当事者意識を持つ。自分の力を信じる。
テレビやネットを見ていると、「国」と「国民」が別々のものであるような錯覚に陥ることがある。
例えば、「国」のせいで景気が悪く、「国民」が困窮しているといった具合に。
このような意見が蔓延するのは非常にまずいと思う。
何故なら、当事者意識が欠如しているからだ。
「国」は「人」の集まりであり、「人」とは他ならぬ自分達である。人ごとのように文句だけ言うのはおかしい。
自分の力を信じ、少しでもより良い生活を目指し、プラスアルファの努力をしていけば、その集まりたる「国」は良くなると思う。
以前の記事(「思考は実現化する」 ならば…? )では、使う言葉によって人の浮沈が決まるのでは?と書いた。
この理論は、「国」にも当てはまることだと思う。
つまり、この国はダメだと言い続け、そう思い込めばダメになってしまうのだ。ことさら国のダメなところばかりを強調し、負の感情を人にすり込む罪は重い。過度な批判は人々の自信やヤル気、幸福度を下げるからだ。
逆に、この国は捨てたもんじゃない、これからだと言い続け、そう思い込めば良くなるのだ。実際、戦争からも、大震災からも立ち直る力を持っているし、危機的状況においても略奪などがほとんど起きないのは非常に誇らしい。
悪い部分に注目するか、良い部分に注目するかは自分で選ぶことができる。
それならば私は、良い部分に注目し、期待したい。その方がヤル気が出るし、当事者意識をもたず、不平不満だけ言うよりは余程生産的だからだ。
これからもっと良くなることを願いながら、自分のできる範囲で、自分の生活を、自分の仕事の質を、自分の幸福度を上げていく。
それが「国」を良くすることに繋がり、巡り巡ってさらに自分と周りの人を幸せにすると思う。
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