鈴木大拙の日本的霊性という本では
精神というのは、注意力と表現されます。
精神を病む
精神科って大変そう
精神的にしんどい
精神がおかしくなりそう
と、日常ででてきたりするときってのは
統一性はあまりなく
ざっくりとした心を表現したような言い方をされます。
そして
我々は、魂という言葉も使いますね
大和魂
武士の魂
日本魂
と、どこかそれらは奥深い意思のような
意味合いで登場している気がします
魂に響いた
魂が揺れた
ま、あんまり日常で頻繁に使用はせずとも
深い深いところでの感情を表す言葉として
魂はでてきたりします。
鈴木大拙はそれを
タマシイは日本言葉で
精神は漢文学から来ているからであるかもしれない
と仮説をたてています。
日本には、どこか精神という言葉が
ただしく使えていないような気がしますね。
そもそも
日本では元来の大和言葉の上に
漢文学があり
さらにその上から欧米からグチャグチャに入ってきた言葉があります。
つまり、日本語ってのは
複雑怪奇を極めていると言われています。
心、精神、魂、、、
それらも、
どの場面、どの状況で、どの使用方法が正しいのかも
そこまで理解せずとも、なんとなくでコミュニケーションがとれる
言われてみれば、不思議なものなのです。
さて、今日言いたい事は
日本的霊性にある内容の中に興味のある表現があります。
精神が話される時、
それは必ずといっていいほどに物質となにかの形態で対抗の勢いが示される。
と。
なるほど、おもしろい。
さっき紹介したような
精神的にしんどい、病む、苦しい
という表現にあるように
対する何かしらの因子に負けている状態
ということです。
逆に精神的に安定している!なんてときは
対する何かしらの因子に勝っている状態
であると。
例えですが
プライドの高いDrがいたとします。
その場に来ただけでスタッフは頭を垂れて
挨拶をして、最優先で対応します。
その時のDrとしては、自分が他の因子達に比べて明らかに優位に立っているという状況。
精神的に安定している
と表現します。
が、ここで
患者やら、スタッフやらが
挨拶もせずに、まるで存在を無視して話をしたり
タメ口を使えば話は変わる
そのDrは非常にイライラするという事になります
その場合、精神的に不安定になる
という事ですね。
鈴木大拙はいいます
もしも精神的に安定しているというならば
それはつまり
相手よりも優位にたっている
相手よりも優位にたてる事がわかっている
という事になる。というのですね。
例えば、
僕って空手三段なんですが
僕と、そのへんのおっさんが集められてバトル・ロワイアルやれってなったら
まぁ僕は確実に勝てるやろうし
勝てると分かってるから
精神的にバリバリ安定するよなってね
でも、プロレスラーとかムエタイとかの選手を集められた場合は
かなり負ける可能性が高くなるし
勝てたとしても五体満足じゃなくなる
下手すりゃ脊髄損傷とかなるよな
って予測されるので
精神的に不安定ってことになる
その理論で言えば
きつい言い方になりますが
精神的に弱いとは、
負ける要因が多すぎるってことですね
喧嘩で、体力で、頭脳で、STYLEで、容姿で、、、、
やはり、人間界というストレスの大海原を
生きていくには
我々個人の力は必要なようです。
ライオンが産まれた子供を崖から突き落とすのは
あれは、完全に優しさの行動であるということですね。
ちなみに
霊性ってのは、精神みたいなものを超越した極みと表現されてますね
つまりは、そこには他者が介在していないんですよ
他者と
比べてない
競争してない
期待してない
信じていない
そういう心境になれば、
そもそも精神安定も
精神不安定もない
なるほど。これもすごく納得
おそらく僕が、常に精神的に安定しているのは
つまり、霊性的なのは
僕の人生に、他者が存在しないからかとも思いました
誰かと比べたりしないし
そんな無駄な時間より
自分の脳に興味がある
でも、そんな無機質そうなSTYLEが
実はストレスなく生きるヒントでもあるなんてのは
すっごく素敵
って思いました。
今日も、
わけのわからない道徳や倫理ってのが人間界をはこびりますが
そもそも、そういう概念が人間の生き方を狭くしてるんじゃね?って心底感じました
ちゃんちゃん└|∵|┐♪
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