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そんなことはないだろ…と魂を彷徨わせると世界が広がる。『吼えろ道真 -太宰府の詩-』

この文章は読書感想文、だと思う。
前の「スローシャッター」に続いてまた読書感想文なのだ。


マーケティングとかブランディングの話はどこへ行った?
という方もちょっぴりはおられるだろう。
その分野も書きたいのだが今日はこれを書きたい。


読んだのは『吼えろ道真 -太宰府の詩-』(集英社文庫)。
著者は澤田瞳子さん。
前作の『泣くな道真 -太宰府の詩-』の続編である。

道真といえば、日本史の教科書で多くの人が見たことがある「太宰府に流され涙ながらにひっそりと暮らし死んでいった悲劇の男」菅原道真だ。

だが本書はそんなイメージを覆す。
食えないジジイ道真の痛快な活躍譚なのだ。


前作のタイトルを見た時に「やられた!」と思った。
やられたもクソも僕は何もしていないのだけれど、とにかくそうだったのだ。

だって道真のような能力ある人が、太宰府という京の目の届かないところにやってきてひっそりとしているなんて、「そんなことはないだろ」?
子供の頃からずっと僕はそう思い続けてきた。

しかもだ。
太宰府は京都と同じように条里制の都市だけれども、生活文化がこれほど同質化した現代だって京都人と太宰府人とは気性が違う。
九州はガハハ系だ。
だから、むしろ九州人の方が道真を放っておかない。

たまに道真の住まい跡と伝えられる榎社(えのきしゃ)へ行ったりする。
遠くから見ると巨大なブロッコリーに見える境内の楠の大木の、萌え上がる緑の樹勢と太く力強い幹を見るたびに、その思いは強くなる。

橘とか桜とか紅葉とかで風情やら感じている場合ではないのだ、九州は。


「そんなことはないだろ」という感覚は、道真のことだけではない。
小中学校や高校で使った教科書の日本史。
江戸時代以前は民衆は必ず虐げられてきており、暗黒時代が続きてきたように描いてある。
一方で「民衆には逃散という抵抗の手段もありました」などと書いてある。

ではどうして日本全国で同時多発的に逃散が起きなかったのだろうか。

僕は街の住宅地の子だからそこのところがよくわからなかったのだけれど、大人になって多くの方と触れ合うことで見えてきた。

たとえば熊本県清和村の人形浄瑠璃。
村人は手持ち箪笥みたいなお弁当を持って浄瑠璃を観にくる。
この人形浄瑠璃は幕末に旅芸人により阿波国からもたらされ、のちに村人がその技術を受け継いだ。

その祭りがずっと現代まで続いている。
農村は農村なりに楽しい暮らしがあったのだ。
社会全体が貧しい(生産力が低い・貨幣経済が成立していない)状況だったのだから今の尺度で見れば貧困だし、武士社会からの抑圧があったようにも見える。

でもそうではなかった。

渡辺京二さんの『近代の呪い』(平凡社新書)や、近著の『小さきものの近代Ⅰ』(弦書房)でも繰り返し語られているのだけれど、むしろ農民・漁民、山の民から街の衆まで、民衆側は政治・行政・外交・軍務に携わらないということで得られる自由を謳歌していた。
「身の回り」で構成された幸せな空間に住んでいた。

そういう暮らしをむしろ変えたくなかったし、自分の地域にどのような為政者がいるかも気にしなかった。
為政者が要求してくる条件に対しては名主などが交渉に当たることでバランスが保たれたのだ。

僕らが読まされた教科書の江戸期の民衆についての描写は、明治政府から始まる「前時代は暗く描きたい」という意識と、左派勢力による「進歩こそ善だから封建時代はダメだ」という作為の産物だった。

もちろん地域差はあるし、地域の為政者が馬鹿殿だった場合の問題はあったけれども。


僕の「そんなことはないだろ」が心の中で明確になった原点は中学生のころの体験にある。

奈良への修学旅行の前に「これは読んどけ」と梅原猛さんの『隠された十字架-法隆寺論』(新潮社)を歴史の先生が勧めてきた。

そもそも聖徳太子が馬小屋で生まれたとか、釈迦のように生まれたての太子が天地を指したとか、10人の人々が同時に喋るのを聞き分けたとか、「そんなことはないだろ」とは思っていたが、この本はその疑問にことごとく応えてくれた。

太子が一人の人間として浮かび上がった。
教科書上では一つ一つのキャラクターだった飛鳥時代の諸豪族や殿上人も喜怒哀楽を持つ普通の人間であり、そういう人々の思念が狂気を作り出すということも見えてきた。

そういう目で見た法隆寺の夢殿は、思念・狂気・怨念・諦観、そして時の浄化というものの権化のように見えた。

この強い体験が僕の「そんなことはないだろ」というものの見方を決定した。


さらに教科書で習う『奥の細道』である。
俳句である。
俳句といえば詠嘆の抒情である。
俳聖といわれた松尾芭蕉が弟子の曾良とともに東北の歌枕を訪ねて延々と歩くのである。

ついつい詠嘆の呪いに囚われて、芭蕉がこの旅を通していにしえの人や出来事を想って「はぁーっ」と諸方で感じ入って落涙しているように感じる。
けれどこれも「そんなことはないだろ」と僕は思っていた。

だって、そんな気持ちだけで延々と東北一周とか歩き続けられんだろ。
その旅は面白かったはずである。
ウキウキだったはずである。
うまいもんも食ったはずである。
曾良と二人でくっそ笑いながら旅したはずである。

芭蕉もやってきた福島の歌枕「文知摺石」。
百人一首の「みにのくのしのぶもずり誰ゆゑに みだれそめにし我ならなくに」のとこ。


1970年代中盤頃からシンセサイザーを使った楽曲が流行り始めた。

キワモノ?だった電子楽器を冨田勲の壮大な世界がオーソライズし、NHKのシルクロードでお茶の間にも普及し、「姫神」の楽曲は放送局で重宝され、YMOが新しい世界を広げた。

中でも「姫神」(星吉昭さん)の『奥の細道』の一連の曲群はとてもPOPで好きだった。
これも星さんが「芭蕉が俳聖として枯れた感じの旅をしたなんて、そんなことはないだろ」という考えで作った曲群だった。

当時「姫神」の曲をFMからカセットテープに録音して楽しんいたのだが、いま手元にはそのLPがある。

LPとはLong Playingのことである。
決してLanding Pageのことではない。

盤のラベルには見本版と書いてあり、レコードジャケットはボロボロだ。

ラジオ番組「青春キャンパス」の地方局スタッフをしていた高校生のとき、「これもう使わないから」とスタジオの横に捨てられてたのをもらってきたヤツ。

当時の流行りようから想像するにずいぶんコスられたはず。
だから音は良くないと思うけれど、僕にとっては宝物の一つだ。

キャニオンレコード。ラジオでそのレーベルの名前をよく聞いた。いい響きだ。

もっと前、幼少の頃も大統領のワシントンが子供の頃に桜の木を斧で切って、叱られた時の態度が立派だったとかいう話を聞いて、「そんなことはないだろ」と思っていたことを思い出した。
小さい頃からイヤミな子どもだったような気がしてきたよ。


偉人と言われる人の幼少期を捉えて、最初から「先生」をつけたり、敬語でその行状を説明することにずっと違和感がある。
釈迦でさえ生まれながらの偉人ではない。
キリストも結構やらかしてる。


済々黌創立140周年記念サイト『黌辞苑』。
↓リンクはこちらから↓

済々黌創立140周年記念サイト『黌辞苑』を制作したときのベースとしての考え方にも「そんなことはないだろ」があった。

済々黌の創設者は佐々友房という人。

創設者は偉い。
それはわかる。

しかしだ。
創設の前は偉くなかったのではないか。

佐々を信奉している方も多いみたいなのでココはことばを柔らかくしよう。
それほど、偉くなかったのではないかな?

そんな彼がどこから「偉い」と評価できる人になったのか。
評価に値する行動をしたそのモチベーション、あるいはトラウマ、なんでもいいのだけれど、どこでその人は変わったのか。原動力がどこで生まれたのか。

それを知りたいと思った。

佐々友房の偉さをいうために、西南戦争の田原坂戦線薩軍左翼の吉次峠で官軍を相手に勇敢に戦ったという話をする人がいる。
確かに偉い。
僕にそれができるとは思えない。

だけど。
それがなぜ「これからは教育だ」「三綱領だ」という彼の思いに繋がるのか、済々黌の創設につながるのか。
「偉い」からなのか?
そのまま軍人の道に進んでも良かったではないか。

熊本隊として佐々らが薩軍に呼応して参加した西南戦争。
田原坂の熊本城北戦線を破られ、熊本城東会戦で負け、敗走を続け、官軍に投降するまでの間に何を見たか、彼がどのように感じて、何を変えないといけないのか自覚するところに、彼の偉大さの芽があるのではないのか。

僕らと同じ「人」として彼を捉え、その心理変容と、行動と、成し得たことにこそ、後進の僕らは共感し尊敬するナニカがあるのではないか。

その前提なしに「偉大だから尊敬しろ」といわれても困るのである。
今回、『黌辞苑』ではクリエーティブディレクターを務めていただいた田中泰延さんに僕のその原動力的なところを十分にお汲み取りいただき、黌外の皆さまにも面白がりつつ学校のことを理解いただけるものが出来上がった。
サイト公開後60時間の来訪者数およそ1200。
うち学校関係者が200。
それとは何も関係のない方の来訪が1000。
この数字が全てを物語っている。
ご来訪いただいた皆さま、田中泰延さんを始め制作に関わっていただいた皆さま、そしてGOサインを出していただいた済々黌同窓会の先輩後輩の皆さま、ほんとうにありがとうございます。


現在「146年前の今日。」という書き出しで西南戦争の概況と、同日の佐々友房の日記から彼の毎日をTweetするアカウントがある。


ちょうどいまごろ(4月30日)は熊本城東会戦でボロ負けして、険しい山の中を敗走し、人吉に新たに拠点を設ける薩軍に合流するあたり。

ここへきて、ボロボロになった佐々が冷静に薩軍の様子を見ていることがわかる。
薩軍の軍議は言葉だけ勇壮。だが現実は負け戦である。
太平洋戦争時の大本営発表と同じだ。
ダメな理念、取り繕う組織、そこに踊った自分を、淡々と見つめるかのような表現が彼の日記に現れ始めた。
これからつくる日本はこのような理念や人や組織ではダメだと気づき始めている。
佐々が官軍に投降するまであと3ヶ月半。
さて、どうなっていくことやら。


「そんなことはないだろ」という目で見てみると、
世の中のいろんなことが、深く読めてくる。
皆さんにもその楽しさを味わっていただきたい。
その取っ掛かりとして澤田瞳子さんの『吼えろ道真』あるいは『泣くな道真』は、ホント、おすすめだ。

僕がこの本を読み終えたのはちょうど1週間前。
義父の一周忌で訪れた東京から福岡を経由して熊本に戻る途中で、僕が乗った西鉄電車が榎社の前の踏切を通過している、まさにその時だった。

以前撮影した「西鉄電車から見た榎社の入り口」。門前がいきなり踏切なんだね。

偶然とはいえ「そんなことがあるのか?」

あの世で春を楽しんでいる食えないジジイの道真公が、きっとそんなタイミングになるよう悪戯を仕掛けてきたのだと思っている。


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