見出し画像

魔術を使えるようになった日の記憶

「君は黒の魔術師だなあ」

改めて文章に起こすと、なんだかとってもファンタジーで、ちょっと中二病っぽくて、ほんの少しおもしろくなってしまうようなセリフ。

でも、この不思議な響きを持った言葉は、私が今まで貰ったたくさんの言葉の中でも、あたたかくて、キラキラしたもののひとつとして心に残っている。

高校生のとき、美術の時間。
12色くらいしかない固形水彩で写真の模写をするという授業があった。
最初は、テーブルに無造作に置かれたポテトチップスの袋が写った写真。
パッケージの質感や文字に注意して描けとのことだった。
見るからに難しそうだった。
絵を描くことが趣味ではあったが、知識が乏しくこの画材に全く詳しくなかったので、水彩で写真そっくりに描くことなんかできるの?と疑わしく思ってすらいた。

すると、美術の先生が、黒板にお手本を貼りだす。
課題のポテトチップスのほかに、映画のワンシーンの模写などもある。
目を見張った。
先生、絵、うまっっ。
心の中で思わずつぶやいた。
まるで写真みたいにリアルだ。水彩ってこういう絵も描けるんだ。
今までこの先生の描いた絵を見たことがなかった私は、余計に感激してしまった。
この人絵が上手いんだなあ……としみじみ思った。当たり前である。
目の前に立っているこのひょろりとしたおじさんは、美術教師なのだから。


私が通っていた普通科の高校では、美術は週に一度だけの選択授業であった。
いくつか用意された科目の中から、自分が学びたいものを選んで授業を受ける時間だ。
私は進んで美術を選んでいたが、同じ教室に居た他の同級生たちは、そのほとんどが消去法で美術に行きついただけの生徒だった。
別に得意でもないしさして興味もないけど、他の授業よりは楽しいかな、という感じ。
そんなのんびりとした雰囲気で、でも一応は真面目に各々が課題を制作しているのを、先生が順番に見て回る。
そういうスタイルの授業だった。

作業中は私語は厳禁。時折、ギャルたちが小声でふざけあうのを嗜めながら、先生はそれぞれの作品を見て、ぽつりぽつりとアドバイスしたり、褒めたりしていく。
静かだが、張り詰めた様子はない。
たくさん並ぶ窓は開け放たれ、明るい日差しが手元を照らす。
この教室にいる生徒たちみんなが、自分の手と作品に向き合っていた。
私はこの時間が結構好きだった。

数週かけ、ポテトチップスの課題が終わると、次はファッション誌から自分の好きな写真を選んで模写しなさいと言われた。
私は、黒を基調としたコーデの女性に決めた。透け感とボリュームのあるスカートがかわいい。
たまに先生の目を盗んで、隣の仲良しの友達とジェスチャーで会話して笑い合あったりなんかしながらも、自分なりに一生懸命描き進めていった。

そうして、いつものように先生が私のもとにも回ってきた。
描いたものを見られることに緊張していると、関心したような声色で言われたのが、冒頭の言葉だった。

「お、君は黒の魔術師だなあ」

本当は「君」じゃなくて、ちゃんと私の苗字を呼んで言ってくれていたのだが。
私は、嬉しさと気恥ずかしさが相まって、うまく反応ができなかった。
普段はあまり愛想がなくって神経質そうな雰囲気のこの先生が、魔術師なんて、詩的で大袈裟な表現を使ってくれるのもなんだか意外で。
へへっと照れ隠しのように笑った私に、先生は、同じ黒い色でもちゃんと濃淡をつかって素材の違いや立体感を出せてるのが良いよ、みたいなことを言ってくれた。
途端、手元にある黒い水彩のスカートがきらめいて見えた。

多分、参加している生徒のほとんどが絵に興味のない中で、私は趣味で描いていた分、ほんの少し出来が良かっただけだったろう。
何年も美術を勉強してきた人にとっては、その辺の子供が描いた見るに堪えないへたくそな絵だったろう。
当時の私にも、それは十分わかっていた。
それでもこの一言が無性に嬉しくて、えらく気に入ってしまって、今日までしっかりと覚えている。

普通科の美術の授業なので、きっとかなり甘めだったのだろうと思うが、一年間の美術の成績は総じて良いものをつけてもらっていたし、基本的には誰の作品に対してもネガティブなことはあまり言わない指導者だった。
その中でも、面と向かってしっかり褒めて貰えたのはこの時くらいだったので、余計に印象的だったのかもしれない。
その道のプロに絵を見てもらった経験が、これが初めてのことだったいうのもきっと大きい。


今でも絵を描くのが好きだ。
黒色を使うのも好きだ。
たまに、「黒の使い方が良いですね」なんて絵を見て言ってもらうことがあると、ふとあの美術の時間を思い出す。

先生は元気だろうか。きっと先生はあの時のあの言葉どころか、私の顔も名前も覚えていないだろう。
私は昔から、何に対しても自信がなくて、趣味の絵だって誰かに見せることが怖くてできなかった。
あの美術の時間は好きだったが、本当はとてもドキドキしていたのだ。
作ったものが否定されて、こんなのダメだと言われやしないかと、怯える気持ちがどこかにあった。
そんな私に、少し自信を与え、なにより嬉しい気持ちを与えてくれたあの言葉が好きだ。

私の絵は、何年描いてもまだまだ未熟で、そこまで上手いとは言えない。
でも、先生のあの言葉を思い出すとき、私は魔術師になれる。
自由に黒を操って、見たい世界を描くことができる気がしてくるのだ。




(本日の見出し画像はこちらから拝借)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?