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怒り

こんな仰々しいタイトルをかかげて、人の心を動かし世界を変えてやるなんてことはない。
そうです。気軽なエッセイだから安心してください。今回は、約10年くらい前の話だ。都内に何かしらの用事で出掛けたとき、なんの用事だったのか思い出せない。下北沢とか高円寺とか、上野だったのかもしれない。古着を買いに行ったのか、街歩きをしたのか、美術館に行った帰りだったか、どこかの芸大祭に行ったのか、とにかくアートの気分が触発されていたことしか覚えていないけど、普段は恐れ多くて入らないような一風変わった、明るい色の木材でモダンに建築された書店に入ってみた。書店としては珍しく、かなり縦長で、2階はロフトのような半2階のような構造で、1階から見上げると2階が見渡せ、逆に2階からも1階全体を見渡すことができた。
そこでは、あまり見たことのないような本がたくさん平積みされていた。僕は、書店をウロウロして、本を物色する趣味があり、それを続けて早や十何年、もう真新しいものはあまり見つけられてなかったのだが、その書店は知らない本ばかりでパラダイスだった。そこでだ、超リアルに女の人が描かれた画集に目が止まった。なんだこれはと、こんなにリアルに女の人を、人の手で描けるならもう自由自在じゃないかと。もちろんその中には裸体を描いたものもあり、もうこの画集を買わないと帰りたくない…という気持ちにすぐになった。(以前のエッセイで書いたスーパーカーを見て手に入れたいと思ったコレだ感と同じレベルの物欲を感じた)だがしかし、表紙からしてそういう女性が描かれていたから、レジに持っていくのは恥ずかしい。そこで僕はどうしたかというと、もっともらしい真面目なタイトルの、しかも新書をその画集に重ねて、しかも裏返しでレジに出すことによって、自分の欲望を隠そうとした。
タイトルは、「現代アートとはなにか?」

今聞いたら笑えるような話だけど、当時は真面目にこれでレジの人も不自然に思わないだろうと考えた「ああ、真面目な人なんだな」って思われると真面目に考えていた。笑えるどころか、泣けるくらい想像力が足らな過ぎる。そんな感じで自信満々にレジに出したのだ。すると、レジのお姉さんは、若干怖い声で応対し始め、あれ、どうした?と思うも束の間、見事に透明なビニール袋から表紙の恥ずかしい絵が丸見えになるように梱包して渡してくれた。わざわざ裏向きで出したのに!!!おかげで、街中で人に見えないように常に表紙側を自分に向けて持って帰るはめになった。よっこいしょと取り出したら丸見えになっちゃうしね。あの時のお姉さんは、一体何に怒っていたのだろう?今ではわかる。「現代アートも、女性写実画も下心として消費するだけで、味わうような思考回路も持ち合わせておらぬくせに、この小僧が」でも怒ることないじゃん。大体の怒りは、その根底に悲しみの感情がある。でもそれを上手く表現出来なくて怒りとして発散してしまうのだ。(と何かの本に書いてあった)お姉さんもアート界の人だったのだろうか、自分の作品が本来意図した意味ではなく、大衆的な欲望で消費されていて、これやる意味があるのだろうかと悲しんでいたところ、タイミング悪く田舎者っぽい青年が火に油を注ぐようなラインナップでお買い上げになられたから、トドメをさされるように余計に絶望してしまって、怒りとしてアウトプットしてしまったのであろう。例えるならば恋人に愛情込めた肉じゃがを出したら、マヨネーズをかけてご飯にかけてカレーライスのようにスプーンで食べられて、「このカレーライスおいしいね」って言われたみたいな。ちょっと何言ってるか分かりません。

ところで、僕は曲を作るとき、誰かに確かに伝えたいことがあって、その情景を心に思い描いたあと、詩にしたりする。そして次に、歌詞とメロディーにし、より曲として具体化していく。ただ、本筋は確かに受け取ってもらえるようにして、装飾部分は様々な意味として、受け取れるように遊びを設けている。そこは自由に解釈してもらっていいのだが、本筋部分が伝わっていないと自分の力量のなさに落ち込んで悲しくなる。この前、恋愛ものの曲を作ったとき、知り合いに聴いてもらったら「難しくてよくわからない…ただ、恋愛の曲じゃないことは分かる」と言われて思わずメールから目を逸らして爆笑してしまった。それと同時に悲しみも押し寄せてきたものだった。そう考えると、レジのお姉さんの気持ちも分かるし、僕自身もまだまだやれるぞと感じております。


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