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恐れずに議論していこ

人との議論の際に深まっていかない
そんな経験を誰もが感じた事があるのではないですかね

それは他者の思考と
自己思考を反芻しながら聞くという習慣不足ではないかと考えます

これがはやはり近代教育の弊害なので
この令和でしっかりとしていきたい部分と感じます

例えば

他者の意見に対して
「あなたの意見は理解できません。」
「言っている意味が分からないです。」

というのは自分のモノサシ(軸)で計ってしまっている状態です
これでは議論は次のステップに行かないのも当然です

じゃなくて
「あなたの意見を聞いて私は~考えたのですが
どう思いますか?」
「こういう意味で言っていますか?
違う場合、どの部分が違うか教えてください」

というのが議論する際の答え方です

相手の世界観(言葉・文脈)を
自分の世界観の言葉に置き換え
確認をとる

これはすごく大事な事です
自分と他人は全く違う人間ですから
<同じ>と思って話を聞くのは危険です

同じ<言葉>でも
その意味も文脈も違うのですから

自分の世界観は大事ですが
他者の世界観も大事です

なので、双方を大切にしよう!ってのが
「議論」ってモノの価値です

自分軸で判断ではなく
相手優先の判断でもなく
双方が理解を進める為に歩みよるのです

同調圧力
正解か不正解

どうしても近代教育はこのような価値を創造してしまいます
これでは全く議論にはなりません

議論が慣れていない場合
自分の意見に対しての質問や別意見を
<自分の否定>と捉えてしまうのですね(;^ω^)

なので<否定>される事を最初から避けるために
多くの人が賛同してくれる意見を探してしまう
そして他者の様子を異常に気にしていくようになる
日本の大人になっていく過程とも言えます

専門学校外部講師脳神経学を担当していますが
やはり現在の25歳以下の子達ですら
同調圧力や別意見を異常に気にしているし
議論は本当に苦手とする子が多いのです

そうではない
これはもったいない

本来人間は十人十色ですよね?
その実
全く違う事を考え、行動して、価値をもつ

そもそも
「同じ」という事が異常なのです

違って当然です
何をどのように感じるのかが
全員同じなんてのは本当に異常です

SNSではこの辺りが
更に厄介になりました

自分の欲しい意見・情報だけを探す・・
内輪のみで関わる
居心地の良い所だけに留まる・・

そしてどんどん
他人との会話すらも避けるようになる

議論は更に遠くなります

俗にいうフィルターバブルですよね

確かに
攻撃だけが目的な者もいますし
人格否定するような者もたくさんいます
妬みも嫉妬も恨みも
憂さ晴らしもする者もいます

そうやって
傷つくのを避けて
会話や議論から遠ざかるのも
理解できます(;'∀')

が、
やはり冒頭言ったように
自分の軸と相手の軸での議論は
自分の思索をさらなる高みに引き上げてくれます

自分の目線だけでは、視点だけでは、価値だけでは
絶対に到達しなかった思考過程。。

これは非常に価値があると
僕は考えます

僕も僕だけで思考を育んでいると
限界があります

しかし
全く違う価値基準をもった方等との議論から
やはり自分の思索も増えました

思索が増えるという事は
やはりその分
生きやすくなりますから

数々我々にやってくる問題。。
これに立ち向かうのは
自分の<脳>ですからね

つまり
<思索>です

やから人間は
本を読んだり
情報を探したり
論文読んだり
文献読んだり
人と情報交換したり、議論したりして
思索のレベルを上げるのです

小学校の頃には
すぐに喜怒哀楽が想起していたのに
年齢を重ねると
小さい事でそこまで喜怒哀楽に左右されなくなる

これは単純に年齢を重ねたからではありません

知識、経験、学び、情報量
これらによって<思索>が増えた事によって
問題を解決できるようになったからです

そのレベルを
押し上げてくれるのが
<議論>です

自分とは違う意見の人でも
全否定してしまうのではなく
自分の意見と他人の意見を
しっかりと調合していき
冷静に判断する

これが
自分も相手も大切にする行為であると
思います(⌒∇⌒)

「違う意見があってもいい」
とかではなく
そもそも人間は必ず<違います>

同じような事を言っているようでも
その実
驚く程に違う価値基準で話をしているのです

自分の思考も大切にしてください

そしてそれと同時に
他人の意見も大事にしてください

それが慣れてくると
他人との会話が
また更に良い時間に変わります

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