一変。

お寺を継ぐために学校の先生を退職。せっかく建てた自宅も手放し、当時小学生だったお子さん二人を連れて、家族で地元に引っ越しました。
当時、移動中の車で寝つけなかったお子さんからこんなことを言われたそう。

「ねえパパ。パパの人生、大きく変わっちゃうんだね。でもねでもね、僕の人生も変わっちゃうんだよね」

子どもでもそんなことを考えるのか、という驚きとと同時に、"人生は予期せぬタイミングで予期せぬほうに突然変わってしまうんだな"と何とも言えない感情になったそうです。

その後、50歳を超えてからではありましたが、お寺で修業を積み、和尚様となり、地元の寺を継いで今に至っています。

そんな和尚様の、ご自身の人生観が大きく反映された言葉が僕の心に深く突きささりました。

どんな命も先祖代々のリレーで受け継がれたもの
誰しも人生いつ終わるかわからない。次に繋げなきゃいけないものでもない。それでも、先祖10代さかのぼれば1,000人以上の人から受け継がれてきた大事な命。そのことを胸に留めて、先祖へのリスペクトを忘れずに自分の人生を生きていかなきゃいかない。

その方は18代目の和尚様とのこと。祖父⇒父⇒兄⇒自分と紡がれていた歴史に大変な重みを感じている時にふと、
「どんなご家庭もお寺と同じではないか。命というのはもれなく、先祖代々受け継がれてきたもの。生きるということはいわば命のリレー。そのことに気づいた人は、決して命は自分だけのものとは考えられないはずだ」
と感じたそう。

いまの僕にはこの言葉が不思議と、すーっと静かに、でも深くふかく心に刺さりました。
ご先祖様は大切にしなさい、とよく言われることはありますが、今日の話を聞いて、初めて自分の中ではっきりと腹落ちした気がしています。

もう少しだけ刹那的に生きてみる!

これが和尚様の言葉を聞いて、今後の人生で大事にしたいなと思った考え方です。

和尚様の言葉を聞いたのに、なんで"刹那的"なの?
普通は、家族を大事にするとか、子供を大事にするとか、そんな感じじゃないの?

と思う方も多いでしょう。
この考えに至ったのは、和尚様のもう一つの言葉が大きく影響しています。

先祖代々受け継がれてきた人生。とはいえ、いつ何が起こるかわからない。
自分も含め誰が突然いなくなるかもわからない。突然明日仕事も家もなくなるかもしれない。人生ってそれくらい先が見えないものなのだ。
それを念頭に置くと、「人生を大切に生きる」ということは、"確かな今この瞬間を全力で楽しく生きる"ということなんじゃないかなと思うんです。

僕はもとからかなり保守的な性格です。何かをするときにはいつもネガティブな発想でリスクばかり考えてしまい、
・明日は仕事があるから、抑え目にしよう
・将来何が起こるかわからないから備えなきゃ
という考えが先行し、いつしか今この瞬間に全力で向き合うことができなくなっていました。
子どものころは、どんな時もいつでも全力でその時の体験に没入していたのに、いつからそうじゃない生き方をするようになっていたんだろうと。

もうすぐ30歳になる節目の年。今一度、自分の生き方を見直すときだと思っています。
今日の話を聞いて、
『いまこの瞬間しかない、この時をどうやって全力で楽しもうか。どうやったら、いまめちゃくちゃ楽しい、と思えるか。』
もう少しだけ"刹那的"に生きてみてもいいんじゃないかと、少しだけ生きるということを前向きに捉えることができるようになった気がします。

これは、「もう先の長くない祖母とどう向き合うか」を考えるうえで、少し参考になるんじゃないかと思います。

僕と同じように、日々の時間の過ごし方に少しだけ違和感のある人に、
参考にしてもらえたら嬉しいです。

ここまで長くなりましたが、お付き合いありがとうございました。

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