無知の知

僕のいる世界は「science」の世界です。

化学の世界は「理系」がほとんどであり、ロジカルな思考が求められます。

化学の世界で大事なのは「自分は何も知らない」という事を自覚する事やと思います。

理系や、化学にいる人はどうしても自分への論理に絶対的自信をもちやすいです。

化学が抑えるのは常に「事実」なので、必然的に知識が増えます。

その事実っていうのも論文ベースやったりするので、数値化できるような知識が積み重なります。なので、その論理は強固なものになっていくのですね。

つまり、普段なんでもない事象を「感覚」で理解している人と「ロジカル(数値化)」で理解している人とでは、社会では圧倒的に理系が強い事が往々にしてあります。

事実や数字で話されると、そこからディスカッションは難しいのです。

例えば簡単に言うと、「参加者は100人中25人です。その内女性は10人です。」という話に対して「そんな事ある?」とか「それはありえないでしょう」と言ったとしても数字は事実やったりするので、やはり決着がついてしまう。

という事で、理系・化学の世界にいる人の説明は「納得」しやすい事がほとんどであり、社会で承認される確率が高いのです。

なので、往々にして「絶対的な自信」がついてしまいます。その自信が人を見下したような口調になってしまう事も多いのが現実です。「だからね~」とか「それくらい分かるやん」とか「こう言えばあなたでも分かるかな?」とかゾッとするような言い方でも、自信がつきすぎて自分が正解だと思い込んでいくと平気で発言する人も多いのです。

みなさんも、もしかしたら頭に浮かぶ人物いたりするのではないでしょうか('ω')オホホ

という事で、僕の病院の研究チームでは常に「自分達が何も知らない事を知る」という事を大切にしています。

実際、何か1つでも追及して学んでいくと「何も知らない自分」に出会う事になります。

例えば僕なんて「聴覚」に関してもうかれこれ15年は研究しています。
よく一般の方には「何をそんなに研究する事があんの!?」と驚かれます( ´∀` )

が、僕は聴覚に関して15年研究してきた結果分かった事は「自分が何も知らない」という事だけです・・・。

でも、僕はこれで当たり前やと思います。

まず、身体の事はその実全然解明されていません。
イギリスの論文「ランセット」によると脳の事は「6%程度」しかわかっていません。
身体への司令塔である脳が6%しか分かってないなら、指令を受ける末梢神経側の事も分かっていないはずでしょう。
なのに、
身体の事に関して世の中を少し見てみると
なぜか言い切っていませんか?

本当は
〜という可能性がある
〜というデータがある
〜であるかもしれない
〜という視点では〜である
といった言い方のはずです

なので、やはり
自分が何も知らないと分かるまで、追求する事は大切であると言えます。

半端な知識では、
自分が正解と思ったり
人を見下したり
わかったと勘違いしたり
知識を披露したり
火傷をおうことになります。

なので、物事で大事なのは
自分が何も知らないと分かるまで研究することです。

それに、自分が何も知らないと分かっていると
色々とコミュニケーションもやりやすくなったりします。

僕も特に専門家とコミュニケーションをとることが多いですが、  
その人にたくさん質問して、色々と教えてもらいます。
知識の部分よりも、どんな事実をどのように捉えて、どのように行動しているのか?
という思考プロセスを学んでいるのです。

自分が正しいと考えていると、人の話は聞いていられないでしょう。
でも、無知を知っているからこそ
知らない事をどんどん聞いていけると思います。

っていう話を
ソクラテスは無知の知という言葉で結実させました。
ソクラテスは紀元前469年頃 - 紀元前399年頃の
古代ギリシアの哲学者です。

哲学者や研究者は
どんな形であれ、最終的には
自分が何も知らない現実を知って死んでいきます。

それくらい、世の中の事なんて
分からないのが現実なのです。

と、いうことで
世の中を分かったと思っている思考過程の方は
危険です。

当たり前ですが、
我々人類は、まだ何も知ってはいないでしょう。

分かったと、頭で考えた瞬間から
思考はストップしてしまいます。
 
常に、自分は何も知らない。
という自覚の大切さは、紀元前から言われていることです。

それでは、よい1日を\(^o^)/












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