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#20 1113

こういうのを書いて公開してもいいものなのか悩みましたが、せっかくなら誰かに何かしらのきっかけだったり、背中を推せたらいいなと思って公開します。
アウトプットではなく、あなたのためになれば。



この世の全てのものには終わりがある。

物であったり。
関係性であったり。
命であったり。

そして、この終わりがいつ来るかを知ることはとても難しい。
5年後?1年後?来月?明日?
もしかしたら今この瞬間にも訪れるかもしれない。

実際、それは私に訪れた。



祖父の死である。



僕は幼少期からおじいちゃん子だった。
幼少期は病気が多かったので両親には迷惑をたくさんかけたと思う。

これは両親から聞かされた話で全く記憶にないのだが、
病気になって両親が病院に連れて行ってくれた時のこと。
よほど辛かったのだろうか。僕は待合室で「じいちゃーん」と大泣きで祖父を呼ぶという行為に走った。

両親が目の前にいるのにもかかわらずその場にいない祖父を大声で呼ぶという。そして祖父が病院につき、抱かれた瞬間に泣き止むという。
両親には迷惑に迷惑を重ね、手のかかる子だっただろうが、それほどおじいちゃん子だった。


実家は2世帯なので、実家にいた時は毎日顔を合わせていた。
一人暮らしを始めてからは年に2,3回ほどしか会うことができなかったが、それでも、祖父はとても優しい人で会う度にニコニコしながら話をする。

祖父はとってもおしゃべりな人だった。帰省して祖父と話すとマシンガントークと言わんばかりのスピード感で会話をする。
ここで面白いのが同じ話を何回もするのだ。

帰省する度だったり、2日後だったりならまだわかる。
そうではない。祖父はその日その食卓を囲んでいる時間に何回も同じ話をしたりするのだ。

別に認知症だったりの病気を患っていたとかでは無く、いたって健康。
シンプルにその話が好きでめちゃめちゃ伝えたいのだろう。
そんな祖父を祖母が
「おとうさん、それさっきも聞きましたよ!」
と注意をする。
普段はあまい祖母だが祖父に注意するときは結構きつく当たる。

「あぁ、そうかい」
と祖父は言ってまた別の会話を続ける。
祖父の話もその光景もすごく好きだった。


そんな祖父も歳をとるにつれて体がボロボロになっていき、入院をしたり、病院に通う日々が続いていた。
毎日のようにしていた大好きな散歩も杖がないと難しくなっていた。
それでも毎日散歩をする祖父をすごいなぁと思っていた。
祖父からしたら当たり前の日課だからすごいなんて思ったことないんだろうけど。

お風呂に入るのもしんどくなってきて、なかなか思うように生活できない祖父は「もう死んでしまった方が楽なのではないか」と口にしていたこともあった。

それでも僕は祖父が大好きだったからずっと生きていて欲しいと思っていたし、僕の前ではニコニコして元気な姿を見せていた。


ある日、そんな祖父が救急車で運ばれたと母親からLINEが届いた。
今までも何度か入院をしていた祖父だったが必ず家に帰ってきていたので、心配したものの「また元気になって帰ってくるだろう」と思っていた。

その3日後。2022年11月13日。
その日はお昼前から部活があり、いつものように起きていつものように朝食の準備をしていた。
準備の途中、母親から電話が来た。



「じいちゃんが息を引き取ったよ。」



えっ。
「分かった。」とだけ伝え電話を切った。
本当に時間が止まったと思った。
壁にもたれながら崩れ落ち、涙が溢れてきた。

それでも、その日は午後にも予定が入っていたので頑張って部活にも行って、しっかりとスケジュールをこなした。
まるで何も無かったかのように。
実感が無かったと言うより、実感したくなかったのだと思う。

その2日後実家に帰省した。
母親が最寄り駅まで迎えに来てくれた。喪服をもってなかったのでそのままの足で買いに行った。
その時の僕はずっと笑っていたと思う。
強がっていたのだ。全く違う話題を母親に持ちかけずっと話していた気がする。
頭でわかっていても、実際に見てないから信じたくなかったのだろう。

帰宅。

「ただいま。」
「おかえり。」
そこに祖父の声は無かった。

祖父は耳がすごく遠かった。
きっといつも通り聞こえてないだけだろう。

リビングに向かっても祖父の姿は無かった。
和室に向かう。
そこにはお棺がひとつ。

窓のようなところを開ける。
見つけた。祖父だ。
「ただいま。」
返答は無い。

顔に触れてみる。
今まで感じたことの無い冷たさだった。
その瞬間涙が止まらなかった。

本当に止まらなかった。
家族だったからこそ、一緒に住んでいたからこそ、こみ上げてくるものがたくさんあった。

何回顔を拭ったのか。
目の周りが擦れて赤くなっていただろう。
洋服の袖は水をこぼした時のようにびしょびしょだった。
祖母がティッシュケースを新しく開けて渡してくれた。

「あぁ、本当なんだ。」
やっと実感が湧いた。やっと信じた。

「これが死か。」
もう会えないんだ。もう話せないんだ。

夏に帰省した時に
「また帰ってくるね」って言った。
その“また”は来なかった。



あれから1年の月日が経った。
今年は一周忌。
3ヶ月くらいしかたってないんじゃないか?
と思うくらい時間の流れの速さを感じる。

祖父の死をきっかけにこの1年、僕は少しずつ変わっていった。


「ありがとう」

この言葉をよく使うようになった。
何かしてもらったとき、自分のためのことをしてもらったとき、
それらには当然のように「ありがとう」と伝える。
大きく変わったのは自分が何か失敗をしたとき、やらかした時。
そんな時にも「ありがとう」を使うようになった。

自分が何か失敗した時、それを補ってくれた人がいる。
今までなら「ごめん」「すみません」と謝ることをしてきた。
もちろんとても大切なこと。僕も謝罪はよくする。
それでも僕は、謝罪の前にそれを補ってくれたことに対して感謝を言うようにしたのだ。

特に、僕にとって大切な人にはすごく意識している。
僕は弱い人間で1人では何もできないことが多く、大切な人に助けてもらうことが多い。
「ごめん」と伝えることもすごく大切なこと。だが時に、それを伝えられた側が悪く映ってしまうこともある。
「ごめん」も伝えるけど、やっぱり僕は「ありがとう」を先に言いたい。
「ごめん」よりも「ありがとう」の多い人生にしたい。


「思ったらすぐに伝える」

これは僕が最も変わったことの1つだ。
前にも話したが、終わりがいつ来るかを知ることは難しい。
僕のように、今その瞬間、にそれが訪れるときもある。

「ああしておけばよかった」
誰かが亡くなるとこのように嘆き後悔する人が結構いる気がする。

僕自身も
「あれできたな」「これも一緒にやれたよな」
とか思うことがあった。

後悔していないわけでは無いが、めっちゃしているわけでもない。
それなりにちゃんと言葉として行動として伝えられていたからだろうか。

それでもやっぱり後悔なんて少ないに越したことは無い。
ならば、その終わりが来て後悔しないよう、伝えられることは伝えられるうちに、そして早く伝えるべきだ。

それでも
「恥ずかしいから」
「そういうこと言うキャラじゃないから」
など変なプライドを持つ人が多い。

それまじでいらないから。

僕もそうだった。そのプライドが邪魔してくる時があった。
それでも、大切な人が喜んでくれる。
笑顔になってくれる。
幸せになってくれる。
それを望んでいるのに自分がこうだから、ああだからって。
そんなちっぽけなプライドなんてまじでいらない。

それがあって、伝えられなくて、大切な人がいざいなくなった時、絶対に後悔する。
そんな経験もう2度としたくない。

だからこそ、伝えたいことは伝えられるうちに、そして早く伝える。
これができるだけで自分も相手ももっと人生が楽しく、明るくなると思う。



祖父の死は僕にとってとても衝撃的で、悲しく、すごくショックなものだ。それでも、そこから得られたことがあるのも事実。
得たものからこれだけ僕自身が変わることができた。
そしてそれはこれからもずっと心の中で教訓として生きていく。

僕も未だに今あるものを蔑ろにしてしまう時があるけど、それは当たり前にあるものではないんだなって。定期的に振り替えるようにしています。
まずはこの際、大切な人にあなたが今思っている心の内を伝えてみてはどうですか。


長くなりました。読んでくれてありがとうございます。
では、また。

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