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ネバーエンディングストーリー -済々黌の卒業式2024-
●校長先生から呼び出し
黌長先生からの呼び出しがきた。
やばい。
黌長からの呼び出しといえば高一のとき京都奈良修学旅行で酒飲んだのがバレて、熊本に帰ってきたあと親同伴で呼び出されたとき以来だ。
京都の宿で一網打尽にされた生徒は約30人。
複数のクラスにまたがる大事件だった。
親同伴で会議室で黌長先生に叱られてから1週間後の朝。
自宅謹慎を解かれた皆んなが教室に戻ってきた。
午前中の授業を神妙に受け、迎えたお昼休み。
それぞれのクラスの生徒たちは10分で弁当を食べ終え、廊下側のドアがピシャリと締め切られる。
そうして、それぞれのクラスで生徒たちが自主的に手分けして作った「謹慎処分期間の全授業のノートの写し」授与式が、同時多クラスで一斉に行われたのである。
僕が過ごした済々黌とはそういう学校であった。
●来賓という扱いだよ
黌長先生からの呼び出しは2024年3月1日に挙行される卒業式への案内状だった。
来賓という扱いである。
来貧ではない。
今年春の卒業生といえば、一昨年秋の2年生。
僕らが制作した済々黌創設140周年記念サイト『黌辞苑』で座談会に臨んでいただいた皆さんの代である。
これは行かねば。
きちんと行ってお祝いせねば。
拍手をバンバン叩いて皆さまを送り出さねばならない。
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とにかく僕はきちんと出席することにした。
となればいつも着ているユニクロの上下ではいかん気がする。
数年来新調してなかったスーツを、熊本の郷土のデパート鶴屋百貨店で誂えた。
ネクタイは福岡の地場のデパート岩田屋で買った。
スクールカラーの黄色にするか迷ったが、寿ぐのであれば白かシルバー地のネクタイだろう。そこでおとなしめの薄い山吹色のチーフを鶴屋百貨店で買った。
小学校同級生の前原くんが店主を務めるリーガルシューズ熊本店でスーツに似合う革靴を久しぶりに買ったが、卒業式会場の体育館はスリッパ履きだったのであまり関係なかった。
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●来賓入場 在校生と父兄の皆さまの拍手に驚く
始めての来賓。
控室から卒業式会場である体育館に行く間に迷ったり、体育館の入り口で事前にコケた話は省く。
さあ時間だ。
卒業式会場入場に際し、来賓は整列しなければならない。
初めて知った。
その列は先生の先導で校舎廊下から体育館へ。
体育館の入り口から中に入ると、在校生の皆さん、卒業生の父兄の皆さまの900人くらいの拍手に迎えられる。
来賓とはそういう立場なのか。
身が引き締まる。
スッ転んだことは記憶の彼方に放り投げた。
●卒業生入場 ブラバン?弦があるぞ!
来賓入場のあとは卒業生入場。
ブラスバンド部が「威風堂々」の演奏で迎える。
僕らの卒業式の時も「威風堂々」だった。
これはずっと続いているんだろうかと思いながら聞いていると、どうも僕らの時と比べて音の厚みが違う。
弦が、弦がある!
ストリングスが入っとる!
ブラバンじゃなくてフルオーケストラじゃないか!
卒業式は毎年続いているだけではなく、進化していた。
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なお、済々黌ブラスバンド部の奮闘はこちらの中村香織さんのコラムで読むことができる。
●黌長先生の話 笑わない黌長先生は今日も笑わない。
卒業生が入場した。
卒業式が始まる
まずは「国歌斉唱」。
そして卒業証書授与。代表一人に渡される。
卒業証書に押される印鑑には
「行百里者 九十里為半」と記されている。
物事を成し遂げるには、終わりの方ほど難しいので、九分どおりのところをやっと半分と心得て、最後まで気を抜いてはならないという教えである。
明治29年(1894年)に熊本県尋常中学済々黌と改称したときから129年間、卒業証書の割印として使用されている、ということだ。
卒業証書授与の次は恩賜記念賞授与。
ひときわ秀でた生徒に賞が授与される。
そして鶴山幸樹黌長の式辞。
鶴山黌長といえば『黌辞苑』の取材のとき、まったく笑わなかった。
あの田中泰延さんが笑顔になるようなネタを振り続けたにも関わらず、笑わなかった。
そのくせ自分は人を笑かすようなネタを振ってくるのである、
真顔で。
なかなかの人なのである。
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済々黌の創設の理念「三綱領」は「正倫理 明大義 重廉恥 振元気 磨知識 進文明」という3行6項目からなる。
その「重廉恥」から話は始まった。
つい20年ほど前まで個人の発言は身の回りにしか届かなかった。だが今ではSNSでどんどん広がる時代。なんでも言えるという状況を間違った捉え方をして、なんでも言ってしまう人が多く、SNS空間は荒んだ言論が飛び交っている。
この風潮に対して鶴山黌長は「重廉恥」、つまり恥を知ること、自己愛の正しい錬成、自己中心ではなく常に周囲の人や状況から学ぶ態度、本質を見極める姿勢を話された。
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締めくくりは済々黌黌歌の最後、
「天地万象みな我が師 進まん理想の目標に」という一節。
身の回りの全てのことから学ぶ姿勢、これが傲慢をなくし、人として成長していくための最も大事な姿勢であると。
とつとつと話される壇上の鶴山黌長先生には今日も笑顔はなかった。
送り出す喜びや寂しさをこらえているように見えた。
しみる話だった。
この訓示は済々黌から毎年「一年の学校の情報全て」を記録して後年に残すためにまとめられる「年史」で読むことができるはずだ。
関係者に配られるほか、済々黌同窓会が管理する「多士会館」でも読むことができるので、訪問可能な方はぜひ目を通していただきたい。
●来賓祝辞も良かった
そのあとは来賓の祝辞がいくつか。
最初の祝辞の田嶋副知事は67歳(2024年3月時点)。
一瀬黌長先生の「三綱領の解説」から話を紐解かれた。
後にお話を伺ったところ、田嶋さんが在学していたとき一瀬先生は教頭だったということで、三綱領の話もその時に教わられたのかもしれない。
お立場から考えて「秘書課が書いた祝辞を読むのかな?」と思って聞いていたら、ご自身の在校時の体験をもとに話されていて、わかりやすいいいお話だった。
年史に収録されていたら関係者の方にはぜひ読んでいただきたい内容。
でも最近の年史では来賓の祝辞は省略される傾向にあるので、これは聞いた人のみの耳福なのかもしれない。
『黌辞苑』のコンテンツ「三綱領の解説」では、佐々友房自ら描いたものや歴代の先生方が書いたものまで、現存する解釈を平等に掲載した。どの解釈を採るかは読者に任せている。
だが、その中で現代人へ向けた三綱領の解説として成立しているのは一瀬黌長の解説だけだ。
僕のどの仕事でも同じなのだが、『黌辞苑』サイト制作の際にも既存文献調査を結構深く行った。
そのいくつかの文献に、一瀬校長による解説が「ある」というのが出きていた。
だが現物が見当たらない。
学校の事務に聞いても分からず図書館にもなく、もちろん多士会館にもない。
ところが奇遇というのはあるもので。
2021年の6月のある日。
済々黌を訪れることがあり、とくに期待せずに軽い気持ちで済々黌史料館を覗かせてもらった。
当時の史料館は校内のあちこちにあった古い資料や、卒業生から寄贈された文物を集めて詰め込まれるままになっていた。
日露戦争の資料とか、野球部の資料とか、ざっと見て回った後に古い本箱の中の本を何気なく見たところ、事務の方も把握していなかった定時制済々黌の閉校記念誌を発見。
定時制済々黌高等学校が閉校したのは昭和57年(1982年)。
40年前の本だった。
そのなかの一節に一瀬黌長の「三綱領の解説」があったのである。
いまの済々黌は普通科の高等学校。だからなのか定時制済々黌の資料はあまり気を配られていなかったよう。
だが済々黌といえば枝分かれして熊本にいくつもの学校を産んだ歴史があり、時代の要請で消えていった学校もある。それらにも創設者佐々友房の意思が生きていたはずだ。
現在、同窓会と在校生による史料チームが済々黌史料館の確認と分類を進めており、いずれここの史料もきれいに整理されたものになると期待している。
![](https://assets.st-note.com/img/1711979522710-uBVNggKdTD.png?width=800)
すらすらと読まれた。
僕はこのプロジェクトは良いものになると確信した。
画像は済々黌140周年記念サイト『黌辞苑』より。
済々黌内部と外部の既存文献を読み込み、『三綱領』を漢文的知識と創設者佐々友房の足跡から考えるとこういう解釈しか成り立たないと僕が考えた解釈は、一瀬黌長の解釈と、ほぼ同じだった。
それまでの三綱領の解釈に納得がいってなかった僕は、発見した一瀬先生の「解釈」を6月の明るい陽光がさしこむ史料館の入り口でそうだよそうだよと声を出しながら読んだ。
ただ、当時三綱領の解釈の第一人者とされた方への遠慮が一瀬黌長の解釈にもみられた。
それが画龍点睛を欠いて曖昧さを残す結果となっている。
サイト『黌辞苑』で整理した「三綱領の現代的解釈」では、そんな忖度をぶっ飛ばして歴史的経緯と漢文構造からの正確な分析に注力した。
その結果、ロシアによるウクライナ侵攻など国際関係がインターステートシステムの様相を呈し、国内の生活文化には理想が身を潜め欲望や無見識だが感情を揺さぶる情報が爆発的に増えている今だからこそ、三綱領が現代に提案性のある理念であり人を育てる言葉であることがわかった。
もしかすると在校していた時に一瀬黌長から直伝で教わった古文と漢文の知識や知恵、古典や文書を読み解く姿勢のあり方が、僕の三綱領の解釈を呼び寄せたのかもしれない。
不幸なことに一瀬黌長は定年後に同窓会と悶着を起こし、そのことを慮る方々からその功績を消されてきた経緯がある。
だが、そのことと三綱領の解釈の話は別だ。
三綱領の現代的な解釈はこちら。
●在校生総代送辞
在校生から卒業生へ向けた、はなむけの言葉。
毎年頼るべき先輩が旅立たれるのは「さびしい」し、「活躍を期待している」という様式美である。
様式美を守るのもまた一つの済々黌のあり方である。
●卒業生総代答辞
在校生の送辞に対して卒業生がおこなう答辞である。
送辞に対する答辞であるが、毎年微妙にお互いの言っていることがずれている。
それもまた微笑ましいのである。
カタチを守ることは大事だ。
●卒業生の歌
卒業生による歌。
済々黌はレミオロメンの「3月9日」や、いきものがかりの「YELL」でもなく。
「旅立ちの日に」でもなくEXILEの「道」でもない。
アンジェラアキでもGreeeeNでもない。
済々黌の卒業生は「蛍の光」と「仰げば尊し」である。
これは僕らのころからそうだった。
様式美を守り続けることの面白さ感慨深さがあるのである。
イノベーションは「守破離」で成立する。
「守」がなくて「破離」だけならば、それは改革ではなく無軌道な破壊である。
●三綱領唱和と黌歌斉唱 で、「密集!」
済々黌生活最後に想いを込めて「三綱領唱和」と「黌歌斉唱」。
前へ進んだのは音楽の先生…ではなく、応援団長の中山愛那さん。
卒業生は「三綱領唱和」の号令と共に一斉に起立。
倫理を正しゅうし、大義を明らかにす!
「倫理を正しゅうし、大義を明らかにす!」
廉恥を重んじ、元気を振るう!
「廉恥を重んじ、元気を振るう!」
知識を磨き、文明を進む!
「知識を磨き、文明を進む!」
400名が渾身の声で三綱領を唱和する。
三綱領が終わってシンとしたなかに「みっしゅう!」と中山さんの号令。
400名が中央に向かって左右から密集していく。
肩が触れるくらいになったら皆で肩を組む。
ブラスバンド部の前奏が始まり、卒業生皆が歌い出した。
「碧落仰げば偉なるかな 渦巻く煙幾百丈…」
歌いながら腕組みしたみんなが左右に揺れ出した。
これはあれだ。
甲子園アルプススタンドで僕らも自然発生的にやったやつだ。
いまは「密集!」という号令とともにシステム化されているのだ。
漢文の知識がないと歌詞の意味がよくわからないこんな歌、これからはなかなか歌う機会はない。
それを感じているのか、皆さんが本気でしっかりと黌歌をうたっているように見えた。
「…天地万象みな我が師 進まん理想の目標に」
最後のフレーズ。
黌歌が終わった。
これからも廉恥の心を忘れず、理想へ向かって駆け上ってくれ。
●卒業式終了
卒業式は感動的な黌歌斉唱で終了を迎えた。
感動的な素晴らしい卒業式であった。
父兄の方々も安心されたことだろうし、浪人する子も進学する子も、また新たな心配事と向き合われていくことだろう。
「おめでとうございます」は、ただ単に側から喜んでいる言葉ではなく、新たなステージに上がって、のちに直面していく新たな困難への応援とはなむけの言葉である。
卒業生の皆さん、父兄の皆さま、そして先生方、本当におめでとうございました。
●「卒業式後の行事」
15分の休憩を経て、済々黌卒業式の公式式次にはない行事「卒業式後の行事」が始まった。
マイクなど進行一切が卒業生に渡される。
まず、卒業アルバムのような動画から。
生徒の皆さんの笑顔がスクリーンから溢れてくる。
この映像の作り方はどこかでみたことがあるぞ。
済々黌140周年記念で生徒が作った映像があった。
『黌辞苑』の座談会にも参加してくれた映像作家・池田周治くんの作品だ。
この映像もきっと池田くんが…と思って舞台袖を見たら、映像送出機材をいじくっている池田くんの姿が。
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『黌辞苑』でクリエーティブディレクターでナビゲーターとして座談会を進めていただいた田中泰延さんの著書『読みたいことを、書けばいい。』(ダイヤモンド社)も読んでいた彼。座談会が終わって泰延さんにサインをしていただいているとき、とても嬉しそうだった。
彼は立教大学に進学する。
そこで映像も含めてよりしっかりと学んでいく。
キャンパスはNNCへ通うことになる。
NNCは新座野火止用水キャンパス。
僕も立大出身だがINCだった。池袋西口キャンパスだ。
(すみません。NNCもINCもいま勝手につくりました。言ってみたかっただけです)
立教大学は僕にとってとてもいい大学(たぶん。少なくとも僕がいた時はそう)だった。
これまでの仕事の基礎となる能力と社会への姿勢をここで教わった。
彼にも立大で多くの知識を学び、時には挫折し、仲間と切磋琢磨したり喧嘩したり孤独と戦ったり恋愛したりして、しっかりと成長していってほしい。
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映像が始まって10分間ほど。
キラめいた高校生活の映像。
アルバムもいいけど映像もいいよね。
良かった良かったと思っているうちにキラキラな青春時代的な映像が終わった。
と、思ったら。
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先生がた、図書館や保健室やお世話になった方々から卒業生への送る言葉の映像が始まった。
先生がたのキャラクターを生かした構成。
卒業生からも、先生方からも、父兄の皆さんからも笑い声が起こる。
まさに「周囲を明るくする原動力となる」という済々黌の徳目「振元気」をカタチにした映像だ。
最後は学年主任としてずっと一緒だった黒川先生。
陰影をつけて撮影した、作り込みのわざとらしさや誇張がまた笑いを誘う。
教員席の黒川先生も笑いながら見ている。
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すると画面に黒川先生の笑い顔が大写しに。
数秒の間をおいてあれ?という顔になって。
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よく球場とかイベントでやる「観客席いい笑顔抜き撮影」のあれだ。映像作品を見ている間に巧妙にリアル撮影に移行している。
「黒川先生、壇上へ上がってください」とアナウンス。
訳がわからない風で、右左見ながら黒川先生が壇上へ上がると、舞台袖から卒業生代表の男子が紙を持って現れた。
「学年主任卒業証書授与」
アナウンスが入る。
卒業生による、彼ら彼女らの学年主任を卒業する黒川先生への「卒業証書授与式」であった。
会場は爆笑。
卒業生代表が学年主任卒業証書の文面を読み上げるあいだに体育館内はシンとなり、黒川先生が頭を下げつつ受け取ったところで万雷の拍手。
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『三綱領』という徳目を実現するために、済々黌には「師弟一如」という行動指針がある。
天地万象みな我が師とする済々黌であれば、師は同時に弟である。逆もまた真なのだ。
そうして一丸となって人格の完成を目指していく。
生徒に行動指針を押し付けるのではなく、先生にも同様に科される掟。
この掟は創始者である人間・佐々友房のキャラクターそのものではないかと僕は見ている。
サイト制作にあたって取材した思想史家の渡辺京二さんは「済々黌は、本当に友情溢れるというか、また先生とね、生徒の間の関係というのがね、本当に愛情深いものがあってね、良い中学と書かれているわけ。済々黌のそういうもの(風土)を創ったのは、そらやっぱり友房だったんでしょうたい」「彼は、どういったらいいのかなあ。親分になれる人間。そういう素質を持てた人間」と友房を評している。
人が切磋琢磨する空間では、師弟は上下ではない。
同じ目標へ向かって進む同志だ。
師弟一如という行動様式が、まさにこの「学年主任卒業証書授与式」にあらわれていた。
142年前に佐々友房が形にした済々黌という物語は、時代を繋いで確実に現代に繋がっている。
拍手が収まると、本日の卒業式の本当の最後、万歳三唱である。
●済々黌生活最後の万歳三唱と帽子投げ
学年主任卒業式授与式のあとは、ついに卒業式行事のラスト「万歳三唱」だ。
応援団長の中山さんの号令のもと、渾身の声で。
万歳!
「万歳!」
万歳
「万歳!」
万歳!
一瞬、間を置いて、
「ばんざーい!」
その瞬間に体育館の天井へ目掛けて放り上げられる済々黌の制帽の数々!
42年前。
そう、実は僕らの卒業式の時に突発的に始めた制帽投げ。
済々黌の制帽には黄色い線がフェルトの植込みで施されている。
「防衛大学でもアメリカの陸軍士官学校でもやってる。やらん?」
と僕らを誘ったのは同期生の応援団員の柴田くんだった。
うん、やろうやろう。
同調者は瞬く間に広がっていった。
そして皆でこっそり制帽を持って卒業式会場の体育館に入場したのだった。
当時は制帽を被るのが普通だったので、男子のほとんどが帽子を持ってきた。
女子の一部は帽子を手にしていたらしいが大方の女子は唖然として見ていたと思う。
そうして僕らの頃に始まった帽子投げ。
現代まで続いていた。
しかもだ
いまは男子も制帽を被らない時代。
このイベントでは学校から制帽が男子にも女子にも貸与されるのである。
今年の卒業式では入場の時に制帽を被って入場してくる女子生徒も多数いて、とても微笑ましかった。
3回目の「ばんざーい」の声と同時に一斉に宙に放り上げられる帽子たち。それぞれ、いろんな想いを放り投げるのだ。
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そしてこれは42年前の記念すべき第1回目帽子投げ。
僕らが放り上げた帽子たち。
本邦初公開画像である。
●卒業生と『黌辞苑』、これからの人生、紡がれる物語
3月1日の卒業式から2週間。
3月13日に済々黌高等学校の新入学生の入試結果発表が行われた。
そして15日は新入学生説明会。
ちょっとした用事があって済々黌の前にある多士会館を訪れた。
事務のお姉さんがたと例によって馬鹿話をしていたら、見慣れた3人が。
![](https://assets.st-note.com/img/1711982261926-w2NrRVaxc4.jpg?width=800)
多士会館の前で「もうヒト押し」の撮影のために待ち合わせしていた。
中山さんはセーラー服でも応援団の学ランでもないし、池田くんも澤村くんも学生服ではない。
溌剌とした若者な感じ。
「あれ?髪染めた?」
池田くんが澤村くんに笑いながら尋ねる。
「私も髪染めたし」
中山さんが笑いながら口を挟む。
笑いながら話が尽きない。
池田くんは4月から東京(埼玉)の立大。澤村くんは福岡の西南大。中山さんは9月からカナダの大学に進む。
目の前を済々黌からの坂を下ってくる新入生と父兄の皆さんが通る。
その姿を見ながら中山さんが小さく「いいなあ」と、つぶやいた。
これから済々黌という物語を体験していく中卒生へ向ける眼差し。
そこには済々黌で過ごした時間の何にも変え難い経験への懐かしさ、これからそのような経験をするであろう中学3年生の子達に向けた羨ましさがこもっていた。
コロコロと笑いながら話す3人の笑顔には、ここから去っていくこと、別れていくことの寂しさを打ち消したい気持ちが宿っているような気がした。
●3月28日・そして新しい旅立ち
3月28日。
ふと思い立って多士会館の事務のお姉さんがたシュークリームを差し入れ。
「おやつ持ってきましたー」と入っていったら、
そこに偶然、池田くんと澤村くんがやってきた。
![](https://assets.st-note.com/img/1711982504519-4pmrjktm3q.jpg?width=800)
3月28日は転勤する先生の退任式の日だった。
学年主任だった黒川先生は4月から熊本県立八代高等学校・八代中学校(中高一貫校)へ転任する。
そのため挨拶に来たという。
妙な言い方をするけど、そこまでするかというヒトたらしの感さえある。
それこそ佐々友房が育てようとした、これからの人に必要な「親分の資質」だ。
二人はそれを知ってか知らずか始終ニコニコしている。
そして、多士会館の事務のお姉さんと相談を始めた。
彼らは卒業式で流した映像を追加撮影して再編集し、卒業生の希望者にDVDを1枚100円で売ったのだ。
その売り上げの中から多士会館に寄付するのだという。
ただ、その相談のところで
「かといって、売り上げ全部寄付するのはどうかな」
「経費もかかってるしな」
と、二人で迷っている。
いいんだよ、できる範囲で。
しかしながらだ。
いきなり寄付するとはデキすぎた後輩である。
身を正すのは「できんちゃんのアホだった」僕ら先輩の方である。
僕らが彼らにあるべき姿を教わるのである。
師弟一如、先輩後輩一如だ。
済々黌とは、上位下達でもなくボトムアップでもない、天地万象皆我師の輪廻の文化なのだ。
終わらないよね、済々黌の教えは。
とりあえず事務のお姉さんにこれまで以上におやつを差し入れしようと僕は誓った。
今日は4月1日。
卒業生は卒業式を終えているけれど、昨日の3月31日までは学校に籍があった。
今日こそ晴れて新しい一歩を踏み出す日。
熊本は爽やかな青空が広がっていた。
いい日旅立ちだね。
進学する、あるいは浪人する、もしくは就職するみんな、青天の志を胸に新しい人生へ、いってらっしゃい!
もし、もしもですよ、もしも記事に投げ銭いただける場合は、若い後進の方々のために使わせていただきますね。