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『世の常は変えられるということを私たちは既に知っている』

(1)

雑駁なのを承知で、世代論を含んだ、世の中を変えるための、一つのやり方を述べる。研究に取り組むことによって。

フロイトによって精神分析が展開されるまで、トラウマは、主に女性という特殊な人びとのものだった。それにつけられた名はヒステリー。

世界大戦以降、トラウマは戦場でなら誰にでも持ち得るものになった。

そうして、今や、トラウマは、それなりに多くの人が持っていると知られるようになってきた。自分は苦境の中を生きている。トラウマを抱え苦しんでいる。それは不当なことだ。その不当な思いを解消したい。そのために世界を変えたい。そう考えるのは、人びとにとって必然であり得るだろう。少なくとも、そうして世界を住みやすいものへと変えていくための糸口は掴まれている。


(2)

しかし、戦時下を生きた人たちは、その後も、我慢して復興に努めるしかなかった。ベビーブーマーも、まだそうだった。日本では学生運動によって、権利の闘争が開始されたが、それでも我慢することは常だった。世界を変えたいと思うのであれば、なおさらだった。なぜなら、そのように考えられていたから。Xジェネレーションはまだ世界が変わる途上にいて、多くのことをベビーブーマーたちと同様に我慢しなくてはならなかった。

そうであっても、ベビーブーマーたちは、自分が、また人びとが当たり前に苦しんでいる事は、当たり前ではなく、そこから抜け出せる術があるということを知った。その次のXジェネレーションはそれを権利として打ち出せるようになった。ベビーブームたちは、それを苦苦しく思うことが多く、Xジェネレーションを叩く。それによりXジェネレーションのトラウマは、ベビーブーマーからXジェネレーションに確実に受け渡された。

そうではない。耐えろ。そう鼓舞することは、トラウマを増幅させがちだ。褒めて育てれば、トラウマは確実に減らせる。

(Xジェネレーション以降にとって、権利があることは、ある意味、当然のことである。権利がある事は、自然なことである。しかし、そのために、頑張ってそれらを得る力は逆に減ってしまったかもしれない。面倒なので諦めるという傾向も強くなったかもしれない。しかし、それは日本の事情かもしれない。この辺のことについては、私には、世代的に考察するのが難しいので、次の世代に託したい。)

(3)

さて、同じ経験をしても、PTSDになる人とならない人がいる。例えば、レイプされた人の、そんなに多くないパーセンテージの人たちが、PTSDになるという統計調査の結果を見たことがある。もちろん統計調査というのは、やり方によって結果が異なる。特に女性やマイノリティーが被害にあう確率が高いことを考慮に入れると、その数字が正しくない可能性は逆に高いだろう。男性により設計されていることで、そうなるのは常なのだ。そもそもPTSDの診断の時点で、測り方によって数が抑えられ、そのせいで総数が低く見積もられる結果になっている可能性もある。調査や診断を受ける人の母集団に、そもそも偏りが既にあった可能性もある。

そうであったとしても、なるかならないかの分かれ道は、発達特性と関連しているかもしれない。アスピガールに関する研究は、既にそのことを示していると思う。

一方で、インフルエンサーの中には、PDSDにならなかった男性というのが散見される。そうであるならば、もしかしたらそこにはジェンダー差があるのではないだろうか。

ジェンダーの有り様も、歴史の中で変化していく。対戦前、対戦後、ベビーブーマーたちの活躍による成果の結果、X ジェネレーションたちの活躍による成果の結果、その後の世代の活躍の結果、と、どんどん良い方向へと、歩みは遅くても変わってきている。そのため、ジェンダーによるトラウマの持ち用の差異は、Xジェネレーションまでのみ存在するなのかもしれないし、それ以降の世代には、減ってきているのかもしれない。ここら辺は要検討であろう。

(4)

さらに加えて、脳の可塑性があり得る。トラウマが受け渡されるものだ、ということにも、既にエビデンスがあるだろう。そこであるならば、Xジェネレーション以降のトラウマは、受け渡されることによって、主に続いているのかもしれない。

Xジェネレーションは、その連鎖を止めることを自分たちの使命にするべきであるし、ベビーブームたちは、引退しても、そのXジェネレーションたちの活動を支えることに身を捧げるべきであろう。

世界的に起きている世代間でのトラウマの連鎖を止め、世界を良い方向へ変えていくために。


(5)

補足を3つ。

特に、ジェンダー論を考えるのは、現在のインフルエンサーたちにとって、かなり困難なようだ。また、トラウマ脳に関する研究は、社会科学や人文科学の中でも、積極的に取り組まれるべきであろう。

なんでこんな王業なことを書いているのかって? やってはいけないと言われるだろうと、わかるので、やったことがなかった。そうであるなら、むしろ、やってみようと思ったから、だ。好奇心は世界を変える一つの糧だから。そのこと自体に、私は取り組んでいる。これは、その小さな一歩の一つ。

加えて、ここで書いているのは、誰にとっても、という話。一部の特別な人にとって、ではなく。誰しもが、自分なりのアクションによって、取り組みが可能だという、そのことを書いている。





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