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故郷地の綺麗な空、、。深夜書店。

 故郷地の綺麗な空、心が洗われました。そう、コメントした。

 そんな写真をSNSにあげてみた。
 歳月経てのお墓参りの帰り、振り返って撮ったものだ。
 
 暑さ真っ盛りのお盆の時期で、年老いた母と連れ立ち、電車を利用してやってきた。
 この地で代々生まれ、育まれ、死んでいった、先祖に仏花をそなえ、お墓を綺麗にした。
 先祖の中には、父も名を連ねている。
 とある場所で暮らしていた俺は、父の老いて衰えていく姿を目の当たりにすることはなかった。当然、息を引き取る瞬間も永遠の眠り顔も見つめることはなかった。
 親不孝だ。遥か昔からさんざんに、。
 でも、そのことだけは哀しいことだけど親孝行だと考えたい。父は俺にだけは、老いて衰えていく姿だけでも見せたくはなかったのだろう。
 事業に失敗して先祖代々の旧家を失った父だ。
 ふたりいる年の離れた兄たちと違い、俺だけは最低最悪の親不孝者だった。
 最低最悪の親不孝者に、親孝行だと考えるしかない宿命を最晩年に与えてくれたのだと思う。
 
 事業が長年にわたり順調で偉そうに会社で踏ん反りかえっていた父には、贅沢もさせてもらえた。育んでくれた感謝もある。けれど先祖代々の旧家を失ってからの父は、世の中のはみ出し者でしかなかった俺が言いたいこともずけずけ言い、憎まれ口をたたいていようが味方でいてくれた。
 それまでは偉そうな父でしかなかった存在が、生まれ変わったかのように、俺をまるで生涯最後の友人のように扱ってくれたのだった。

 遠路、電車乗り継ぎ、駅からさほど遠くない場所に墓地はあった。熱射のなかにも風が涼やかに吹いてくれていたのがありがたかった。とぼとぼと歩く母の白髪が時折りそよいでいた。
 
 「昔の彼氏に逢いにいくんですのよ、ホホホ、」なんて軽口をいって白髪頭を美容室でカットしてもらってきたと、この時節のお墓参りに自分自身まで磨いていた母ではあった。
 それでも歩き疲れの体力消耗や、猛暑を気にしながら、電車のみを利用して共にやってきた。
 
 例年、この時節にはこの故郷地近くにマイホームを建てて暮らしている俺の次兄が、母のお墓参りに同行し世話を焼いてくれていたようだ。車で送迎を期待していたのと、母はこの時節こそに次兄にも会いたかったのだろう。
 それの当てが外れたのだ。とある場所でゴールドの運転免許証更新した俺が帰還したからってわけではなさそうではあった。レンタカー借りるまでもない、と気丈にふるまう母だった。次兄がいわくところ、妻たる義姉は鬼嫁らしい。その実家に妻子を安全かつ迅速丁寧に遠路送迎せねばならない凄腕運転手の役目を拝命しているようで多忙なのだ。婿養子ばりの献身だが、義姉実家もかなり大変な状況と化しているからと、母も気に食わない想いは戒めている感じたった。

 故郷地、。まさに俺の生家があった地も、代々続いた実家が消えることで父や母、兄たち家族の生涯の道すじをも変えていったのだ。
 けれどもこの地、があってこそに俺の〝深夜書店小説〟が生まれたと思う。
 友人たちや面影たち、、今現在にいたる出逢いの縁を〝呼吸をするように感じさせる〟かけがえのない故郷地だ。
 生まれ、育まれ、出会い、別れ、旅立ち、そしていつか還る、そんな場所なのだと思う。墓があるからとか、そういうことではない、。たとえば散骨を希望しても、、だ。
 そそ、俺のようなくそったれが、身元不明の無縁仏になろうとも、だ。
 
 この地があってこそと、その想いは、この地に還るような気がした。

 お墓参り、熱射のなかにも風が涼やかに吹いてくれていたので体温調整には助かった。しかし、それがためにも風の強さに線香の火をつけるのには苦労した。持参のマッチの本数に限りがあった。とある場所のおかげで非喫煙者に名を連ねた俺には、ライターを持つ習慣はなくなっていたのだ。思わぬ事態に焦りながら、熱射との波状攻撃に母の体力は消耗されていくばかりだった。
 
 実は当初、せっかく故郷地までやってきたわけだからと、お墓参りの帰路は友人の営む飲食店に年老いた母を連れて行きたかったのだった。なんなら、その電車のりかえの際に駅から少し歩く道の一等地で不動産会社を営む友人の顔を久しぶりにみて、休憩がてらに座らせてもらえたらなんてことまで考えていたくらいだった。
 母、は大体からして男前には弱いところがある。不動産業の友人の笑顔でもみたら、他府県はおろか首都圏まで遠出する力を湧かせてくれないか、と期待していたのだが、。(笑)
 
ようやく熱射で汗をかきながら、苦心して大量に火をつけた線香をほかのお墓にもあげてまわる母だった。親戚だの、なんだかんだと世話になったかつての故郷地で交流深かった家々のお墓にだ。
 俺はその間、昔、生家でともに暮らした愛犬たちを埋葬した墓地の隅の方なんかを懐かし気に探したりしていた。時折り見上げる空がとても青くてさわやかだった。

 母、は墓地で少し、こけてしまった。冗談をすべらせて、こけたのではなくだ。

 母が叔母だか、同世代の友人女性とだかとスマホで話してた内容には笑ったことがある。
 俺の友人のことだ。BAR店主たる友人をSNSの画像で俺がふとした機会に見せていたのだ。
 父の介護だので足を運べなかった歳月を悔やんでいた。あんな顔した男のひとだったと思っていなかったと悔しそうにも、。息子のよく飲みにいく店に連れっていってもらうと、あの店主ならば、すっかりのぼせてしまう、てなことを楽しそうに話していたのだった。
 ・・・友人とは似ても似つかぬ息子であるだけにも、息子の友人を評してと、さすがに笑った。
 まぁその意気でどうか、今後共々にほがらかに長生きしてくれよ、と思ったものだ。

 母、は冗談をすべらせて、こけたのではないにせよ、砂地のところにこけたので幸いだった。
 大事には至らなかった。

 それもあって、友人の店に母を連れていってあげるのはまたの機会となったわけだ。
 帰路に母を伴うにしても、時間的にもテラス席のある解放的な空間でのんびりランチ・カフェタイムの見晴らしも最高な、店へと母を連れだって行く予定だった。
 別店舗の本格的バーの店にほぼいる友人には時間的にも会えなかっただろう。
 テラス席のある店には、友人からの信任厚い店長がいるからと思っていた。彼のサムライ気質な趣にも喜んでいたはずだ。だが、もしこの腕毛の濃い店長が休暇日だったら、「未来のよめさまにしたい女性やねん」とのハラスメントな発言を恥ずかし気もなく堂々と俺が言うている、美人女性が店をまかされている場合もあるのだ。・・・とうとう母親まで、連れてきてこの、おっさんは、。となるのも、それはそれで愉快であったのかもしれなかったが、、、。(笑)

 母、は墓地で少し、こけてしまった。冗談をすべらせて、こけたのではなくだ。

 もっと涼しくなって、汗かきで眉毛のラインや化粧くずれを気にしない時節に、俺の友人イケメンツアーに母を連れていってあげるのがええということだろう。
 もちろん、その際も母の昔の彼氏が眠ってる故郷地に寄ってからだ。鬼嫁実家に婿養子ばりの献身で頑張っている次兄を俺の友人イケメンツアーの母専属のトランスポーター(凄腕運転手)に任命したいところだ。
 
 故郷地の綺麗な空、心が洗われました。そう、コメントした。

 そんな写真をSNSにあげてみた。
 歳月経てのお墓参りの帰り、振り返って撮ったものだ。

 墓地で少し、こけてしまった母だが、頑張って帰路についた。
 駅そばを食べたいと、所望してくるほどに帰路の乗り換え駅で気力も回復したので安堵もできた。
 セルフサービスの店で俺は迅速に母に水を何度も運び、そばも運んで笑顔もふりまいた。
 まぁ友人たちには遠く及ばないけれど、。

 帰宅して、母のスマホに関東に住まう長兄の娘、つまり孫から連絡がはいった。俺にとっては姪であり、永い歳月話す機会もなかった。親子ほど年のはなれた男性(長兄とほぼ同世代)とここ近年に結婚したそうだ。
 怒りまくってた長兄との親子関係が最近は良好になったとかの、祖母には嬉しい知らせも聞かせてもらえたようだった。
 俺とも4半世紀ぶりに話すこととなった。そして、SNSの話しになった。故郷地の旧家がなくなったことでも姪の幼少時代しか交流はなかったのだが、姪と叔父たる俺がSNSで友達になったのが、、、。
そそ、お墓参りのこの日となったのだ。
 写真をSNSにあげた、まさにこの日だ。つくりばなしのかけらもなく。偶然のような必然なほんまの話だ。

 SNSで友達になったことで、姪も歳月経ての墓地からの空を、その眼差しに甦る日となった。
 昔日、生家での幼少時、俺の愛犬と、もっとも仲がよかったのがこの姪娘だった。

 綺麗な空、だった。はじめてなのに懐かしい、
 どこまでも澄み渡る空の色、墓地の景観に陽光を惜しみななく射し込んでいた。

 懐かしい、未来の色が、。

 果てなく 果てしなく 在るがままに映えていた、。

 故郷地の綺麗な空、心が洗われました。そう、コメントした。

 そんな写真をSNSにあげてみた。
 歳月経てのお墓参りの帰り、振り返って撮ったものだ。

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