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報われなかった努力に万雷の拍手を送ろう。

齢16にして下剋上を決意した彼は、その日から必死に勉強し続けた。紛れもなく日本は学歴社会だ、学歴がないといい職にはつけないしいい飯は食えない。彼は血の滲む努力を続けた。いかに周りが遊んでいようと、いかに周りに誘惑が多かろうと、彼は努力を続けた。
今から2年前の彼が高校三年生だった頃、そんな努力も虚しく彼は受験に失敗した。
それでも彼の目には野心があった。
「俺もう一年頑張ってみるよ。」
そしてそのもう一年の努力があっても結果は振るわなかった。
彼の他にももう一人、彼と共に一年の浪人生活を送っていた友人がいるのだが、その友人は志望校に合格した。
合格しなかった方をT、受かった方をMと呼ぶことにする。
合否が発表された当日、TはMに連絡を送った。
T『お前どうだった?』
M『受かったよ。』
T『そうか、おめでとう!!』
Mがいうにはそこから半年以上が経った今でもTからの連絡は来なかったそうだ。


Tの家と僕が住んでいる場所は近所なので帰り道によく通る。
つい先日、大学で授業を終え特に予定がないので夕方ごろに家に帰ることにした。
もう10月だし夕方は秋の心地良くもあり、少し肌寒い辛く苦しい冬を感じさせる風が自転車に乗る僕の耳の横を通る。日の入りももうこんなに早く、17時ごろにはあたりはオレンジ色に染まる。
「あ、Tの家だ、あいつ元気にしてるかな。」
僕はTの家の前を通った。

Tの家の前にはバラバラになった勉強机と、積み上げられた参考書がビニール紐で呪いのように十字架で結ばれていた。

実際にTにあったわけではないから、その机が彼のものであったかは定かではない、ましてや彼がどう思っていたかなんてわからない。
だが、こう言われたような気がしてしまった。

「俺はもういいや、疲れたわ。」


僕は胸が苦しくなった。富む者から生まれた者たちだけがさらに富んでいく仕組みに盾をつくべく、机にはアップルパイの食べかす、床にはストローのゴミが散らかっていた埼玉の小汚いマックで3人で決意したあの時を思い出した。
「マジで頑張ろうな。」

16歳という青春真っ只中な時期を犠牲にして、Tを除いた僕とMは世間一般からすれば名門と言われる大学に合格することができた。
学歴を誉めそやすものは僕らの周りにはいなかったが、僕も含めて人は他人を見る時はその人が結果を出しているかどうかというフィルターをかける。

「あの人は〇〇大学だからチャラそう。」
「あの人は高卒だから時間にルーズそう。」
このフィルターはどれだけ当人が努力したとしても、努力の過程を全てぶっとばして『結果』だけが見られる。


では青春を投げ打って4年間もの間、死に物狂いで努力したTはただの取り柄のない高卒として見られていいのか?
Tはどれだけ努力をしても結果が出ていないから木偶の坊と言われてもいいのか?

それは絶対に違う。
Tと昔仲が良かった友人は
「あいつバカだよな、偏差値40の高校なんだから普通に就職しとけばよかったのに」という。

確かにそうだ、Tの努力を知らない赤の他人からすれば、Tは現実が見えていない大馬鹿者だ。

だが僕とMは知っている。
彼の中指の爪はペンの握りすぎで歪んでいること、指にはタコができていること、髪を切る時間も惜しんでいるため結んで生活していること、4年間戦い続けたこと。
それでも、結果だけで見てしまえばTはただの現実が見えていない人として冷ややかな目で見られ、バカにされる。

だがバラバラになった机と、ページが手垢で黒くなった参考書にはTの報われなかった努力が刻まれている。

高い理想と強い根性を持ち、挑み続けた彼を知っているから、たとえ僕だけだとしても、Tと、Tの報われなかった努力に万雷の拍手を送るのだ。


友達くらい、報われなかった努力に万雷の拍手を送ろう。


それでは良い1日を。


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