教育手法と発達段階
レベル01
新しくその世界に飛び込んだ瞬間の段階。右も左もわからず、その世界で扱われる言語も解することができない。つまり、されるがままとなる。
ゆえにそこでの体験は、その人自身のありのままの純粋なものでもある。この体験が快であれば、次の段階へと進む。
レベル02
モデルを模倣し、その世界と関わりをつりはじめる段階。モデルと自分自身、二者の世界で成り立ち、真似できているかどうかがポイントとなる。
教育者は、模倣される対象となる自らの姿を正すことが求められる。
レベル1
同じ体験をしている仲間との接点が生まれる。それは「教えられる」立場でもあり、教師と生徒(仲間)という構図も含まれる。単なる真似事ではなく、インストラクションを交えた「指導」もこのレベルから始まる。
教育者は、初心者や初級者に対する説明や心構えをわかりやすい言語で伝える力が求められる。そして外発的な学習行為に対する学習者の意欲の維持を行う必要がある。
レベル2
前段階で生まれた生徒仲間との結束が強くなり、教師から徐々に離れていく。さらに高い目標や成果に向けて、自発的な学習行為も起こり始めるが、効率を求めた我流に向かわないように、基礎を反復することも必要な時期ではある。
教育者は、中級になりつつある学習者への適切な足場かけの能力、つまり現状の見極めと適切な目標、それに向けた環境設定など、一斉指導と個別指導を組みあわせて適時使い分ける能力が求められる。
レベル3
生徒仲間は、教師から独立できていると思い込んでいる。基礎はそれなりにできているものの、経験の不足で応用の場面において力不足となる。仲間内の連携で対応しようにも、個々の未熟なところが露呈し、逆に課題や対立も生まれかねない。
教育者は、独立しようとする学習者の主体性を尊重しながら、さらなる足場かけで成長を支える。同時に経験の言語化を促すことで、知識の定着と内発的な学習への移行も促す。
レベル4
技術スキルとしては一人前に近くなっている。おそらく、本人も教師と同じだけの能力が身についていると感じている。しかしまだ意識は学習者であり、自らが経験を得るための働きをする。いわば自分自身の姿がみえていない状態ともいえる。
教育者は、この段階で支援的な手法に完全に切り替わっている。最後の足場かけは、内省によって課題に気づき、自ら学ぶ姿勢を確立させること。つまり、教育者が学習者を手放す段階といえる。
レベル5
ここまでで得た能力を他者に対して扱い始める。知識とスキルが個々の経験に基づいて表出するため、同じ体系であっても個性を纏っている。その違いに気づくことが、更なる成長への材料ともなる。
教師や生徒といった垣根はなく、同じ立場として物事に関わる。お互いの持つ別々の経験(多様な情報)が組み合わさることで、さらなる技術スキルの発展が見込まれる。
レベル6〜
ここから先は、さらに経験を踏まえた知識と熟達したスキルが組み合わさることによって、より複合的な課題と向き合うことができる。熟達者同士の専門性の組み合わせによって、新しい技術などが生み出され、分野そのものが進化していく。
ここから先の成長は、自己の追求が求められる。内面外面ともに俯瞰視できるようになってきているが、より広く、細かな点にも気づきを向けることができるように、先を進む師の存在があるとなおよい。
オマケ:発達段階を踏まえた冒険教育プログラム
レベル01:ストレッチ
レベル02:エナジャイザー
レベル1:ディインヒビタイザー
レベル2:コミュニケーション
レベル3:イニシアティブ
レベル4:トラスト
レベル5:複合的な活動
レベル6:日常からの学び
それぞれの段階で至高体験が生まれやすい活動、活動できる人数を挙げた。
個々人の段階を超えるような活動はあまり効果的ではない。
グループでの活動はZPDにより、個人より一段階上までチャレンジできる
雑感
個人の中でも分野毎に発達段階が存在する。様々な段階が個人に内包されることで、カラフルな個性としてあらわれる。
発達段階は可逆的なものであり、人は段階の行き来を繰り返しながら発達する。
応用には基礎が求められるため、ファシリテーションなどの手法は高いレベルでなければ効果的ではない。
内省ができるようになることが、自律性のあらわれとなる。脳の発達からみると、それが可能となる時期は18歳以降。おそらく、大人になるということはそういうことなのだろう。