発達から考える「教育の究極の目的」
これから社会が向かう方向
突然ですが、歴史のおさらいです。
これからVUCAの時代へ向かうといわれていますが、過去の社会をおさらいしてみましょう。
Society1.0:狩猟社会(古代)
Society2.0:農耕社会(中世)
Society3.0:工業社会(近代)
Society4.0:情報社会(現代)
Society5.0:超スマート社会?(未来)
歴史の流れを踏まえると、社会の発展とともに「V:変動性」「U:不確実性」「C:複雑性」「A:曖昧性」が増していることが分かります。
つまりどの時代であっても、次の時代はVUCAであるということでもあります。
VUCAに対応するために必要な能力は「迅速な意思決定」「臨機応変さ」「コミュニケ―ション力」「問題解決力」など、これらは新しい能力(生きる力、キー・コンピテンシー、21世紀型スキル、コアスキルetc)とも呼ばれています。
ものごとの発達と変化
社会の発展と同じように、ものごとは似たような仕組みで変化していきます。コーヒーで例えてみましょう。
Coffee1.0:コーヒーの発見(食用から飲用へ)
Coffee2.0:薬としての普及(上流階級が口にできる贅沢品)
Coffee3.0:器具の発明と改良(大量生産による一般化)
Coffee4.0:ブランド化と品質向上(カフェの居場所化→スペシャリティコーヒー)
Coffee5.0:コーヒーにおけるVUCA(オンラインにおける展開も含む)
また、Coffee3.0以降で下記のようなブームの流れがあるといわれています。
<第一次コーヒーブーム~ファーストウェーブ~>
インスタントコーヒーの登場による一般家庭での消費と喫茶店ブーム
<第二次コーヒーブーム~セカンドウェーブ~>
シアトル系コーヒ―(スターバックスなど)によるカフェのサードプレイス(居場所)化
<第三次コーヒーブーム~サードウェーブ~>
豆の産地や個性(ストーリー性)を最大限に引き出す入れ方の追求、個人店でのコーヒースタンドや焙煎室の増加
→豆の産地や銘柄だけでなく、同じ農園でも栽培場所や栽培方法の違いにも注目される:細分化による多様化
<第四次コーヒーブーム~フォースウェーブ~>
これから到来するといわれており、さらなるストーリー性の追求、個人で焙煎から楽しむ、オンラインでの販売や産地との交流など、様々な可能性が考えられています
このように、コーヒーにおいても変化の共通性がみられます。
発展するほど一般化し、「V:変動性」「U:不確実性」「C:複雑性」「A:曖昧性」も加速しています。
また、前の段階がベースとなって次の段階を支えているという構造もみえてきます。発達は、過去の上書きではなく、増補しているといえます。
教育の発達と変化
では、この変化を教育の歴史で考えるとどうなるのでしょうか。
Society1.0:観察と模倣(見様見真似、遊び、教示のない学習)
Society2.0:階級身分別の教育(読み書き算盤など実務的な学問)
Society3.0:義務教育(特殊教育、体験学習、オルタナティブ教育、受験戦争なども発生)
Society4.0:情報技術や新しい能力の育成(ICT教育、能動的学習、STEAM教育など)
Society5.0:超スマート教育?(情報技術や新しい能力を前提として行われる)
社会の変化とその要請に合わせて、教育も変化していることが分かります。そして各段階の教育手法は、いま現在も人間の発達に合わせて提供されています。
たとえば、国際標準教育分類(ISCED 2011)では、下記のような分類がなされています。
保育園・幼稚園:ISCEDレベル0(就学前教育)
小学校:ISCEDレベル1(初等教育)
中学校・高校:ISCEDレベル2-4(中等教育)
大学・専門学校など:ISCEDレベル5-6(高等教育)
大学院など:ISCEDレベル5以降(専門教育、研究など)
人間の発達には、人類史が埋め込まれていると考えてもよいでしょう。
ゆえに現代における到達可能な最高水準の教育に至るためには、就学前からの古代方式の手法から始まる、学びの積み重ねを経ることが必要です。
人間の発達と変化
人間の発達は、身体、心、精神など、さまざまな側面から観察できるので、非常に多くの基準が存在します。様々な発達が相互に作用しながら成長していることを忘れずに、自身で発達のモノサシを作り上げてください。
意識の発達
意識の発達は、個人の意識をどこまで広げることができるのか、つまり「主体」が「客体」となる流れをあらわしています。
レッド:自己中心(就学前)
→自己中心的で自分本位であると同時に、どうすれば力を確保できるかが中心アンバー:他者依存(小学生)
→法と秩序を重んじる順応的な段階オレンジ:自己主導(中高生)
→客観的で科学的で普遍的な視点に立って物事を見つめるグリーン:自己変容(大学生・社会人)
→多元的で多文化的。多数の異なる見方、多元的な見方を生み出す。
それぞれの段階に応じた視点をもつことになりますので、目的や判断も状況に対する状態に応じて変化します。どの段階の状態であるかによって、同じスキルでも使い方やゴールが異なります。
タテの成長とヨコの成長
人間の成長は、前述のような意識の発達を縦軸に据えて「垂直的成長」、そして知識やスキルなどの習得を横軸の「水平的成長」として捉えるとわかりやすくなります。
この二軸がそれぞれ広がることで、全体が発達していきます。ポイントは、前の段階を内に含んで発達していく(増補する)ということです。
つまり発達したからといって前の段階に戻らないというわけではなく、マズローの説でも唱えられているように、状況に応じて発達済みの段階の意識が表出するということになります。
言い換えると、たとえどれだけ理知的で聖人のような人物であっても、腹が立つと殴る可能性もある、ということです。
発達段階から考える教育手法
以上のことから、教育はそもそも年齢毎にわけるものではなく、発達段階に合わせたデザインが必要であることがみえてきます。
では、発達段階に合わせた教育を行うためにはどうすればよいのでしょうか。様々な分野の理論を参考に、教育手法を考えてみましょう。
ZPD(発達の最近接領域)
単に教えられることよりも、子供同士で模倣しながら問題解決を行うほうが高い水準にたどり着く、という理論です。
ここで教育者が求められることは、子供の「明日の発達」に応じた支援を行うということです。いま目の前に現れている「できる事」を支援するのではなく、「次にできるであろう事」を今ここで支援(足場かけ)します。
SL理論
リーダーシップの発揮方法には絶対的な正解はなく、状況に対応してリーダーシップスタイルを変える必要がある、とする理論です。
最初の段階では指導が中心となり、スキル上昇とともに指導を減らして支援を増やしていきます。ある段階からは、指導だけでなく支援も減らし、自立への道筋を立てます。
認知的徒弟制
弟子が熟達者(教育者)から学ぶ過程を示した、学びの段階理論です。
Modeling モデリング
教育者が学習者に技能を見せるCoaching コーチング
学習者は教育者のフィードバックを得ながら技能を練習するScaffolding スキャフォールディング(足場かけ)
学習者は様々な作業に挑戦し、教育者はその難易度に合わせて手助けや支援を行い、自立を促すArticulation アーティキュレーション
学習者に知識や考え方の言語化(明確化)を促し、学びを確実なものにするReflection リフレクション
内省や熟考などを通して、問題解決の過程を他と比較検討するExploration エクスプロレーション
学習者自身が次の課題を自主的に探索するように、教育者が支援する
よく使う例えですが、子供に「自分たちでカレーを作ってみよう」というとどうなるでしょうか。包丁の使い方や食材の選び方、事前に覚える知識は多くあります。もしかすると、そもそもカレーを知らない可能性もあります。
前提知識が不足した能動的学習に効果は望めません。何事も段階を踏むことが大切ということでしょう。
ことに教育においては、発達段階とその能力に応じた課題や環境を考える必要がある、といえます。
教育の目的について:所感とまとめ
教育とは、何でしょうか?
改めて聞かれると答えにくいものですが、そのようなものに携わっているという恐ろしさが垣間見えたりもします。
意味や目的を考えすぎると、現実離れした抽象的なところへ向かってしまいますが、そのように思考を進めることができるのも教育の賜物、そしてそれが目的であるのかもしれません。
発達段階を考える以上、教育を受ける側の目的は段階によって変化する、といえます。もちろん教育を行う側も人間である以上、その変化から逃れることはできないでしょう。
ですので、その変化を司る段階(状態)そのものを、状況に応じて変化させることができるようになることが、成長といえるのかもしれません。
そして教育における望ましい環境づくりは、学習者の変化し続ける成長に合わせた「足場かけ」が求められます。
そもそも誰しもが子供と大人の区分けを行っているように、個々人の先入観に基づいて無意識のラベリングから相手との関わり方を定めています。
個を尊重するためには、先入観を捨てるわけではなく、先入観をより研ぎ澄まして客観性を高め、それを意識的に把握できるようにしなければなりません。
そのためにも発達段階を学び考え続け、自身が指針とする発達の地図をより精巧に作り変えていく必要があります。
これからの教育を語る上で、発達段階という視点も含めて考えていくと、きっと面白い発見があることでしょう。